実は、もっともっと深い意味があって、なるほどと思いましたが、凡人じゃこうはいかないよなあと考えたりしました。
2月
26日

「季節のように生きる」この言葉にグッと来ました。雨の日は雨を聞く。雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを、五感を使って全身で、その瞬間を味わう。
つまり、「雨の日も、晴れの日も、楽しい日も、辛い日も、全てが人生においてかけがえのない日々」という。
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人生の大切な時間」という程度の認識でしたが、もっと奥が深いことを知りました。

「日日是好日」について私があれこれ書くより、引用したほうが正確と思います。臨済宗のサイトから引用させてもらいます。
「毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。
一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。
しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。