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 合氣道 練心館道場
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「天から与えられる」ということ

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 稽古を重ねて自己の内に構築すべき「本質的感覚」、いわゆる「心身統一」や「丹田」や「氣」の感覚といったものは、自身の計画通りに、稽古をすればした分だけ養われていく、といったような甘いものでは決してありません。

 間違ったやり方(我々の世界では、「力む」「争う」「ぶつかる」というのが三大悪業だと言えます)で百回稽古をすれば、百回分間違った悪い癖がつくだけだというのが現実です。

 私たちは細心の注意を払い、緻密に身体を操作しながら(しかしこれに偏り過ぎると肝心な「氣を出す」ということが疎かになります)、同時に、伸び伸びと心を開放して元氣よく稽古しなければなりません。

 その中で徐々に、この「本質的感覚」は養われていきます。

 この「本質的感覚」こそが所謂「実力」と呼ぶべきもので、今までの自分の経験と照らし合わせてみても、「実力」とは、決して自らの行為で造り上げていけるようなものではなく、人事を尽くした者に対して天が与えてくれるもの、といった方がより正確なものに感じます。

 まさに「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうか。



 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は、南宋初期の儒学者、胡寅(こいん)の『読史管見(とくしかんけん)』から来たそうですが、元々は「天命を待つ」ではなく「天命に聴(まか)す」だったそうです。
 意味としてはさほど変わらないので、より一般的に使われる「天命を待つ」で統一しますが、この「人事を尽くして天命を待つ」という言葉、個人的にも好きな言葉の一つで、仕事をする上でも学問を究める上でも、もちろん諸芸を身に付ける上でも、人生全般に通じる真理ではないかと思います。



 それと関連していつも思い出すのが、今から30年近く前、やはり代々木ゼミナールの帆糸満先生が講義で繰り返し仰っていたことです。

 英語の主語には六種類がある。
1、行為者(Agentive) 2、受動者(Recipient) 3、道具(Instrumental)
4、時間(Temporal) 5、場所(Locative) 6、出来事(Eventive)

 動詞「know」には大きく二つの意味がある。
①意志の有無に関わらず物事が理解記憶されること。
②行為を示すもので、judge,distinguish,と同じ働きをする。

 「know」が①のような知覚の動詞として使われる時、主語は行為者(Agentive)ではなく受動者(Recipient)である。
 よってその受動態では、行為者(Agentive)を表す「by」ではなく、受動者(Recipient)を示す前置詞「to」が使われる。
 (例)Everybody knows it. / It is known ( to ) everybody.

 そして帆糸満先生は仰いました。


 「人間にとって『know(知る)』とは、行為ではない。むしろ、神が与えることである。」



 合氣道の形を繰り返し「行って」稽古することは「行為」かも知れません。
 しかし、合氣道を(その本質を)「知る」ことは決して「行為」ではありません。
 それはやはり天から与えられることであり、言い換えるならば、後天的なものとは言え、それはまさに「天賦」のものと言えるのではないでしょうか。
 
 そして合氣道のみならず、諸芸全般はもちろん、仕事や勉強の場面でも、「『知る』とは天から与えられることである」ということは、人生万般に通じる真理ではないかと思います。



 以前、思想家・哲学者で合氣道家の内田樹先生が、「天賦の才能」ということについてブログで素晴らしい文章を書かれていました。
 自分は深く胸を打たれたものなので、以下、一部を引用させて頂きます。



天賦の才能というものがある。
(中略)
「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。
外部からの贈り物である。
私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。
才能は「贈り物」である。
外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。
それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。
どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。
私はそのように考えている。
才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。
私がこれまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。
「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。
そこまで内面化した才能はもう揺るがない。
でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。
才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から「疎遠」なものとなってゆく。
他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。
(ブログ『内田樹の研究室』、「才能の枯渇について」 2010.12.26 より)
※参照 http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php



 最近改めて思うことがあります。

 それは、私たち凡人が持っているようなほんのささやかな能力・才能であっても、それらも全て、天が与えてくれた「天賦」のものだと考えるべきではないか?・・・、ということです。

 そして「天才」とは、本当は、凡人と比較して何かしらずば抜けた才能を持った者を指す言葉ではなく、自身のささやかな才能でさえも、それは天が無償で与えて下さったかけがえのないものであると信じ、そのささやかな才能をも、自己利益のためではなく、いかにして世のため人のために活かすか、常に模索しながら人生を生きる者を指す言葉ではないか、と思うのです。

 そう考えると、考え方次第で、誰もが「天才」として目覚めることができ、誰もが「天才」として生きることも出来るのではないかと思うのです。

 「天才」も心ひとつの置きどころ。

 少なくとも自分はそう考えて、「天才」として生きて行けたら素晴らしいな・・・と思っています。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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久し振りの出張体験講習会

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 約一カ月振りの投稿です。

 先ずは、熊本の大地震で亡くなられた方の御冥福をお祈りすると共に、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。



 さて、先月3月28日(月)に都内某私立高等学校にて、久し振りに出張体験講習会を行なって参りました。

 当初、お問い合わせ下さった先生のお話では、C君というベルギーから来た留学生が、高校では剣道部と弓道部に在籍しながら、趣味で尺八も習っているという程の日本文化フリークだそうで、そんなC君に、是非とも日本武道の集大成とも言われている合氣道を体験させてあげたい、ということでした。

 当日のメンバーは、ベルギー人留学生のC君、クラスメイトのA君、国語科のK先生、F先生、英語科のI先生、理科で剣道部顧問のT先生、と少人数で、むしろ教職員の方々の方が多いといった状況だったので、先生方の了解を頂き、私の個人的な趣味も兼ねて、思い切って内容を、「武術・武道の極意としての本質的(身体)感覚」とさせてもらいました。

 以前、某高等学校のカナダ人留学生に体験講習を行った時は、若い男の子が少しでも興味を持って楽しんでくれるようにと、「受身」の練習から始め、「一教」、「小手返し」、「短刀取り」、といった合氣道の具体的な技(形)を練習しましたが、今回は内容的にはやや高度でマニアックなものとなりそうなので、果たして皆ついて来てくれるか、一抹の不安を抱きながらも、何とか、半ば強引に最後までやり通しました。

 具体的には、「体軸の養成法」、「脱力と臍下丹田による腹式呼吸法」、「腹直筋を弛緩させることにより腹(臍下丹田)で全てを吸収する」、「腹圧を利用して臍下丹田の強大な力を使う(※発勁)」、「『気』を漲らせることと『氣』を出すことの違い」、「体結び(※練心館独自の用語で武術的『魄(はく)』の合気)で一体化して相手を制する」、「氣結び(※合氣道としては理想的な『魂(こん)』の合氣)で一体化して相手を導く」、といった感じで、恐らくは、かなり専門的に何かしらの武術・武道をやっている人でなければ、言っている意味すらよく解からないのではないかと思います。

 自分としても、「ちょっとマニアックに走り過ぎてしまったか・・・?」と、終了後頻りと反省したのですが、参加された先生方から、「特に留学生のC君は終始目を輝かせて本当に楽しそうにしていました!」と言って頂き、「それぞれ皆、多少は何かしら感じ取って、掴み取ってくれたのかな・・・?」とこちらも胸を撫で下ろしました。



 体験講習会終了後、参加された先生のうちの一人の方が、率直な感想を仰られたのですが、それが非常に的確に本質を衝かれたものだったので、思わず「良く解かっていらっしゃる、素晴らしい!」と妙に感心してしまいました。

 その先生は、「こんな言い方をしたら、もしかしたら失礼なのかも知れませんが・・・」と前置きをされながら、「『氣結び』で相手を導くという方法、つまり『氣』で相手に働きかけ、『氣』で相手に技を掛けるといったものは、催眠術にすごく似ているのでは?と感じました」と仰られたのですが、こちらとしてはもう「素晴らしい!正解です。全く以てその通りです!」としか言い様がありませんでした。



 「氣」は、科学では解明されていない存在なので、中には頭ごなしに否定する人もいます。
 驚いたことに、「合気道」という名前で人に技を教えたりしている人の中にも、「氣」の存在を否定する人もいたりするので、本当に可笑しな話です。
 本当は、そういった人は、せめて「合気道」という名前でやるのは止めるべきではないかと、個人的には思います。
 一方で、世間では様々な「氣」のパフォーマンスを見せて人々を驚かせたり、楽しませたり、時には「氣」で病気や怪我で苦しむ人を癒してあげたり、中には悪質なインチキを行なう輩も居たりと、まさに玉石混交な感があります。
 しかし、一つだけ確実に言えるのは、「『氣』とは、決して物理的な力ではない」ということです。



 今から二十年以上前でしょうか?

