冬の電車で、連結器近くの座席に腰掛け、視線を少しばかり泳がせると、合わせ鏡のような隣の車両には誰もいなかった。
ただ一定の方向に進んでいるに違いはなかったが、ここを基点に果てしなく両側が、どこまでも延びているのではないかという奇妙な感覚に囚われた。
目的地がどこであれ、こうなってみると、どこかへ向かっていると感ずることは、乗り込んだ地点での約束ごとが、どこまでも有効であると信じているだけに過ぎなかった。
いまこうして、巨きな物理が変革されているとしても、わたしは、昨日の早朝、初めて出版する書物の校正刷りに朱をいれた原稿の束を抱えて、揺られているより他はない。
わたしの右手、進行方向には誰もいない車両が延々と続き、わたしの座る連結部から左手には、停車駅ごとにまばらに人々が乗り込んで、そうしていまだ約束が有効ならば、東へと電車は走っている。
*
三重に住む姉に久しぶりに電話した夜は、記憶力がよく、おしゃべりな姉に押されて、切り上げる箇所を見つけられないまま、いつしか幼い頃の話へと向かっていた。気性の荒い漁師村へ赴任してきた巡査の娘が、いつも綺麗なハンカチでえっえっと泣いていた話だった。
商売をしていた我が家の父は、村ではインテリだったから、娘をよろしくと挨拶があったらしい。「ほら、警察のタカコちゃんの誕生会にあんたが行くことになって、手作りの贈り物がいいという話になって、ストローをつなげたペン立てを一緒に作ったじゃない。あれ、ものすごく喜んでくれたじゃない」覚えているかと姉はいう。姉は先天性股関節脱臼で、しばらく歩けない時期があった。
もう何十年と回想することのない時代だったためにまったく手がかりすらないほど記憶になかった。「ほら雑誌の付録にあって、ストローを糸で針を通して筏みたいにして…」と言われたところで、かすかに白地に赤や青のラインの入ったストローの筏が、沈んだ海から縦に浮上してくる映像がぽっかりと浮かんできた。
*
車両連結部の嵌め殺しの硝子窓は、互いに重なりながら微妙にずれ合い線路の継ぎ目ごとに揺れていた。
その隙間に、降り始めた小雪が舞い込み、ふわりゆらりと、いつまでも舞うので、わたしは、とてつもなくながい遥かな昔からの、巡礼の途上であったことを思い出し、薄汚れた装束の胸の奥深くで、固く目を瞑った。
2008年秋
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