なんでだろう、なんでだろう、な んでだろう、なんでなんでだろう なんて歌っている場合じゃない? っていうか、俺のその「場合」も どんな場合かもあやふやな感じだ あれっ、こんな書き出しをすると なにを書くのかも忘れてしまった まあ、でもせっかくだからなにか 語ろうじゃないか、そうだそうだ と、ひとり会話するのも詩の特徴 いきなりそっちへ話を持って行く ツイッターを始めたら詩書きさん いるいる、こんなのにいるんだな しかも詩に燃えているひとが多く けっこうびっくりしている自分は 詩に対する熱意は最上級だと思い 今まで来たけれど、それは勘違い っていうか、普通くらいだろうか いや、普通以下だったことを知る 最近、詩で表現するのもいいけど 自分以外のひとの作品をどうにか 詩集というかたちで紹介したいと なんでそんな思いになったのかは まったくわからないのだけれども 年齢を重ねてゆくと生きることは ひとが喜ぶことをすることなんだ そういう人生の仕上げ階段を上り 空へと進みたくなる自己実現の絵 が、見えてくるのだろうけれども それもまた引っ括めて自分の為で やはりひとの為になにかをするは 疑問が少なく進みやすい階段だと 考えたりはするがよくわからない そもそも、どうしてそんなことを 考えるようになったのかも知れず なんだか歌いたくなってしまうよ なんでだろう、なんでだろう、な んでだろう、なんでなんでだろう
投稿日 2017-08-12 13:16
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2017-08-13 21:42
ワオ!と言っているユーザー