 師匠が「氣」でお弟子さんを豪快に吹っ飛ばしてしまう、純粋に武術・武道ともいえない、ある独特の流派が、世間で大きく話題になったことがありました。

 それに対して、当時から超常現象バスターとしてメディアで活躍していた早稲田大学の大槻義彦先生は、「氣」の力が実在するかどうかは簡単な実験で証明できる、と主張されていました。
 それは、お弟子さんを台車の上に載せて、先生の気合と共に、お弟子さんが台車ごと後方に吹っ飛ばされて行けば「氣」の力の実在が証明できる、というのです。

 これを聞いた時、当時既に合氣道経験者だった自分は、「やはり大槻先生は何にも解かってないんだなぁ・・・」と呆れ果ててしまいました。
 「台車ごと動けば『氣』の力が証明される」という考え方は、譬えて言うならば、「電波の力は、どこまで重たい物を押して動かせるのか実験して証明する」と言ってラジコンカーに重りを載せていくようなものです。
 どこまで重たい物を動かせるのかどうかは、コントローラーから発する電波の力の強弱の問題などでは決してなく、むしろ車体に搭載されたモーターがどこまで耐えられるかの問題です。

 「氣」によって豪快に吹っ飛ばされているお弟子さんの、全身の筋肉に電極を付けて実験すればすぐに判ることですが、あれは自分の足腰の筋肉の収縮を使って、自分でジャンプして跳んでいます。
 ということは、「氣」で吹っ飛ばされるようなパフォーマンスは、全て「やらせ」の「演技」なのである、と逆に決め付けてしまうのも、実は早計です。

 「物理的には、本人の足腰の筋肉の収縮でジャンプして跳んでいるのに、心理的には、自ら意図的にジャンプしようなどとは微塵も考えていない」
 これこそが「氣」の技の真相です。

 これは、催眠術などによって、本人の意図とは正反対に体が反応する様子などに、本当によく似ていると言えます。

 催眠術などでよく見掛ける「床に付いた手が離れなくなってしまう」というパフォーマンスは、必死になって床から手を引き剥がそうとしているように見えても、実際の本人の筋肉の働き方、作用としては、渾身の力で床に手を押し付けているのだそうです(飽くまでも本人にその自覚はありませんが・・・)。



 「氣」の技とは、人間の脳神経系統に直接働き掛けて、相手を導いたり、場合によってはそこにエラーを生じさせて、相手をコントロールしてしまうようなものです。

 この事象を、ある武術の先生は「脳波を同調させる」と言って説明されていました。
 果たしてその説明が、科学的に妥当なものなのかはよく判りませんが、私自身の実感としても、「脳波の同調」というのは感覚として言い得て妙だと思います。

 或いは、横断歩道の信号はまだ赤なのに、隣の人が歩き出すとつい「釣られて」身体が前に出てしまう、といった経験が誰でもあるかと思いますが、難しい言葉で説明などしなくても、この「思わず釣られてしまう」というケースなどは、原理は紛れもなく「氣」の技そのものであると言えます。

 古来、武術でもそれを究極の奥義としてきたようですが、非常に高度な技法であるが故に、それ自体にはむしろ、制圧力や殺傷力はありません。
 ましてや、「氣」の修行を積んだ感覚の鋭敏な者に対しては面白いように掛かることもしばしばですが、「掛かるまい」と意地になって心を閉じた者に対しては、それ程の効果は見出せません。
 恐らくはそれでも、「何となく重心が浮く」とか、「何となく誘われる」といったような感覚が、命を賭した真剣勝負では生死を分けてしまうということもあったのでしょう。



 飽くまでも、純粋な「武術」ではなく、「武術」を土台としてその上に人間修行の道として創始された、「武道」である私たちの合氣道に於いては、この「氣結び」こそが、争いを否定し、お互いが愛と調和の心を以て、相手と一体化するという、理想の姿だと言えます。


 

 ところで、話が急に変な方向へ行くかもしれませんが、こういったことを踏まえて考えると、幽霊を見るのも、幻覚を見るのも、人間の視聴覚神経という脳神経系に何かしらの作用やエラーが生じた結果であると考えられないでしょうか?。

 そういった意味では、幽霊を見るのも、幻覚を見るのも、「氣結び」による「合氣」の技が掛かる時と、原理的にはあまり変わらないのではないかと個人的には考えます。

 そこに存在しないものが見えてしまったり、そこに存在しない音が聞こえてしまったり、といった時、多くの場合、精神的な疾患が原因だったり、薬物の使用が原因だったりするのでしょうが、最近では電磁波が人間の脳神経系統にエラーを生じさせるということも判ってきたそうです。 

 よって、所謂本物の「幽霊」というものが出現したとしても、それは少なくとも外界における物理現象ではない、とだけは言えるのではないかと思います。

 以前にもお話した通り、自分は「霊魂」などの存在に関しては決して頭ごなしの否定派ではありません。しかし、もしも実際に「幽霊」を見ている人の脳内の働きをリアルタイムで科学的に分析することができたとしたら、「幻覚」を見ている状態と何ら変わりはないのではないか、と思います。

 ですから、「幽霊」の本質とは、「人間の視聴覚神経系統に何らかのエラーを生じさせて、物理的には存在しないものを見たかのように錯覚させてしまう働き」であり、あるいは、「そういった働きを誘発させる何かしらの作用、エネルギー」ということではないかと思います。

 現在、それは科学的には、ある種の電磁波の一種ではないか、と考えられているみたいですが、果たしてそれで正しいのかどうかは判りません。

 ただ、人によってはそれを「地縛霊」と呼んだり、「未浄化霊」と呼んだり、または「残留思念」などと言ったりしているのでしょう。

 話が急にオカルト的な方向に行ってしまいすみません。




 4月上旬、子どもの頃から練心館に通っていて、現在は地方の大学に進学したため休会中ですが、大学では合気道部に所属しているという青年が帰省中で、久し振りにお稽古に参加してくれました。
 彼は高校時代、他団体の合気道部部長をしながら、練心館にも通い続けていました。
 彼にはよく冗談で、部活の合気道は学校の授業、練心館での稽古は大学受験予備校の特進クラスの授業だと思ってやればいい、などと言っていました。

 彼には本当に久し振りに、「力任せの素人にはむしろ低次元な体結びによる魄(はく)の合氣が有効である」、「心身統一体のできた実力者にはむしろ氣結びによる魂(こん)の合氣を優しく掛けた方が良い」等々、手を取って色々と実演を交ぜながらレクチャーしました。
 「やっぱり練心館はレベルが相当高い!」と言って楽しそうに稽古してくれました(※すみません、はっきり言ってこれは自慢です)。

 稽古後に彼から「先生はどうしてもっと実力をアピールして宣伝しないのですか?」と訊かれましたが、理由としては思う所が色々ありました。

 一つは、今の自分の実力が自分のピークなどではないと常に思えるからです。五十代になった時に四十代の自分の未熟さが恥ずかしくなるだろうし、六十代になった時には五十代の自分の未熟さがきっと恥ずかしいものになることが明らかだろうと思われます。
 三十代の頃、自身の体得した武術的には大きな殺傷力・制圧力を持った「勁力」こそが奥義であると信じていましたが、後に、殺傷力・制圧力といったものが前面に出てしまうことこそが、そもそも合氣道家としては未熟さの表れなのだと気付かされ、心底反省させられました。
 あの経験は「天の神様から受けた啓示」のように衝撃的で、未だに自分への大きな戒めとなっています。
 合氣道の実力は、安易な武術としての殺傷力や戦闘力で量れるものでは決してありません。

 そしてもう一つは、武術・武道の世界では、やたらと派手にアピールして宣伝し、商売として成功している者もいる一方で、相当な実力者でありながら派手にアピールしたり宣伝したり一切せず、地道に修行を続けておられる方もいらっしゃる、という現実です。
 どちらが武道家として本当に格好良い生き様かと訊かれたら、断然後者だと思うのです。



 しかし私も、今回は別の意味で少し反省しました。
 
 「恥ずかしい」とか「格好良い」とか、結局自分は、ただ格好付けているだけなのかも知れません。

 だから今日は、恥じらいを捨ててこうして少しアピールさせて頂くことにしました。

 合氣道だけに限定しません。
 
 広く、古典芸能、伝統武術・武道に通じる、「氣」や「丹田」といったその道の極意と呼ばれているような、本質的な(身体)感覚を解かり易く出張指導致します。
 
 過去には、全国制覇もした、空手界では名門の、強豪空手道部にも指導させて頂きました。
 
 少しでも興味を持たれた方は、お気軽に「合氣道練心館」にお問い合わせ下さい。
 
 お待ちして居ります。
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道は拙を以て成る

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 約一か月半振りの投稿です。

 昨年の十月に、NHK・Eテレ「100分de名著」という番組で『菜根譚』が採り上げられており、その中で、『菜根譚』後集九四の文について、解説の湯浅邦弘先生(大阪大学教授、中国哲学)が非常に心に残る言葉を仰られていました。
 この話はいつかブログにも書いてみようと、ずっと思っていましたが、気が付いたら既に五か月も経ってしまいました・・・。

 『菜根譚』は、中国の明朝後期(16世紀末)に洪自誠(洪応明)によって書かれた処世訓集で、東洋の代表的な思想・哲学である、儒家、道家、仏教、の三要素を併せ持ち、「三教合一の思想」とも評されています。
 江戸時代後期には日本にも広まり、多くの人に読み継がれて来ました。
 また、政財界やスポーツ界の大物と呼ばれるような人達の多くが愛読書にしていたと言われ、合氣道の世界でも、藤平光一先生が愛読されていたと聞き及びます。

 では早速、話を本題に進めましょう。




 「文は拙を以て進み、道は拙を以て成る。一の拙の字、無限の意味あり。(後略)」(『菜根譚』後集九四)

 (現代語訳)「文を作る修業は拙を守ることで進歩し、道を行なう修業は拙を守ることで成就する。この拙の一字に限りない意味が含まれている。(後略)」



 「拙」とは、一般的に、「下手である、劣っている、愚かである、不運・不遇である」などの意味に解されることが多いですが、湯浅邦弘先生は、『菜根譚』のこの条項で言うところの「拙」とは、「過剰な装飾・技巧を排したもの」であり、「飾らない素朴さ」であるとしています。
 そして、純朴なもの、素朴なもの、つまり「拙」にこそ逆に力があるのだと解説されていました。

