“再発見植物!!”《襍感・/・野華‘17-29》

開花したラン科の「シマクモキリソウ」
(2017年11月17日午後、茨城県つくば市で撮影、国立科学博物館提供)


幻のランが79年ぶり開花-絶滅懸念植物、南硫黄島で発見!!
(2017.11.17 20:16 産経新聞webニュースより)
「1938年に小笠原諸島の父島で採取されたのを最後に、
絶滅したと考えられていたラン科の植物「シマクモキリソウ」を約300キロ離れた南硫黄島で発見し、
栽培して花を咲かせるのに成功したと国立科学博物館が17日発表した。
79年ぶりとなる幻のランの開花を見た国立博物館の遊川知久研究員は、
ランを30年研究してきたが、生きている間に見られるとは思っていなかった、と興奮している。」
*   *   *   以下、資料よりの説明   *   *   *
シマクモキリソウは小笠原諸島の固有種。父島では人が入植した影響で、すでに絶滅したとみられていた。
今年6月、南硫黄島の自然環境を調査していた東京都や首都大学東京のチームが、
標高700メートル付近の林周辺で未開花の株を発見。
3株を採取して国立博物館の筑波実験植物園で育てると、うち1株が11月16日に開花した。
「シマクモキリソウ」とは、小笠原諸島に生息する日本固有の植物。
花は長さ1センチほどの緑色、花びらの奥が紫がかった茶色をしている。
ラン科 クモキリソウ属
学名;Liparis hostifolia(Koidz.) Koidz. ex Nakai 絶滅危惧IA類
世界には約300種ほどのクモキリソウ属の植物があると言われていて日本および朝鮮半島に分布している。
シマクモキリソウが最後に確認されたのは、1938年(昭和13年)小笠原諸島の父島であった。
今回はそこから約300キロ離れた、小笠原諸島の南硫黄島でシマクモキリソウの株を発見。
つくば市の国立科学博物館へ持ち帰られ、栽培して花を咲かせるのに大成功!
約80年もの間、ほぼ絶滅したと考えられていた植物だったので「まさに世紀の再発見!」
小笠原諸島(東京都小笠原村)といえば、日本が誇る自然の世界遺産の一つ。
大陸とつながったことのない海洋島で、島にたどり着いた生物だけが独自に進化した特異な生態系が見られる。
それらによって評価され、2011年自然遺産に登録された。
東京の南南東約1,000kmの太平洋上にあり、30余の島々で成り立っていて、その多くは無人島。
南硫黄島(みなみいおうとう)は、小笠原諸島中の無人島。
これまで人間が立ち入った影響が極めて少なく、原生の自然が保たれていることから
自然環境保全法に基づき、1975年(昭和50年)に「南硫黄島原生自然環境保全地域」に指定。
現在は全域が立入制限されていて、研究目的以外に上陸はできない。
南硫黄島の大きさや標高は、面積3.54キロ平米、周囲約7.5kmの大きさ。
千代田区の3分の1くらいで、無人島としてはかなり大きめ。
最高標高は916mで、伊豆諸島・小笠原諸島の中では最高峰とされてる。
南硫黄島はガラパゴス!
南硫黄島はまさに『絶滅危惧種の動植物生息地の宝庫』としても知られている。
シマクモキリソウに似た植物には、クモキリソウ、スズムシソウ等がある。
*   *   *   *   *   *   *

《時節感慨・・ひとりごと・・》
新嘗祭、神嘗祭とか勤労感謝の日と言われる11月23日。
秋の収穫に感謝する祭禮、「お米」に感謝する日でもある。
今、準備が進んでいる「天皇陛下の御譲位」日時も決まりつつあるようだ。
天皇が即位されて初めて行なう新嘗祭は、「大嘗祭」(だいじょうさい)、
「おおにえのまつり」とも呼ばれ、一代一度の大祭である。
時節を思うと、戦前・戦後という表現が脳裏をかすめる。
新嘗祭・神嘗祭が、勤労感謝の日になった。
同時期に「現行憲法」が施行された。

戦後70年余りを以って憲法改正論議がたかまっている。
そんなおり、天皇陛下のご譲位もある。何か巡り合わせを感じる。

古く「黄金の国、ジパング」と西欧で言われていた日本。
現代では、ライズ・デル・ガルテン(稲田公園)と謳い称賛されてる日本。
お米・伝統文化・天皇家、世界に冠たる歴史でもある。
「和の文化」「皇室の歴史」「米文化」を想う一日だった。






