あれは元祖パワハラだった(まだそんな言葉がなかった時代)
8月
12日
四半世紀前、
自動車販売会社で
BtoCの営業担当だった私。
全然、男女平等じゃない、
お茶だしは女性の仕事みたいに言われ、
それでも営業目標は男女平等に課せられ
今なら「なんでやねん」と
ツッコミたくなるような環境で
仕事をしていました。
お客様の来店は多く
店舗の成績も悪くない。
私も成績は良かったので
毎日は忙しくても充実感がありました。
その年は2-3月にとびきり沢山のクルマが売れ、
4月は営業担当それぞれが
納車をするのに必死でした。
月末からゴールデンウィークが始まるので
それまでに納車を終わらせようと
みんな必死でした。
沢山クルマが売れた翌月は
あまりクルマが売れなかった事が
私たちには「当たり前」だったのですが
所長やもっと上の人は
その事を良くは思っていませんでした。
ゴールデンウィーク休暇を翌日に控えた
4月のある日、事件が起こりました。
ショールームや工場の戸締まりをして
長期休暇に入る用意をし始めた時に
営業担当全員が事務所に集められ
怖い顔をした所長から言われたのは
「明日もお前たちは仕事に来ること」
でした。
4月の成績が良くなかったので
クルマが売れるまで休むな、
というような事を言い出したのです。
就社2年目の後輩が泣きながら訴えました。
「もう予定も入ってるので無理です」
彼女の4月の実績はゼロでした。
そんな後輩に所長は
「予定は変えれば仕事にこられるだろうが」
「数字も出さない奴が文句言うな」
言い放ったのです。
あまりの酷さに
思わず私は言い返しました。
「急に予定を変えるなんて無理です。
みんな明日から休むために納車を終わらせて
頑張ってきました」
4月にも数台クルマを販売していた私は
所長に堂々と言ってやったつもりでした。
が、返ってきた言葉は
信じられないような言葉だったのです。
「平社員の分際で偉そうに言うな。
意見を言いたけりゃ出世してから言え」
理不尽すぎて言い返す言葉が
見つかりませんでした。
今のような「ハラスメント」と言う言葉が
まだなかった時代、
自分でどうにかするしか術がなく、
淘汰され職場を去る沢山の仲間を見送りました。
トップセールスでも
役職がないと何にも言えないなんて…
悔しすぎて
帰宅途中のクルマで思い切り泣きながら
強く思ったのは
「偉くなって堂々と意見を言ってやる」
そのためにはトップセールスになり
トップの位置を守り続ける必要がありました。
この日から
私の新たな挑戦が始まったのです。
もう、泣いてる暇はありませんでした。
「絶対見返してやる」
この時は営業担当同士で話し合って
2日だけ店を開け
可能な者だけ交代で出勤しました。
もちろん、結果はゼロ台。
「あなたの言う通りに出勤しましたけど何か?」
言葉に直すとこんな感じでしょうか。
全員が休みはしっかり取れるように
営業担当同士で協力し合う事も
この事件から生み出された教訓です。
私が経験した事は今なら「パワハラ」で
然るべき所へ訴える事もできます。
現代ならこんな極端な事は
起こっていなかったかも知れません。
パワハラは捉え方次第で方向性が変わる
難しい問題ですが
ハラスメントの根源は
「当たり前」の基準がみんな違うからだと
私は思います。
みんなが同じ方向を見て同じ事をする時代から
互いの「違い」を認め合う多様性の時代へ。
あの時の悔しい経験は無駄ではなかった。
やはり何事も無駄なことはなく
繋がっている事を感じずにいられません。
たらればは尽きないもので
四半世紀前に既にパワハラという言葉があったら
あの時の所長はどうしていたんだろう?
私はどうしていたのだろう?
ちょっとした妄想が止まりせん。
世間はお盆休暇。
みんなが気持ちよく過ごせる
休暇になってほしいと
微力ながら思うのでした。