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「犬夜叉」と「半妖の夜叉姫」に思うこと⑤~「魅力的なキャラ」とは何なのか~

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④の続き。
たぶんこれが、最後かな?

うん、たぶん。
また書きたくなったら書くかもしれんけど(笑)

今回は、キャラの気持ちを信じる生きたキャラのお話。にも
ものすごく通じるお話。

まずはここで、「半妖の夜叉姫」スタッフのインタビュー記事をご紹介。

半妖の夜叉姫:「犬夜叉」ファンを裏切りたくない 新たな物語を作る覚悟 高橋留美子に学んだ「説得力」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c1e882d8df6ba7378200a2a960da991be0950c3

えっとっ……。

タイトルだけ読むと、
散々、ファンの気持ちを踏みにじった方のセリフとは思えない(笑)

でも、中身を読み解いていくと、

なんとなく、視聴者の認識との乖離が
見えてくる気がする。

>>>『犬夜叉』のキャラクターが愛されるのは、
>>>留美子先生が年月をかけて愛して、
>>>作り上げてきたからだと思います。

う~ん。。。あのですね。

犬夜叉のキャラクターを
愛して作り上げなければいけないのは、

夜叉姫制作陣も同じなんですよ。

むしろ、夜叉姫制作陣は、
留美子先生以上に、

愛して作り上げなければいけないかもしれない。

それが、犬夜叉の世界観を、キャラクターを、
使わせていただくということです。

けれど、それが感じられないから、
ファンは怒りや悲しみに震えているのです。

>>>犬夜叉ファンの方々の期待を裏切りたくないので、
>>>どういう形で登場させればファンの人たちが
>>>納得して見てくれるか、違和感なく入ってくれるか、
>>>どんな落としどころにすればいいかというのは
>>>すごく気を使っています。

>>>ある程度期待感を膨らませて、
>>>少しじらそうかという。

>>>じらされすぎると離れてしまうし、
>>>かといって情報を出しすぎてもいけないので、
>>>そこの駆け引きを大事にしています。

個人的に、ファンの視線を意識しすぎて、
失敗したな、という印象が強い。

どうすればファンが食いついてくれるのか、
どうすれば離脱せずについて来るのか、

そればっかりにご執心で、
肝心なことが置き去りにされている気がする。

結果、どんどんファンが
離れていきましたっていうね(笑)

>>>今回の3姫はスタッフがちゃんと愛情を注がないと、
>>>みんなが好きになってくれないんだろうなと、
>>>かなり覚悟してやっている部分ですね

物語のキャラクターは、
読者や視聴者に愛されるために生まれてきたわけじゃありません。

物語の中で生きるために生まれてくるんです。

彼らは彼らなりに、
自分の人生を、必死で生きているんです。

だからこそ、「物語」が生まれるんです。
「ドラマ」が生まれるんです。

そして、読者や視聴者は、
そんなキャラクターに「共感」するんです。

「愛着」を持つんです。
「嫌悪」するんです。

「泣く」んです。「笑う」んです。
「怒る」んです。

そうやって、「感動」が生まれるんです。

そこを、履き違えている気がする。

もっとも、キャラの全部が全部、
必死に生きていたら、

見ている方も疲れるので(笑)

場を和ませるための
マスコット的な位置づけとして、

登場するキャラももちろんいると思います。

でも、全部が全部、
そうじゃないでしょう?(笑)

「このキャラを好きになってもらうために、
この話を入れよう!」とか、

「親世代を見たがっているだろうから、
見せてあげよう」、

「でもあまり見せすぎるといけないから、
 ちらっとねvv」とか、

なんか本末転倒な気がするんだよなぁ。

物語の構成として、
それが本当に必要であれば、

チラ見せも焦らしも、掘り下げも、
全然問題ないんだけど。

むしろどんどんやってほしいところだけど。

夜叉姫の場合、

「とにかく視聴者を惹きつけること」が
至上命題になってしまって、

物語が物語である所以が
置き去りにされている気がする。

もちろん、一般に公開されている作品である以上、
視聴者がいてこそ成り立つものである以上、

視聴者の視点を意識することは大事です。

けれど、夜叉姫制作陣はそれをしていない。

「視線」ばかり気にして、
「視点」を大事にしていないんです。

それはキャラに対しても同じ。

キャラに向けられる「視線」ばかりを気にして、
「キャラの視点」を大事にしていないんです。

>>>例えば、とわは男装をしているキャラクターですが、
>>>なぜ男装をするのかという理由付けとして
>>>『昔、女の子の格好をして嫌なことがあったから』
>>>『スカートを切られてしまった』という話も出たのですが、

そういうことが出る時点で、
キャラの視点に立っていない気がするし、

ストーリーテラーとして、
物語を俯瞰する視点も欠けている気がする。

いや、その設定が本当に必要であれば、
別にそれはそれでいいんだけど。

「半妖の夜叉姫」という作品の中で、
それは本当に必要か?っていう視点と、

とわ自身の視点の、
両方が欠けている気がするんだよね。

>>>留美子先生は『そういうところで理由付けするより、
>>>ただけんかしやすいからでいいんじゃない』
>>>『そこを深掘りするよりも、とわというキャラクターの
>>>軸をしっかり作ってあげたほうがいいんじゃない?』と。

>>>その子が持っている根底のもの、
>>>それに見合った言動がリンクしないと、
>>>先生は納得してくれないんですよね。

>>>ロジカルな考え方をされるので、
>>>こちらは納得せざるを得ないんです。

>>>キャラクターとして説得力があるということを
>>>すごく大事にされている

すごく重要なことを教わっているはずなのに、
結局は留美子先生の視線を気にしているだけなんだろうなぁと。

「どう見られるか」ばっかり気にしてるから、
キャラが生きてこない。

「物語の装置」としても機能しない。

結果、不自然な言動ばっかりで、
ブレまくりのキャラが出来上がってしまったり、

行動原理が摩訶不思議で共感できないキャラが
出来上がってしまうのです。

上辺だけで中身のないキャラが
出来上がってしまうのです。

これでは、「多くの人にキャラを好きになってもらう」ことはできません。

順番が逆なんです。
愛情の注ぎ方が違うんです。

「みんなに愛されるために、
自分たちが愛さなきゃ」とか、

「こういう風に描けば、
こういう風に見てもらえる」じゃなくて、

「このキャラの視点に立てば、
こういう風に動くだろう」って視点と、

「物語の展開上、このキャラが
こう動くことは必要だろう」って視点。

そして、「読者や視聴者からすれば、
こう見えるだろう」って視点。

それら全てをうまく組み合わせて初めて、

魅力的なストーリーや
魅力的なキャラが生まれるんです。

私はそう思います。

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