 また、「拙」の反対は「巧」。
 しかし「巧」、すなわち「たくみ」の境地にいる間は、人間は本当の意味で自分自身の心となかなか向き合うことができないものである。
 そんな時こそ、むしろ「巧(たくみ)」という自分の鎧を脱ぎ去って、つまり「拙」という原点に回帰することで自身の心と対峙してみる、それによって大切なことに気付かされることもあるはずである、とも仰っていました。



 「素朴な『拙』にこそ逆に力があるのだ」と聞き、自分が真っ先に思い出したのは、合氣道のみならず、武術・武道界に伝説となっているような、一昔前の名人・達人の姿でした。


 以前、「『造花』と『天然の花』」と題してこのブログにも書かせて頂きましたが、私自身も含めて現代の武術・武道修行者は、やや技術・技巧ばかりに走り過ぎているきらいがあるのではないかと思い至り、自省の念も込めてそれらを「造花」に譬えました。
 一方で、一昔前の、今や武術・武道界では伝説的名人・達人とされている先生方の古い映像を視ていつも思うのは、意外と地味だったり、表面的な技巧が粗削りだったりすることでした。
 しかし、それらの技は紛れもなく生命の通った、まさに妙技であり、それらを「天然の花」に譬えさせてもらいました。



 戦後、現在に至るまで、合氣道の世界では、日頃の稽古の成果を「演武」という形で示すという伝統が作られてしまいましたが、「巧(たくみ)」の境地を去り、「拙」の原点に回帰し、稽古を通してしっかりと自身の心と向き合えるようでいられるためにも、日々の稽古とは、人前で格好良く「演武」を成功させるためにやっている訳ではない、ということを、我々は決して忘れてはならないと思います。
 飽くまでも、合氣道の本番は「生まれて死ぬまで」であり(これも以前、ブログのタイトルにしました・・・)、「演武」は単なる「楽しみ」でしか過ぎない、ということを我々は肝に銘じるべきです。


 また私自身、三十代の頃は、自分の体得した「技術・技巧」としての武術的な勁力(トンとやるだけで相手をふっ飛ばしてしまったりするものです)や「技術・技巧」としての魄の合気(相手を金縛りに掛けたようにして無力化してしまうものです)こそが奥義であると信じて疑いませんでした。
 その頃の自分を湯浅邦弘先生の言葉で言うならば、まさに「『巧(たくみ)』の境地にいて、本当の意味で、未だ自身の心と向き合えていなかった」のだ、と今になって反省しています。

 しかし運良く、万生館合氣道の教えに再び触れる機会があり、それまで自分が奥義だと信じていた武術的には非常に有効な「技術・技巧」が、実はそれこそが開祖・植芝盛平先生が「魄は捨て去れ」と仰っていた「魄」そのものであると気付かされました。
 そして、合氣道の本当の理想の姿は「氣結び」であり、そのためには、己の纏った鎧を脱ぎ去るように、武術的な「魄」を捨て去る必要があることを知りました。
 更には、「氣結び」の技を上手く成立させるためには、自身の心の状態が大きく影響するということを思い知らされ、稽古を通して、自身の心と向き合うことの大切さに今更ながら気付かされもしました。



 「素朴なもの、つまり『拙』にこそ逆に力があるのである。」

 「道は拙を以て成る。」

 「道を行なう修養は拙を守ることで成就する。」



 合氣道修行の極意として記憶すべき言葉だと思いました。



 以下、「後集九四」以外に、この「道は拙を以て成る」の教えにも通じる条項で、個人的に気に入ったものを二つばかり引用したいと思います。



 「真廉は廉名なし。名を立つる者は、正に貪となす所以なり。大巧は巧術なし。術を用うる者は、乃ち拙となす所以なり。」(『菜根譚』前集六二)

 (現代語訳)「真に清廉なる者には、清廉という評判は立たない。清廉という評判が立っている人は、実はそれを手段とする欲ばりな人である。また、真に巧妙な術を体得した者は、巧妙な術などは見られない。巧妙な術を用いる人は、実はそれがまだ板につかない全く拙劣な人である。」



 「醲肥辛甘は真味にあらず、真味は只だ是れ淡なり。神奇卓異は至人にあらず、至人はただ是れ常なり。」(『菜根譚』前集七)

 (現代語訳)「濃い酒や肥えた肉、辛いものや甘いものなど、すべて濃厚な味の類は、ほんものの味ではない。ほんものの味というものは、(水や空気のように)ただ淡白な味のものである。(これと同じく)、神妙不可思議で、奇異な才能を発揮する人は、至人(道に達した人)ではない。至人というものは、ただ世間並みな尋常の人である。」

 ※今回、『菜根譚』の書下し文、及び現代語訳については、全て「『菜根譚』今井宇三郎 訳注、岩波文庫」より引用させて頂きました。
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魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる

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 練心館では毎年、鏡開きの時に「館長年頭挨拶」として、新年に当たり、その年の「子どもクラス」のテーマ・方針を保護者の方々に向けてお話してきました。

 今年の鏡開きは、1月17日(日)に無事執り行われましたが、その時の話の内容をここに記そうと思います。
 
 毎年、原稿は用意せず、頭の中にある大体の内容を、その場の勢いで語っているだけなので、当日とは多少違う所もあるかもしれません。
 また、今年は「子どもクラス」に限定せず、「大人一般クラス」「女性クラス」を含む、練心館全体のテーマ・方針というという内容になりました。




 皆様、新年明けましておめでとうございます。

 お陰様で、今年で練心館が創立して34年目となり、私が二代目館長を継いでから12年目となりました。
 練心館は今や恐らく、専門武道場としては横浜市都筑区で一番歴史のある道場ではないかと思われます。
 これも偏に、支えて下さっている皆々様のお陰であると、改めて、心より感謝申し上げます。

 さて、毎年、この場を借りて、練心館「子どもクラス」の「今年のテーマ・方針」についてお話させて頂いておりますが、今年はある意味「原点回帰」致しまして、合氣道開祖、植芝盛平先生の教えを、そのまま今年の練心館のテーマ・方針に掲げよう、という思いに至りました。
 したがって、今年のテーマ・方針は、「子どもクラス」だけに限定致しません。「大人一般クラス」、「女性クラス」も含めて、全部これで行こうと心に決めました。



 練心館の今年のテーマ・方針は、ずばり、「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」であります。



 植芝盛平先生の思想、延いては合氣道を理解しようとする上で、この、「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題は、決して無視できない重要なものだと言えます。

 仏教思想では一般的に、「魄(はく)」とは、同じ「たましい」でも肉体を司るもので、死後、大地へと帰って行くものであり、「魂(こん)」とは、同じ「たましい」でも精神を司るもので、死後、天へと昇って行くものであるといいます。

 それでは開祖の説かれる「魄(はく)」と「魂(こん)」とは、いったいどのような意味を持っているのか、私なりの解説は以下の通りです。

 「魄(はく)」とは、目に見える物、形のある物、勝ち負けの着けられるもの、数値に置き換えて比較考量できるもの、金額に換算して比較考量できるもの。
 つまり、多くの現代人がそれに囚われて一喜一憂しているもの、例えば、勝ち負け、点数、偏差値、お金、これらは全て、魄(はく)だといえます。

 一方で、「魂(こん)」とは、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けの着けられないもの、数値に置き換えられないもの、金額に換算できないもの。
 つまり、これらは全て人間の「心」の問題です。我々はこういったものの重要性を、あまりに当たり前過ぎてついつい忘れがちですが、いつの時代でも、どんな世の中でも、人間が一番大切にしているものは、こちら側のものだといえます。



 「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。それで合気道がこの世に立派な魂の花を咲かせ、魂の実を結ぶのである。」
 (『合気神髄』P13)

 「現代は物質、魄の世界である。しかし魂の花が咲き、魂の実を結べば世界は変わる。いまや精神が上に現われようとしている。精神が表に立たねばこの世はだめである。物質の花がいまや開いているが、その上に魂の花、魂の実を結べばもっとよい世界が生まれる。」
 (『合気神髄』P13)

 「体を通して、形のあるものは魄である。物の霊を魄というのであるが、我々は魂の学びを学ぶのである。現代は魄を中心としているが、魂魄阿吽でゆかなければいけない。魂が魄を使うのでなければいけない。
 いま世の中は、魂の和合へと進んでいる。毎日これで進んでいる。我々は精神科学の実在である。自己の肉体は、物だから魄である。それはだめだ。魄力はいきづまるからである。つまっているからである。
 いまや世界は、魂の救いを求めるようになってきている。日本は、ぐずぐずしていてはいけない。いま、我々は各所に与えなければならない役割がある。」
 (『合気神髄』P18)

 「これまでの武道はまだ充分ではありません。今までのものは魄の時代であり、土台固めであったのです。すべてのものを目にみえる世界ばかり追うといけません。それはいつまでたっても争いが絶えないことになるからです。目に見えざる世界を明らかにして、この世に和合をもたらす。それこそ真の武道の完成であります。今までは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台としまして、全てを忘れ、そのうえに自分の魂をのせなければなりません。」
 (『合気神髄』P154)



 現代人は、大人も子どもも、いつも何かに追い立てられ、熾烈な競争に晒され、目に見える物、「魄(はく)」ばかりを追い求めているようにも見受けられます。

 勉強しても常に点数と偏差値を追い求めさせられ、仕事をすれば常に成果と売り上げを追い求めさせられ、ニュースを視れば株価の変動に一喜一憂し、試しにスポーツに気分転換を求めても、そこでは勝つことを要求され、関心は順位と獲得した金メダルの数ばかり・・・。