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“七五三”《襍感・/・点描‘17-28》

鎌倉・鶴岡八幡宮

《時節感慨・・ひとりごと・・》
十一月十五日は、『七五三』の日である。
数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の時、
子供の成長を祝い神社に参詣する習慣行事。
七五三の起源は室町時代といわれ、江戸時代の武家社会を中心に関東から全国へ広まった由。
乳幼児の死亡率が高く、生後3~4年たってから人別帳や氏子台帳(現在の戸籍)に登録した。
七五三のお祝いは、無事に成長したことへの感謝、
幼児から少年・少女期への節目に将来の長寿を願う意味も持っていたと云われrている。
江戸期「お犬様」で有名な五代将軍綱吉の子、徳松君の祝いをした日に由来するとも言われる。
十一月十五日は、二十八宿の鬼宿日にあたり、婚礼以外は何事の祝い事に吉とされていた。
秋の実りを神に感謝、氏神に収穫の感謝すると共に子供の成長の感謝・祈願をもした。
七五三の意味;
3歳・・・男女とも髪を伸ばし始める ”髪置(かみおき)”
5歳・・・男の衣服である袴を着る  ”袴着(はかまぎ)”
7歳・・・女の子の着物帯の装い始め”帯解(おびとき)”
三歳で言葉を理解するようになり、五歳で知恵づき、七歳で乳歯が生え代わるなど、
発育上で病気にもなりやすく様々な危険を伴う時期、健やかな成長を氏神様に祈った。
江戸期よりの七五三のしきたりに「延寿千歳飴」がある。
飴のように寿命も延びてほしい、という意味が込められている。
江戸時代、子どもの健やかな成長と長寿の願を込め「長く伸びる」という縁起にあやかり、
目出度い紅白の長い棒飴、袋に「寿」「松竹梅」の文字、や縁起物の絵柄が描かれている。
この千歳飴はお福分けとして歳の数だけ袋に入れ、親戚やご近所に配る習慣もあった。

*   *   *   *   *   *   *
歴史的・伝統的・・・風物誌、日本的お祝いごと。
全国各地には、色々な習わしがあるだろう。幼少期の思い出。
鎌倉や横須賀で育ったものからすると、この季節は、お酉さまと七五三であった。
三浦半島全域か否かは定かではないが、
お酉さまの日は、和菓子屋さんが一斉に「きんつば」を売っていた。
団塊世代(僕)の幼少期は、子供が多かった故、千歳飴のおすそわけは、事欠かなかった。
又、催事に神仏習合が見られるのも日本的である。
仏教徒でありながら神社にも詣でる「和の文化」の根底か。。。!?!
家の中にも仏壇があったり神棚があったり、、、なんとも騒々しく楽しい。


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“神奈川産新米!!”《襍感・/・点描‘17-27》


※   ※   ※   ※   ※   ※   ※
平塚生まれの米ブランド「はるみ」(神奈川)
平成28年度の日本穀物検定協会(穀検)の「米の食味ランキング」
5段階での最高となる「特A」の評価を受けた。
コシヒカリとキヌヒカリの交配種で平成27年2月、県水稲奨励品種に決定。
全農営農・技術センターは、品種改良に約10年を費やしている。
米の食味ランキングとは、複数産地コシヒカリのブレンド米を基準米として、
これと試験対象産地品種を比較。基準米よりも特に良好なものを「特A」
良好なものを「A」、やや劣るものを「B」、劣るものを「,B(ビーダッシュ)」
こんな評価をしている。神奈川県では初めての特A米とのこと。
甘み!!を持つ、とっても美味しいお米だ(食した感想)。
他県の特A米を幾種類か食べて見たが、其々特徴がある。
その微妙な違い、これぞ日本的感覚と思う。
*   *   *   *   *  
《時節感慨・・ひとりごと・・》
昨今、ハロウィン(英: Halloween)、毎年10月31日に行われる秋の収穫祝い、
又、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事で日本は盛り上がっている。
主にアメリカ合衆国での民間行事、お祭り騒ぎ、と僕には映るのだが。。。
日本人が欧米社会の祭で国内で盛り上がる、なんとなく違和感を持つ??
新米をいただきながら、日本の伝統行事をもっともりあげよう、って思った。
一般的に11月23日(木・祝)は、勤労感謝の日って言われるが、「新嘗祭」でもある。
新嘗祭は「しんじょうさい」とも言われている。
「新」は新穀を「嘗」は奉ること意味する。
収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄を祈る祭儀である。
現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われている。
特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉り、その新穀をお召し上がりになる。
天皇の即位後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭という。関心を持つ言葉だ。
神宮では神嘗祭と称して新穀が奉られる。新嘗祭は、起源がはっきりとしないが、
日本書紀によると「飛鳥時代の皇極天皇の時代(西暦642-645)に始まった」と伝えられる。
万葉集には新嘗祭にまつわる和歌も存在する。
神嘗祭も新嘗祭も神事、宮中行事、であることから一般人にはあまり馴染みのない行事。
だが、古来より日本では稲作が生活の基本になってきた。
日本各地で初穂の収穫を祝い感謝する「収穫祭」や神社では「秋季大祭」が行われている。
収穫を祝い感謝する気持ちは、日本人の心の中に根付いていると行っても過言ではない。
初穂(新米)をいただくときは、古来より続く伝統ある行事と重ねてもよいと思う。
日本人は2000年以上の歴史のなかで、天皇陛下から国民に至るまで神を祀って来た。
五穀の豊かな稔りを祈る。稲の育成周期が日本人の一年といえる。
農耕が生活の総てであった時代、豊作を祈る事は国家安泰、国民の繁栄を祈る事であった。
祈年祭は国家規模で執り行われていたようだ。
奈良時代の『延喜神名式(えんぎじんみょうしき)』によると、
神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛(へいはく)が奉られていた。
特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りが行われており、朝廷の崇敬の念が窺える。
伝統的行事を未来につなげよう!!
米がパンに取って代わられた様に感じる昨今ではあるが、米は日本人に不可欠なものでは!?!
稲田公園、棚田等々、日本の原風景でもある。米文化は、もっともっと語られて良いと思う。
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