妻が突然、働くと言い出した。
7月
21日
「で、今からどこで働くの??!!」
「老人施設で、食事をつくる仕事よ。この年で、一般事務の仕事があるわけがないじゃない」
確かに。
コネで入社、コピー係、お茶くみ、文書受付、電話取次、和文タイプで社内文書作成じゃ何のキャリアにもなっていない。
「やったこともない仕事だし、要領も悪いだろうからお局さんにいじめられるだけだよ。
着ていく服がいるとか、靴がいるとかいろいろ言い出すんじゃないの。
だいいち別にお金に困ってないじゃん」と言ってしまった。
月17万円の生活費で「別にお金に困ってないじゃん」は、ないだろう。
海外旅行をしたいとは思わない、
回らないすし屋にも行かない、
ホテルレストランでステーキを食べたいとも思わない、
レクサスに乗りたいとも思わない・・・・・
限られた予算だけど
ヨガやお茶のお稽古に行って、
ジム友とお茶して、
孫が遊びに来て、
手作りのご飯を食べて、
健康でコーヒーがおいしくて、
野菜をいろいろ育てて、
雨漏りのする「昭和レトロの家」があり
夜露をしのげる・・・・
ボンビー父さん曰く
「別にお金に困ってないじゃん。ゆっくり好きなことやろうよ。」
妻、絶句
①ある分で暮らす
②あれば買う。なければ買わない
③「あったらいいな」は「なくても平気」
私の連れ合いは、私と22歳で結婚。
(驚くことなかれ。当時23の声を聞くと焦るという風潮、男性は28歳がタイムリミットだった)
20歳で短大卒業~腰掛け勤め(総務課文書受付、和文タイプ係など)~花嫁修業(お花・お茶・料理)~お見合い~結婚~寿退社~専業主婦というのが結構普通だった。
腰掛けの会社勤めだったので、年金の特別支給が始まっても、ごくわずかな金額です。でも、まあ、もらえるだけいいのです。
厚生年金は、60歳から支給されていましたが、法律改正で65歳から支給されることになりました。経過措置として段階的に支給開始年齢が引き上げられることになりました。
男性は、昭和36年4月2日以降生まれの人は完全アウト。無年金が5年続く。5年収入がないのは、相当にきつい。
官僚が血眼になって、天下り先を探したり、無用な特殊法人を作っているのは20年前から、いやそれ以上前から着々と進められていた。
それでも郊外に家を建て、子ども2人を大学にやることもできた。車はカローラですけどね。
ホントかどうかわかりませんが、お茶の水女子大の就職先希望ナンバーワンは「専業主婦」とか。
あのころは、まあなんとかやっていくことができました。「一億総中流」で、給料は毎年ガンガン上がっていましたから
22歳の「奥ちゃんは」可愛かったよ。
今は60過ぎのおばあちゃんに。
当時私は28歳。
「年貢の納め時」ということで
ネオン街ともおさらば
奥さんと年が離れているといいことがあるよ
加給年金を調べてね。300万円以上たくさんもらっているよ。