 しかし、先程も申しましたが、そんな「魄(はく)」ばかりの世の中で生きている我々にとっても、本当に大切なことは、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けや数字、お金で評価できないものである、ということを決して忘れてはいけないと思います。
 我々はそのことを、あまりにも当たり前のこと過ぎて、ついつい忘れてしまいがちなだけだと言えます。


 子どもたちには、このことについて、改めて考えてもらうために、私はしばしば稽古の前にちょっと意地悪な質問をすることがあります。

 「もしも、日本中のお母さん全員に『全国一斉お母さん試験』というのを受けさせて、『どれだけ優しいか』とか、『お洒落か』とか、『お料理の腕前はどうか』とか、全て点数を付けて順位を付けたとするよ。」
 「もしも、今のお母さんよりも何十点も点数の高い、別の優秀なお母さんと取り換えてくれるって言ったら嬉しい?」
 そう訊くと、子どもたちは一斉に「いやだー!」と叫びます。
 ちょっと意地悪が過ぎますが、更に訊くのは、「どうして?、今のお母さんよりずっと優しいかもしれないよ?、お料理だってプロ級の腕前かも知れないよ?」
 それでも子どもたちは「ぜったいに、いやだー!」と叫びます。

 なぜ「いや」なのか?。そこにはもっともらしい理由など必要ありません。
 子どもたちだって解かっています。日本中探せば、自分の母親よりも、もっと大らかで優しく、そんなにガミガミ怒ったりしないお母さんはいくらでもいるでしょうし、料理の腕前がずっと上のお母さんだっていくらでもいるでしょう。
 しかし、そんなことは、「人間にとって本当に一番大切なもの」の前では何の意味もありません。
 いつの時代も、どんな世の中でも、人間にとって一番大切なものは、目に見える物や勝ち負けや、数字や金額に置き換えられない所にあるのであり、合氣道開祖、植芝盛平先生はそれを「魂(こん)の花を咲かせる」と表現されたのだと言えます。



 開祖はまた、この「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題を、別の言葉でも表現されていました。それが、「物質科学」と「精神科学(霊科学)」です。
 
 「物質科学」とは世間一般でいう物理学や化学のことではなく、まさに開祖の言葉で言うところの「魄(はく)」を意味していると考えられ、「精神科学(霊科学)」というのも、決して心理学や精神医学のことではなく、開祖の説かれた「魂(こん)」を指すものだと考えられます。



 「合気道は、精神(霊)科学であります。」
 (『武産合氣』P74)

 「世界中の人々が平和を望み、平和を願っているのに、この世は依然として争いあい憎みあっています。
 それは物質科学と精神科学(霊科学)とが調和していないからであります。
 今や物質科学はその頂点に達した観があります。ところが精神科学はなおざりにされていたのであります。
 今迄は魄(肉体的)物質の世界でありましたが、これから魂(精神的)と魄とが一つにならなければなりません。物質と精神との世界に長短があってはなりません。
 人間は霊ばかりでは駄目で、肉体がなければ働けません。また肉体ばかりでは本当に働けません。肉と霊が両々相まって働く時、真実の働きが出るのであります。」
 (『武産合氣』P75~76)

 「物と心の調和した世界を造ればよいのである。どちらにかた寄ってもいけない、物と心は一つのものである。
 現在、物資科学は大いなる進歩をとげているが、反対に精神科学の実在はまだである。人の世は物質科学と精神科学との正しい調和と天地万有の気によって、人の整いし世となれば、この世の争いはなく和平の世となる。それには我々の合気道も天の運化におくれず、また身体の武のみでは、これを達成することは至難である。世を乱すのは、一元の本を忘れるからで、一元は、精神の本と物質の本の二元を生み出し、複雑微妙な理法をつくる。」
 (『合気神髄』P116~117)



 合氣道開祖、植芝盛平先生が説かれた「精神科学(霊科学)」とは、同じく開祖の説かれた「魂(こん)」とほぼ同義であると思われますが、誤解を恐れずに、それを更に言い換えるならば、それは「スピリチュアリズム」のことであると言っていいと思います。

 江原啓之さんが世に出て以降、「スピリチュアル」なる言葉は完全に市民権を得て現在に至っておりますが、その後、「スピリチュアル」で金儲けをするとか、「スピリチュアル」で出世するとか、本来、形や数字に現せない「魂(こん)」の問題として取り扱うべきものを、人間の我と欲に結び付けて喧伝する有象無象が、残念ながら余りにも増えてしまいました。
 これは飽くまでも私の個人的な見解ですが、我々のような所謂「霊能者」でも何でもない普通の人間にとって、「スピリチュアリズム」の神髄とは、「前世」でも「霊界」でも「守護霊様」でもなく、日々の当たり前の生活の中で、目に見えないもの、形のないもの、勝ち負けの着かないもの、数値や金額に換算して比較考量できないもの、を大切にすること、だと思います。
 誤解を恐れずに言いますが、私は個人的には、「霊」などの問題に関しては決して頭ごなしの否定派ではありません。それ故に、「スピリチュアル」を金銭欲や出世欲などの人間の我と欲に結ぶことで、以前ブログに書いたような「禅病」「偏差」と同等の、心身への悪影響が生じないか、憂慮するのです。



 話は変わりますが、昨年の大晦日は、何年振りかでテレビで格闘技のイベントを放送していました。
 以前の私は「武術志向」が強く、格闘技なども大好きでしたので、懐かしさからついつい録画して視てしまいました。

 録画した格闘技の試合を視ていると、変な話ですが、唐突に、何の脈絡もなく、新約聖書の中のイエス・キリストの言葉が頭に浮かんできました。
 それは、イエスが十二使徒を遣わす場面です。



 「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
 (新共同訳・マタイによる福音書10:28)



 世の中には、「実戦武術」や「最強格闘技」を標榜して、いかにして相手により大きなダメージを与え、より酷く傷付け、より迅速に殺傷するかと、躍起になっているような人たちもいます。
 しかし、そのような人たちも、考え方によっては、「所詮は体は殺すことができても、魂には傷一つ付けられない人たち」と言えるのかも知れません。
 そう考えると、合氣道は、「体を殺すことは出来ずとも、魂も体もこの世で祓い清めることのできる武道」と言えるのではないかと思います。
 開祖は、「合氣道は禊である」とも仰っていました。
 合氣道を「恐れる」必要は全くありませんが、真に「畏れる」べき武道とは何か?と問われれば、それは合氣道であると答えて間違いないと思います。
 それも、合氣道が「精神科学(霊科学)」であり、「魂(こん)の花を咲かせる」ものであるからだと言えるでしょう。



 「我国には、本来西洋のようなスポーツというものはない。日本の武道がスポーツとなって盛んになった、と喜んでいる人がいるが、日本の武道を知らぬも甚しいものである。
 スポーツとは、遊技であり遊戯である。魂の抜けた遊技である。魄(肉体)のみの競いであり、魂の競いではない。つまりざれごとの競争である。
 日本の武道とは、すべてを和合させ守護する、そしてこの世を栄えさせる愛の実行の競争なのである。」
 (『武産合氣』P50)

 「魄の世界を魂のひれぶりに直すことである。ものを悉く魂を上にして現すことである。
 今迄はもの一方だった。あの人は魄力が強いとかいった。今日はなりゆきで魄力の世界である。だから世の中の争いは絶えない。
 スポーツも魄である。スポーツでは日本は充分ではない。魄力だからである。魄力でやってゆく国は、最後はうまくゆかない。阿吽の呼吸でやってゆくこと、あくまで魂を表に出すことである。魂の力をもって、自分を整え、日本を整え、神を表に出して神代を整え祭政一致の本義に則ることである。
 合気はみそぎであり、神のなさる世直しの姿である。
 魄力が強いということは(世の剣聖といわれる人も魄力は強かったが)それでは戦争が、いつまでたってもなくならないということである。争いよりぬけるよう、大神様のみ心に復帰すべきである。( 後 略 )
  ( 中 略 )
 武とはすべての生成化育を守る愛である。でなければ合気道は真の武にならぬ。合気道は勝ち負けをあらそう武とは違う。」
 (『武産合氣』P165~166)



 「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」

 我々にとって、目に見える物、形のある物、数字や金額に置き換えて比較考量できるものなども、それはそれで必要なものです。
 我々は決して霊界に住んでいる霊の集団などではなく、目に見える形のある肉体を持ち、物質世界を生きる人間なのですから・・・。
 しかし、それらは全て「魄(はく)」であって、単なる土台に過ぎません。
 美しい容姿や逞しい肉体、立派な学歴や収入など、それはそれで素晴らしいものですが、それを人生の最終目標にしてしまったら、その人は、土台だけ作って置きながら、何一つ人間として本来やるべきことを果たさなかったと言われてしまいます。
 立派な土台を作ったなら、その上に、目に見えない、形のない、勝ち負けや数字や金額では計れない、愛や友情、優しさや思いやり、誠実さや気高さなどの、精神的な美しさともいうべき、「魂(こん)の花」を咲かせなければなりません。

