「バクを悲しませないように、元気いっぱいに過ごそう」――だなんてまだ、意外なほど思えない私ですが、こういう時は仕事に助けられます。なにせ仕事中だけは、現実を忘れられますから…。
こうして少しずつ意識をそらしているうちに…とここまで書いて、「忘れていくのかな…」―――まるで悲しみが止まることが愛犬を忘れてしまうことにも思えて、心の向き場が分からなくなります。
考えすぎるのはやめましょう!
今はただ、台風とトルネードとハリケーンが一緒に来たような大嵐が過ぎるのを、暗い岩場の中でただ一人、待つだけです。
さて、そんな中、Etsyでオーダーしていたカスタム人形が届きました。作家さんがバク君に似せて作ってくれたのですが、第一印象は「別犬キタ!」。
でも毎日見ていると、ポケッとした表情など、バク君の特徴をよく捉えたなあと感心するようになりました。ボロボロな感じもいいです。
ちなみにちょっと細身過ぎたので(上の写真はまだ細い)、ハム体型だったバクに合わせて、可哀そうでしたが上から押しつぶして(>
亡くなったペットや…そして亡くなった父も…どこに行ってしまったのでしょうね。
バク君(2月に亡くなった愛犬)が寂しそうな顔をすれば飛んで行き、外出先でもそわそわしながら過ごした14年間。今度は私がこんなに寂しそうな顔をしているのに、あの子は飛んで来てくれません。
なぜ。
同じようにペットや家族を亡くした友人は霊媒師を頼り、また他の友人は宗教の教えに答えを導き出し、心の回復をはかろうとしています。
私はただ自分の中に答えを見つけようとしていますが、明白な答えを話してくれる誰かがいない分、どうしても時間がかかりそうです。
皆さんはどうやって心を癒やしていますか?
バク君が亡くなって2週間後、夫のいとこ(60代の女性)が危篤状態だと連絡がありました。サンディエゴにかけつけると、自宅のリビングルームにベッドが置かれ、そこに「もって1~2週間」と言われたいとこが横たわっていました。
いとこはもともとあった病気に加え、肺炎を発症したことで呼吸困難となり、人工呼吸器と点滴でかろうじて命をつないでいる状態でした。既に意識不明ながら、寝ている胸は呼吸の度に大きく上がり、手は空をもがき、看護師さんは「溺れて呼吸ができないような、苦しい状態」だと説明します。
世話をしているのはまだ30代前半の娘さん2人でした。目に涙をためながら「お母さん、ゆっくり呼吸をして」と体をさすり続けています。
医師は「いつまで呼吸器をつけておくか。それはご家族の判断で」と言い残して部屋を去りました。呼吸器をつけている限り、1~2週間は生きられる、でもそれは苦しみの時間…。
モルヒネで呼吸困難を抑えながら1秒でも長く、生きている母と過ごしたい姉と、「すぐにでも苦しみから解放してあげたい」と願う妹と、話し合いは平行線のまま1週間が過ぎました。
2人には決して言えないけれど…その葛藤は、つい2週間ほど前に私が1人でしたそれと重なりました。ひどい発作を起こしたバク君を救急病院に連れて行った夜、たとえ後遺症が残ったとしても、生きているバク君とまだまだずっと一緒に…そう願ったけれど、医師からこれ以上の苦しみを与えることは…と言われ。
「これからも発作は起き続けるはずです。そしてそれを止める薬はありません。その苦しみを味わわせるのは医師として…お勧めできません」。
強い薬を2回打っても何時間も発作が止まらず痙攣しているバクが目の前に運ばれてきた時に、その姿があまりにもかわいそうで………こんな苦しみがこれからも続くなら……決めました。
泣かず、笑顔で、頭をなでながら、小さな顔にキスしながら。腕に注射が打たれ、バク君は最後に大きく目を開けて、そのまま閉じることなく亡くなりました。
――犬の話です。母親を亡くそうとしている娘さん2人の前では決して言えない話です。でも大切な家族の「命の時間」を決めよと言われる苦しみは……痛いほど分かります。
サンディエゴを去って4日目の今日――いとこが亡くなったと連絡がありました。結局人工呼吸器を外したのは昨日とのこと。その選択に正解も不正解もありませんよね。
3月 21日「2つの死:天国へ行ってしまったバク君」https://jp.bloguru.com/RuCommunications/434889/2022-03-21
今年2月まで1年以上にわたり連日残業だった私ですが、まさにその仕事が途切れるのを待つように、2月末日、小さな命が旅立ちました。
私の命ともいえる存在だった老犬、バク君。子どものいない私に、偽物母親の時間を与えてくれたバク君。
さて、雛が死んで空っぽになってしまった巣を眺めて親鳥は何を思いましょう。もともと巣の中には何もなかったのかもしれません。いやそんなことを考えたらバク君の犬生まで否定することになりますね。
元気を出さなきゃと思っても、家はがらんとして静かで、「もういないんだ!」という言葉が頭痛のように頭に響きます。
そういえば昔英語の授業で、クローンをテーマにした会話練習をしたことがありました。「亡くなったペットをクローンで再生させることの是非」。あの時は「クローンは解決法ではない。決して同じ犬だとは言えないから」と意気揚々と言った人間が、今はクローンででも会いたい!と泣きながら訴えます。
少しずつ、少しずつ受け止めていくしかありません。そんな時、もう一つの死がありました。
3/22「2つの死:命の時間を決める悲しみ」https://jp.bloguru.com/RuCommunications/434952/2022-03-22
11/29「怒れる老犬バク君と私」https://jp.bloguru.com/RuCommunications/423475
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