講和を獲得後日本は、国際的には独立国となりましたが、まだまだ10年戦争による疲弊は続き未だ国民の生活は豊かなものではありませんでした。 しかし、昭和30年代に入ると、次第に戦後復興と言われた時代は終わり、昭和29年(1954)からの神武景気、途中で鍋底不況と呼ばれる時期を経て、再び昭和33年(1958)からは、岩戸景気と呼ばれる好景気が押し寄せ、昭和35年、安保条約改正の責任を負う形で辞任した、岸内閣に代わって、池田内閣が組織され、所得倍増計画に見られるように、国民全体が、より豊かな生活を目指して行くことを目指し、経済が活発化していきました。 こうした好景気のおかげで、鉄道輸送も輸送量は右肩...