 また、開祖が仰るように、「魄(はく)」ばかり追い求めていると、いつまで経ってもこの世から、つまらない喧嘩や争い、悲惨な戦争がなくなりません。
 この世のありとあらゆる争いは、全て、目に見える物、形のある物、勝ち負けの着くもの、数字や金額で計れるものの、奪い合いが原因で起こっています。
 合氣道を始めるに当たって、それぞれの人はそれぞれの目的で始めるのでしょうが、そもそも合氣道には、合氣道がこの世に出現した固有の目的があるのだ、ということを忘れてはいけません。
 それは、「この世からつまらない喧嘩や争い、悲惨な戦争などを少しでもなくすこと」であり、いずれはこの世に「地上天国を実現すること」であるといわれます。
 そのためにも、我々は、「魄(はく)」は飽くまでも土台に過ぎず、その上に、如何にして「魂(こん)の花」を咲かせるか、真剣に考えなければなりません。



 最後に、実は、「魂(こん)の花を咲かせる」ことの重要性を説かれたのは、何も植芝盛平先生だけではない、ということを、文学というジャンルの中から少しだけご紹介したいと思います。

 フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの書いた世界的名作『星の王子さま』を貫く最重要テーマは、「肝心なことは目に見えない」という言葉に尽きるのではないかと思います。
 これなどはまさに、「魂(こん)の花を咲かせる」ということに通じるものだと言えましょう。



 「『さよなら』と、キツネがいいました。『さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ』
 『かんじんなことは、目には見えない』と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。」
 (『星の王子さま』 サン=テグジュペリ 作、内藤濯 訳、岩波書店)



 そして近代日本でも、「目には見えない肝心なこと」を生涯、詩や童話に描き続けた作家の代表として、宮沢賢治の名が挙げられると思います。
 宮沢賢治が、「魂(こん)の花を咲かせる」ことを書いた名文として、大正13(1924)年に童話集として生前唯一刊行された、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の序文があります。



 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
  ( 中 略 )
 わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」
 (『注文の多い料理店』 宮沢賢治 著 新潮文庫)



 今年の練心館のテーマ・方針は、合氣道の原点とも言うべき、開祖、植芝盛平先生の教えに帰って、「魄(はく)を土台に、その上に魂(こん)の花を咲かせる」で行こうと思います。
 
 宮沢賢治の言葉を借りれば、ここ練心館で学び、稽古する合氣道が、お終い、私たちの「すきとおったほんとうのたべもの」になることを、私も願ってやみません。

 本年も、皆様からの温かなご理解、ご支援を賜りたく、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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独自超訳『徒然草』第百五十段 そして「師」を語る

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   『徒然草』 第百五十段

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
 未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
 天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

   (独自超訳)

 合氣道を稽古する人の中には、「下手くそなうちは、なまじっか人に知られないようによう。こっそりと練習して十分上手くなってから、堂々と人前にも出るようにした方が、その方が粋だし格好いいじゃないか。」などと言う人もいるようだけれども、そんなふうに言う人は、結局は何も身に付かないだろう。
 下手くそな初心者のうちから、上手な人達の中に交じって、時には手厳しく間違いを指摘されたり、笑われたりしても恥ずかしがらず、マイペースでコツコツと努力が続けられる人は、天性の才能などなくても、飽きることなく、目先の合理性や実戦性に惑わされて自分勝手な自己流に陥ることもなく、修行の年月を過ごせば、才能があってもそれに甘んじて努力を怠っている者よりは、最終的には達人の境地に至り、いつの間にやら人徳や品格も備わり、人々に認められて、名声までをも得ることになるのである。
 天下の名人とされるような人であっても、初めのうちは、「才能が無い」などと噂されたり、大失敗をしたり、大恥をかいたりと、色々あったものなのである。けれども、その人が、その道の「理」を守り、基礎・基本を重んじて、自分勝手な自己流に陥ることをしなければ、いずれはその道の大家となって、多くの人々の師となることは、全ての道において変わらないのである。




 自分が、練心館初代館長、藤野進先生に師事していた期間は、実はたったの5年間でした。

 しかしその間、自分で言うのも何ですが、私は結構「優等生」な弟子だったと思います。
 短い間でしたが、自分のことを心底信頼して、認めて下さっているのだなぁ・・・、と感じたことは数限りなくありました。

 練心館20周年記念式典の時は、藤野先生による「館長模範演武」の「受け」を務めさせて頂きましたし、「齋藤君をただの弟子だとは思っていない。むしろ同志であり、ライバルだとも思っている。」と言って頂いたこともありました。

 また、「齋藤君の(合氣道家としての)実力は、もう十分私を超えているよ。」と言って頂いたこともありましたし、先生亡き後、人づてに聞いた話では、「私が何十年掛けて苦労して身に付けた技を、齋藤君は言った側から、いとも簡単に体現してしまうんだ・・・。」とも仰っていたそうです(もういい加減に自慢話はやめます)。




 そんな藤野先生は、平成16年の秋頃から急激に体調を崩され、12月末の緊急入院後、たったの9日で帰らぬ人となってしまったのでした。

 入院されてすぐに、病院のベッドの上で先生は、「齋藤君、私の後、練心館を継いでくれないか?」と仰られました。その時は、「先生がいない間、練心館のために自分ができることは最大限します。それは必ずお約束します。だからそんなことは仰らずに、早く元気になって下さい。」と答えました。

 結局は、「練心館のために出来ることは最大限する」という約束が、先生の仰られた通りに、「練心館二代目館長を継ぐ」という結果になった訳です。

 当初は、「たった5年しか師事していないような者が(その5年の間に、諸先輩方を差し置いて、実質、自分が一番弟子扱いになっていました)後継者に指名されるなんて、生意気だ」ということで、本当に色々ありました・・・。




 藤野先生にとっては結構「優等生」な弟子だったであろう私ですが、そんな私は、合氣道を始めた時からずっと「優等生」な弟子だったかと訊かれれば、それは全く違いました。

 以前、ブログにも少し書いたかと思いますが、私に最初の合氣道の手解きをしてくれた師匠は、現・実心館合氣道会会長(当時は、心身統一合氣道、実心館道場館長)の村山實先生です。

 中高生時代の私にとって、村山實先生は、圧倒的な厳父のような存在でした。

 当時、村山先生には、精神的にも技術的にも、数多くの愛を込めた叱咤激励と、厳しい「ダメ出し」を頂きました。

 お陰様で、その頃、村山先生から受けた教えは、現在の練心館での指導にも大変活かされています。

 精神的なものを言えば、子どもたちへの躾と情操教育に村山先生の教えは随分活用させて頂いています。

 また技術的には、例えば、最初に習う「片手取り転換呼吸投げ」の「受け」は、できるだけ小股で、上下運動を小さくして滑るように付いて行く、という、私自身幾度も注意されたものがありましたが、現在、練心館ではこれを「摺足歩法」と銘打って、丹田から滑るように移動する歩法の稽古として採用しています。

 その他、今でもよく覚えているのは、「正面打ち」や「横面打ち」を打ち込もうとする時や、相手を氣で導こうとする時、思わず自分の顎が上がってしまう悪い癖を、「それでは自身の統一体が崩れてしまう」と何度も注意されました。

 更に思い出深いエピソードとしては、高校の合氣道部部長時代、当時、捜真女学校合氣道部顧問で師範の佐藤先生という方が演武を行う、ということで、村山先生からその「受け」を取るように仰せ付かったことがありました。

 まだ高校生だった自分にとっては、これは大変名誉なことだと意気込んで、県立武道館まで出稽古に行きました。しかし当の佐藤先生から、「齋藤君ではどうもまだ未熟で物足りない」と、それこそ「ダメ出し」されてしまい、結局佐藤先生の「受け」は、当時実心館青年部のリーダーだった松田さんという方が代わりに取られた、ということもありました。

 この時は、「自分のどこがいけないのだろう?」と随分悩んでしまいました。

 当時の自分は、豪快な「飛び受身」などは誰にも負けない自信がありました。そして未熟な自分は、演武の「受け」などは、とにかく大きく派手に跳べば良いのだろうと考えていました。

 その後、村山先生から、己の「我」を完全に消し去って「無」になれた時、完全に「投げ」と調和し一体化した理想の「受け」が完成するのだと教えられ、「我」を消す「受身」の特訓をして頂きました。

 今でも練心館では、たまにこの、「我」を消す「受身」の練習をしています。




 そんなふうに、青春の全てのエネルギーを合氣道に捧げるような日々を過ごしていましたが、私の合氣道修行は、高校3年生の時に一度大きな挫折をします。




 稽古で余りにも激しく投げられたのが原因で、右の肺が破れてしまい(気胸というやつです)、入院、即手術となってしまいました。

 そして医師から、「レントゲン写真を見ると、左の肺もいつ破れてもおかしくない危険な状態だ」と告げられ、「自分はもう、一生、激しい運動のできない体になってしまった?!・・・」と、深く絶望してしまいました。

 若さ故とは言え、今となっては随分思い込みが激しかったものだと、変に感心してしまいます。

 しかし「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、前回のブログにも書きましたが、合氣道を挫折したお陰で、本気になって大学進学を目指そうと、頭の中を切り替えることができ、受験勉強にも集中できたのではないかと、今となってはこれも「運命」だったのだなぁ・・・と思っています。




 その後、約10年の間、道場の畳の上でドタンバタンと稽古することからは、一切離れた生活を送っていました。

 しかしその間、自分なりにずっと考えていたことがありました。

 それは「臍下丹田の感覚とは本当はどういうものなのだろうか?」、「相手を氣で導くとは本当はどういうことだろうか?」、「心身統一とは本当は何なんだろうか?」といったことです。

 「心身統一体ができていれば、押されてもグラつかないのだ」と教わり、「統一体のテスト」と称して色々やってはいましたが、高校生だった自分にとっては、「本当にこれで良いのだろうか?」という確信のなさ、覚束なさはどうしても払拭できないままでいました。

 しかし不思議なことに、道場での稽古を離れていたこの10年の間に、この「覚束なさ」は、段々と自分の中で、「つまりこういうことだったのか・・・」という「確固たる確信」へと変化していったのです。

 ですから、「心身統一と氣の原理」という合氣道の本質的な部分に関しては、自分の場合は、畳の上での稽古を一切しなかったこの10年の間が、一番実力が向上した、と今でも思っています。

 「合氣道はある程度年齢が上がらないと本物は解からない」というのは、間違いのない真実であると言えます。




 その後、高校教員になって後、結果的に自分の人生を左右するような運命的な出会いがありました。

 担任したクラスの生徒のお父様が、万生館合氣道師範の宇野司先生でした。

 そしてこれもまた運命的に、宇野先生から合氣道を指導して頂く機会が与えられたのでした。

 それは今でも忘れません。万生館合氣道に伝わる「呼吸力の養成法」というものだったと思います。

 こちらは宇野先生の両手を取り、宇野先生はその両手を柔らかく手前にスーと引くだけの、見た目は単純な動作でした。

 しかしその瞬間、「神の啓示」を受けたかのような、不思議な衝撃を受けました。

 まるで、心も身体も完全に一つに溶け合って、無限の宇宙に吸い込まれていくような感覚でした。

 気付くと、自分は宇野先生の引かれた手に、当たり前のように付いて行っていました。

 この時、自分は、「また本気で合氣道の修行を始めよう」と決心したのでした。

 そして、当時は格闘技がブームで、自分も夢中になってテレビで応援したりしていましたが、「合氣道は『格闘技』でもなければ『護身術』でもない、思慮分別のある大人が、一生涯を賭けて探究する価値のある、高度な教養であり、高尚な精神文化、伝統文化としての『武道』である」と確信したのでした。




 宇野先生との運命的な出会いがあってから2年後、稽古時間や曜日、交通の便を考慮して、たまたま一番通い易かった道場に入門しました。

 それが、藤野進先生が館長・師範をされていた、合氣道練心館道場でした。

 藤野進先生は、「世知辛い現代社会に、まだこんなにも大らかな方がいらっしゃったんだ・・・」と思わせてくれるような、俗世間を超越したような、不思議な人間的魅力に溢れた方でした。

 稽古内容も比較的自由で、自分が探究したいテーマを、とことん研究させてもらえました。

 武道の上達ということに関しては、明確な指針を持っていた自分のようなタイプの弟子にとっては、まさに水を得た魚のように伸び伸びと向上させてもらえた、素晴らしい環境だったと思います。

 しかし、最近になって多少未練が残るのは、江上茂先生の「松濤會空手」を、もう少しきちんと正式に伝授してもらえば良かったな・・・、ということがあります。

 藤野先生は合氣道に転向する以前、江上茂先生門下、「日本空手道松濤會 東急道場」にて松濤會空手を最高段位まで修めておられました。

 たまたま最新号の月刊『秘伝』2016年1月号の誌面にて、スペインで松濤會空手を指導されている昼間厚雄先生という方が紹介されていましたが、長い間、自分の研究テーマである、合氣道開祖・植芝盛平先生の説かれる「魄(はく)」と「魂(こん)」の問題において、「魄」の当身というのが、いわゆる武術的身体操作と丹田の爆発力を使った「発勁」だとするならば、「魂」の当身というものは当初、存在しないのではないか?、と考えていました。

 しかし、いつの頃からか、松濤會空手の脱力して全身を伸びやかに使う独特の突き、「スー突き」こそが、実体のない「心」に深く作用する「魂」の当身というべきものに近いのではないか、と思い至るようになり、更にこれを極小の動きにした、当身としての一つの完成形が、ロシア武術「システマ」の「ストライク」ではないか、という結論に至りました。

 この問題は、引き続き自分の研究テーマの一つですが、もしも藤野先生が生きておられたら、是非とも色々とご意見を伺いたいところです・・・。




 そしてこの頃、自分の「武道観」に多大なる影響を与えてくれた、もう一つの運命的な出会いがありました。




 職場で同僚のオーラルイングリッシュの教員に、イギリス人のマイケル・ハドソン先生という方がいらっしゃいました。

 ハドソン先生は、幕末の英雄、勝海舟の流儀として有名な「鹿島神傳直心影流剣術」を熱心に修行しておられ、今や直心影流の師範として、ご自身の会派、「硯舟会」を主宰されています。
 
 ハドソン先生と色々と親しくお話させて頂く中で、ハドソン先生の日本文化に対する敬意とその造詣の深さに感銘を受け、また先生の「日本の武道」というものに対する考え方に、非常に深く共感するものがありました。



 ハドソン先生はいつも、「日本武道の神髄は、思いやりの心である。」と、仰られていました。



 元々は、イギリスで合氣道の修行に励んでおられ、来日後、それこそ運命的に鹿島神傳直心影流と邂逅し、すぐさまそちらに転向されたというハドソン先生ですが、その「日本武道の神髄は、思いやりの心である」という考え方は、合氣道開祖、植芝盛平先生の思想にも通じるものがあります。




 「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。」(『武産合氣』P18)

 「合気は全部みそぎになっているのです。(中略)日本武道のはじめはここに基いています。
 それを知らずして、ただ強ければよい、負けなければよい、と力と力で争い、弱いもの小さいものをあなどり、それを乗り取ろうとする侵略主義になろうとしている、その魔を切り払い、地上天国建設精神にご奉公をするのが、合気の根本の目的なのであります。」(『武産合氣』P110~111)

 「ある人は軍備撤廃を叫んでいる。そして合気道も軍備ではないかといった人がいる。しかしそれは間違っている。
 合気は、軍備の心を起さずに和合の道に進ませるのである。」(『武産合氣』P139)

 「愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。
 宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。
 真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである。それは、殺し争うことでなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。愛とはすべての守り本尊であり、愛なくばすべては成り立たない。合気の道こそ愛の現われなのである。
 だから武技を争って勝ったり、負けたりするのは真の武ではない。
 真の武は、(中略)いかなる場合にも絶対不敗である。すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己れの心の中の『争う心』に打ち勝つことである。」(『合気神髄』P34~35)

 「日本の武は、決して、戦さや、闘いや、争いの道ではないのであります。」(『合気神髄』P48)

 「喧嘩争いをおこさんようにするには、喧嘩争いの前に、先におさえる。これが日本の武道です。愛の道が肝心です。愛の道がこの世の力、この世の命です。」(『合気神髄』P100)

 「我が国における古よりの武道に対する立法は、殺すなかれ、破るなかれであった。我が国の真の武道は大きく和するの道であり、身心の禊である。天の規則を地上に打ち立て、人が行なってまず自己をこしらえ、万物を守るのが武の掟である。しかるに今どきの武を講ずる人は往々にして日本の真武を知らず、中古よりの覇道的武道におちいっていることを悲しむ。」(『合気神髄』P161~162)




 ごく稀に、日本人で、「日本武道こそが世界最強であり、どんな強い敵でも必殺で斃すことができるのだ!」、などと嘯く方がいらっしゃるようですが、そういったタイプの人を見てしまうと、自分は情けなくて暗澹たる気持になってしまいます。

 冷静になって客観的に観れば、「実戦武術」という観点からも、中国や東南アジアの武術の方が、圧倒的に躊躇なく人体を破壊し、相手を殺傷する技術の宝庫だといえます。

 一方で、「スポーツ格闘技」という観点から観れば、欧米のボクシングやレスリングの方が、遥かに合理的で洗練された技術を持っているといえます。
 このことは、かつて格闘技がブームだった頃、K-1選手はパンチのテクニックを磨きに、皆ボクシングジムに通っていたし、総合格闘技に転向した選手はグラップリングテクニックを磨きに、皆レスリングジムに通っていたという事実からも理解できると思います。

 はっきり申し上げて、日本武道は、「実戦武術」にも「スポーツ格闘技」にも余り向いていないと思います。
 
 今時流行りの功利・実利主義の人間から見たら、日本武道などは、いかにも時代遅れの過去の遺物のように映るのかも知れません。

 しかし、日本武道は、未だに海外で多くの人を惹き付けています。海外で日本武道の魅力に取り憑かれている人の多くは、「実戦武術」にも「スポーツ格闘技」にもない、深い「精神性」にこそ魅力を感じるのだと、口を揃えて言うのだそうです。

 そしてこの、「日本武道の精神性」を突き詰めれば、それは、ハドソン先生が仰るように、「日本武道の神髄は、思いやりの心である」という結論に至るのではないかと思うのです。




 今後未来に向けて、日本武道が世界に貢献できる役割があるとするならば、「日本武道の神髄」としての「思いやりの心」を世界に発信することで、少しでも世界平和に貢献することではないかと思います。




 残念なことに、今もって尚、世界の多くの部分は「力による支配」で動いているといえるでしょう。

 軍事力、経済力、そしてそれらに裏打ちされた国力、政治力、支配力。

 そして歴史上、この「力による支配」というものを最も強く推し進めてきたのが、欧米の白人たちによる科学と合理主義の文化だといえます。

 カリフォルニア大学教授で生物地理学者のジャレド・ダイアモンド先生は、著書『銃・病原菌・鉄』の中において、結果的に欧米の白人たちの創った文化が世界を席巻したのも、元を辿れば自然環境などの単なる地理的な要因からであって、この地球上に本来、人種や民族による優劣などは存在しないのだと訴え、1998年にピューリッツァー賞を受賞されました。

 今後未来に向けて、日本武道が世界に発信すべきメッセージとは何か。

 それは、「この世界で真に価値あるものとは、ただ力を行使して、弱きものを征服し、支配できるもの、だけなのであろうか?。徒に力を行使することなく、和を以てお互いを結ぶ日本武道の中には、今後未来に向けて、争いのない持続可能な社会を形成するためのヒントとなる、実践的な知恵がふんだんに含まれている筈である。」というものだと思います。




 イギリスという国は、かつて、17世紀初頭にはもう既に、世界を席巻するグローバル企業を設立していました。
 そして18世紀半ばには、世界に先駆けて技術革新に成功し、産業革命を成し遂げました。
 更に19世紀には、地上最強の「大英帝国」として、七つの海を支配する程に強大になりました。

 何も、ハドソン先生が「白人代表」で「イギリス人代表」な訳では決してありませんが、そんな「力による支配」の大先輩である国から、遥々この極東の島国、日本にやって来て、日本の伝統文化の繊細な優しさに最大限の敬意を持たれ、日本武道の神髄を誰よりも正しく理解されている・・・。

 そして今や、当の日本人すらも忘れつつある、「日本武道の神髄としての思いやりの心」を、次代に継承し、啓蒙することに生涯を賭けて下さっている・・・。

 一人の日本人として、これ程までに嬉しいことはなく、日本武道の未来についても、明るい希望が持てるような気がするのです。
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元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、来館!!!

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元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、... 元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、...





 11月2日(月)に、元・代々木ゼミナール英語科講師の帆糸満先生が練心館に来られました。

 その一週間ほど前に、帆糸先生の息子さんからお電話を頂き、「父が貴方のブログを読んで非常に感激しております」「是非、直接お会いしたい、と申しております」とお話がありました。
 https://jp.bloguru.com/renshinkan/242691/2015-06-23
 そして、帆糸先生ご本人にも電話を代わって頂きましたが、その時は、本当に久し振りに緊張してしまいました。


 当時、「代ゼミ」の人気講師といえば、大教室の教壇の上でエネルギッシュに立ち振る舞う、ステージの上のスターのような存在でした。
 我々受講生は、客席から眩しくステージを見上げるような感じで、良い意味で、教師と生徒の間には圧倒的な距離がありました。
 約30年振りに帆糸先生のお元気な声を聴くことができ、まるで、若い頃に大ファンだったロックスターと直接会話を交わすことができたような、不思議な気持ちになりました。

 今年の1月から、苦手なパソコンと悪戦苦闘しながら、「ブログ」なるものに挑戦してきましたが、この時ほど、「何とか頑張って続けてきて、本当に良かった」、と思えたことはありません。



 当日、帆糸先生は和服をお召しになられ、息子さんとその奥様を伴われ、御年86歳とは思えない矍鑠としたお姿で練心館にお見えになられました。


 お若い頃からずっと剣道を修行しておられ(予科練時代は「薬丸自顕流剣術」もやられていたそうです)、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)で教鞭を執られていた頃は、大学の剣道部の指導もされていた帆糸先生ですが、20年ほど前より、「子連れ狼」の主人公「拝一刀」の流儀として有名な「水鷗流居合剣法」を始められ、今は「水鷗流」一本に専念され、修行を続けられているとのことでした。
 
 その長年に亘る武道歴からも、私なんぞはもう、「師匠」とお呼びする以外にないような圧倒的な存在です。



 私が帆糸先生の講義を聴き始めたのは、高3の夏休みの夏期講習からでした。


 「大学院を修了して高校教員をしていた」という私の経歴から、私のことを「子どもの頃から良くできた優等生」だったのだろう、と想像される方も居られるようですが、実際は全く違います。
 
 どちらかといえばかなりの劣等生でしたし、出身高校は大学進学実績など殆どない県立の新設校で、自分は、学校創立後3期生でした。
 その中でも成績は下の方でしたし(合氣道部の部長として合氣道だけに青春の全てのエネルギーを捧げるような高校生活を送っていました)、そもそも、「大学進学」というものを自分の進路として具体的に考え始めたのは、他校に通う幼馴染の友人に誘われて、この高3の夏期講習を受講し始めてからでした。

 初めて聴く大学進学予備校、代々木ゼミナールの講義が帆糸先生の英語の授業だったのですが、自分にとっては本当に衝撃的でした。

 始まりから終わりまで、完全にチンプンカンプンで全く理解不能だったのです。

 「世の中の本気で大学進学を目指している同世代の受験生たちは、こんなに難しい勉強をやっていたのか!」と、思い知らされただけでも、いい勉強をさせてもらったのかも知れません。

 その後、「帆糸先生の講義が理解出来る人間になる!」を目標に、2学期以降と一年間の浪人生活の間、帆糸先生の講義を聴き続けました。
 
 もちろんそれ以外にも、同じ「代ゼミ」で、現代文・小論文の酒井敏行先生、古文の椿本昌夫先生、漢文の田中三夫先生、政治経済の吉田一徳先生といった諸先生方にも本当にお世話になりました。

 お陰様で、実質1年半の受験勉強で、40にも満たなかった偏差値を、20以上アップさせることができました。
 今時流行りの「ビリギャル」程ではありませんが、今思い返してみても、我ながら良くやった方だと自負しています。
 しかし、その中でも、帆糸先生の講義は奥深く、難しかったという印象です。

 帆糸先生の英語講義のベースには、それまでの学校の英語の授業とは根本的に方法論や概念の違う、言語学に基づいた、独自の緻密な語法・文法の理論がありました。
 さらに、語彙力の増強には英英辞典を使いなさい、と仰られ、最初のうちは英英辞典の解説を理解するために英和辞典を引かざるを得ず、それが大変な労力を要するものでした。


 しかし今になって、後に自分が高校教員となってから聞かされた、あるベテランの先生(学校長まで務められ、既に一線を退かれた方でした)のお話と関連して、色々と考えさせられるのです。

 それは、「本当に良い授業とは?」という内容のお話でした。


 「本当に良い授業とは、果たして簡単に『わかる』授業なのか?・・・。」
 
 「簡単に『わかった!』となってしまった時点で、人間は、自らの頭で考えることを放棄してしまっているのではないか?・・・。」
 
 「それは単に『思考停止』『判断停止』をしているだけ、ともいえるのではないか?・・・。」

 「人間の脳味噌が一番活発に活動する時とは、『わからない・・・、でも、もっとわかりたい!』と、白でもなく黒でもない、グレーのもやもやしたものに対して、必死に向き合おうとしている時ではないのか?・・・。」

 「本当に良い授業とはむしろ、どこか『わからない・・・、でも、もっとわかりたい!』という、白でもなく黒でもない、グレーのもやもやしたものを、少しだけ生徒一人一人の頭の中に残してやれるような授業ではないのか?・・・。」


 帆糸先生のお陰で、英語の偏差値も当時はずいぶん上がりましたが、一方で、やはり愚鈍な自分にとっては、最後まで帆糸先生の講義は奥深く難解で、どこか「わからない・・・、でも、もっとわかりたい!」と、頭の中にもやもやしたものを残してくれるものだったと思います。





 ところで、以前、ブログのタイトルにもした帆糸先生の名言、「基礎ほど難解なものはない」という言葉は、先生の書かれた参考書『代々木ゼミ方式 帆糸英語一気シリーズ』(代々木ライブラリー)の「はしがき」にも書かれていました(※実家に帰って探し出しました)。

 「丸暗記は空に舞う凧と同じ、一度糸が切れたらもう決して戻って来ない。試験場で『度忘れ』した苦い経験があろう。どんな簡単なものでも、理解し納得して学習せよ。そうすれば、忘れても、理論の糸がたぐれるもので、きっと思い出せる。
 学問の苦手な人の唱えるお経は『基礎』。あたかも『基礎』と唱えていれば『怨霊退散』と信じているかのようである。『基礎』ほど難解なものはない。決して『基礎』と『愚書』とを混同してはいけない。基礎はただ暗記せよと言い、なんらの解説もせず、納得させようとしない本ほど腹の立つものはない。基礎はやさしいものと信じ、そのやさしい筈の基礎ができないと自己をなんと愚かな者かと考えていれば、それこそ『愚の骨張』である。くりかえす、基礎ほど難解なものはない。」
(『代々木ゼミ方式 帆糸英語一気シリーズ』帆糸満 著 代々木ライブラリー)


 大学院修了後、7年間だけ高校の国語科教員となり、ここ10年以上は合氣道の師範となっている自分は、今や、残念ながら、普段英語と接する機会もほぼなく、受験生時代に比べても、英語の学力は相当落ちていることと思われます。

 しかし、帆糸先生からは、合氣道師範としての今の自分の仕事に直結するだけでなく、人生万般にも活かすことのできる大きな教えを授けて頂いたと感謝しています。
 その教えを代表するものこそが、「基礎ほど難解なものはない」だといえます。

 「予備校講師は受験のインストラクターのようなもので、決して教育者などと呼べるようなものではない」と仰る方もいるようですが、自分にとっては、帆糸満先生は紛れもない「教育者」であり、「師」たる存在です。


 日本一有名な合氣道師範で、哲学者・思想家の内田樹先生は、以前、ご自身のブログに次のように書かれていました。

 「知識や技術の伝授という外形的な関係を経由して、『それとは違うこと』を学ぶのが教育である。
 知識や技術は商品化できる。単位も学位も商品化できる。
 けれども、『それとは違うこと』は商品化できない。
 それは師弟の対面的な関係の中で一回的に生起し、師弟二人のほかに誰もが経験することのできない唯一無二の『出来事』だからである。
 誰にとってもその有用性や価値がわかっているものだけが『商品』になる。
 一方、弟子はその師から『私以外の誰にもその有用性や価値が理解されないもの』を学ぶ(そうでなければ、『私』がこの世に存在し、その人の弟子である必要がないからである)。」
(ブログ『内田樹の研究室』、「ビジネスマンに大学は経営できるのか?」2008.1.22より)
※参照 http://blog.tatsuru.com/2008/01/22_1632.php





 当日、帆糸先生とは、トータルで2時間近くもお話させて頂きましたが(つい夢中になって長時間引き留めてしまい、大変申し訳ありませんでした)、最後に、長年気になっていて今回どうしてもお訊きしたかった、ご自身の、戦時中の特攻隊でのことをお伺いしました。

 「お辛い思い出でしょうが、戦争を知らない我々のような今の日本人に、貴重な証言として伝えて欲しい」と言ってお願いしました。


 帆糸先生は、昭和18(1943)年、旧制中学2年生の14歳の時に、海軍飛行予科練習生(予科練)である鹿児島海軍航空隊に入隊されたそうです。

 まずは、当時在籍していた旧制中学校の生徒たちに対して、「誰か志願する者はいないか?」と話があったのだそうです。

 当時の社会情勢下では、「自分は嫌です」などと言おうものなら、「非国民!」と罵られ決して許されるものではない、と皆が解かっており、身体的に問題のない者は、ほぼ全員が半ば強制的に自ら「志願」させられた、ということでした。
 恐らくは、ある者は本当に自らの意志で志願し、またある者にとっては、「空気を読んで」、「嫌々」、「仕方なしに」、「圧力に屈して」志願させられた、ということなのでしょう。 

 あの時代にあった諸々の出来事について、一律に、それは自らの「志願」なのか、それとも他者からの「強制」なのか、白黒はっきりさせようとする議論が、現代ではしばしば行われているようですが、それがいかに無意味なものかを思い知らされるような気がします。

 当の帆糸先生ご自身は、恐らく、自ら進んで志願されたのではないかと思います。

 当時の帆糸少年は、まさに「立派な」軍国少年だったそうで、元々は、旧制中学校ではなく陸軍幼年学校への進学を希望されていたそうですが、受験時の体調の問題から身体検査で落とされてしまったのだ、と仰っていました。

 自ら志願されて入隊した予科練ですが、一番辛かったのは、とにかく自由な時間がなかったことだと仰っていました。
 「一分でもいいから自分の自由な時間が欲しい・・・」という思いは、本当に切実なものだったそうです。

 もしも当時の帆糸先生に自由な時間が与えられたら、後に教育者になられるような方ですから、思い切り勉強や学問がしたかったのではないかと思います。
 恐らくは、「祖国を守る」の一念で予科練に入隊はしたけれども、「本当に自分がやりたいことは、特攻隊員として爆弾を抱えて敵艦に突っ込むことなどでは決してなく、本当はもっと勉強がしたい、学問がしたいんだ」と、幾度も心が揺れ動いたのではないでしょうか・・・。

 そんな予科練時代には、見付からないように便所にこっそりと隠れて、泣いたこともあったそうです。
 しかし、そこを運悪く内務班の班長に見つかってしまい、「隠れてメソメソ泣いとるとは何だ~!」と、こっ酷く怒られてしまったと仰っていました。


 昭和20(1945)年、8月15日の終戦の時点では、帆糸先生は、同じ鹿児島県内にある、水上特攻艇「震洋」の部隊に配属されていたそうです。

 あの、ベニヤ板を張り合わせて作られた貧弱なボートに、爆弾を載せて自ら敵艦に突っ込むという、悪名高き「震洋」ですが、余りにもちゃちな構造ゆえに、洋上の流木に当たっただけで壊れてしまったり、爆発してしまったりと、使い物にならないような代物だったそうです。

 飛び立って出撃するにも、乗る飛行機がすでになく、その後、新たに配属された「震洋」の部隊でも、出撃するにも、すでにボートもない、といった状況であったそうです。
 しかし、そのお陰で自分は生きているんだ、と帆糸先生はしみじみ仰っていました。

 敗戦、武装解除、部隊解散の後は、鹿児島の基地から福岡のご実家まで、ボロボロになりながら歩いて帰られたそうです。





 令和4(2022)年12月12日(月)追記。
 帆糸満(渡部十二郎)先生は、令和4(2022)年11月17日(木)に満93歳で
御逝去されました。
 先生とは実質、高校3年生の夏から一年の浪人生活の間、代々木ゼミナールの講義で生徒としてお世話になっただけの関係なのかも知れません。
 しかし、結果として自分の人生に深く影響を与えた運命的な出会いであり、恩師でありました。
 翻って、後に自分も人の師たることを生業とする身になりましたが、果たして自分は、誰かの人生に少しでも良い影響を与えられているだろうか?と省みてしまう、そんな歳になってきたことも思い知らされます。
 人生での、この帆糸満先生との素敵な出会いに感謝して、心より御冥福をお祈り致します。
 合掌。
#ブログ #合気道 #戦争 #武術 #武道 #特攻隊

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「正を以て合い、正を以て勝つ」ことは可能か?

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 お稽古の中でふと考えたことです。

 合氣道の基本の立ち方として、左足を前にする「左半身」、右足を前にする「右半身」というのがありますが、練心館ではつま先を「ソ」の字に開いて、お臍を中心に「正中線」を真っ直ぐ前に向けるように指導しています。

 実はこの立ち方、古流武術に照らし合わせると、「半身」ではありません。

 日本の伝統的な古流武術では、「正中線」を真っ直ぐ前に向ける姿勢を「向身(むこうみ、むかいみ)」といい、正式な「半身」とは、足を「丁」字、若しくは「L」字に開いて、「正中線」を45度から90度程相手から逸らす姿勢をいいます。

 ですので、練心館でやっている「左半身」「右半身」は、正式には「左向身」「右向身」というべきなのかも知れません。
 しかし、合氣道の世界では、大半の流派が「正中線」をしっかり前に向けた姿勢で、「左半身」「右半身」といっているので、合氣道用語として、今後もこのままでやっていくつもりです。

 一方で、合氣道の動きの中にも、古流武術でいう所の正式な「半身」もあって、練心館ではそれを「撞木足(しゅもくあし)」と呼んで、合氣道の「半身」とは区別しています。



 最近、お稽古をしていてふと思ったのが、日本の武道において、「まごころ」「誠心」というものをしっかりと目に見える形に現したものが、この「『正中線』を真っ直ぐ相手に向けた姿勢」といえるのではないか・・・?、ということです。
 合氣道開祖・植芝盛平先生の言葉にも、「愛のかまえこそ正眼の構えであります。」(『合気神髄』P129)というのがありました。
 そう考えると、古流武術に於ける「半身」いわゆる「撞木足」は、やはり「斜に構える」ということなのか・・・?と、思われてきました。



 「斜に構える」という言葉は、元々は剣術の「脇構え」から来た言葉だといいます。
 現在でも、古流剣術のいくつかの流派では、「脇構え」を「斜(車)の構え」として伝承しています。
 それが、「身構えて改まった態度をする」という意味になり、更に「物事に正面から対処せず、皮肉やからかいを込めた態度、ひねくれた態度で臨む」という意味にも転じてきました。


 
 そこで更にふと思ったのが、この「正中線を真っ直ぐ向ける」姿勢と、「斜に構える」姿勢は、そのままぴったり古代中国の兵法書『孫子』における「正法」と「奇法」に通じるのではないか・・・?、ということです。

 「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、尽きざること江河の如し。」(『孫子』勢篇第五)
 (現代語訳)「およそ戦闘というものは、先ずは定石通りの正法で会戦し、変化に適応した奇法でこれに打ち勝つのである。云々~。」

 考えてみると、「実戦武術」といわれるような流派・門派の戦闘法は、先ずは「正中線を真っ直ぐ向けた」姿勢で正対し、「斜に構えた」姿勢で相手の懐に入身して制する、といった技法が多いようです。

 個人的には、所詮は戦争などという人間の最も深い罪業の場面で、「いかに相手を打ち負かすか」という観点で書かれた兵法書である『孫子』の教えと、もっと壮大で、人類全ての平和と幸福を理想とした「愛と調和の道」である合氣道とは、相容れないものがある、と考えていますが、実は合氣道の技も、先ずはお互いが「正中線を真っ直ぐ向け合って」正対した所から、「奇」に転じて相手を制するものが多いように思われます。

 言い訳がましく聞こえるかも知れませんが、合氣道において、最初は「正を以て」合いながらも、「奇」に転じるように見えるのは、飽くまでも「相手の氣を尊び」、「相手の立場に立ち」、「相手と一体になる」結果であって、決して「奇」策・「奇」襲を弄して相手を制圧するということではない、とだけは言いたいです。



 何となく心の中がモヤモヤしたままなので、「正を以て合い、正(正中線、まごころ、誠心)を以て勝つ」ということが可能なものは何かないのか・・・?、とあれこれ考えてみた所、お付き合いさせて頂いている剣道家の先生(都内私立大学の教授で哲学者をされています)から以前伺った話を思い出しました。
 
 「長い剣道歴の中で数える程しかないが、お互いが渾身の「面」を打ち合った瞬間、お互いが正対したまま一方の竹刀が一方の竹刀の上に乗り、鎬で相手の軌道を逸らし、鮮やかな「面」が決まる瞬間がある」、と。
 「そしてこの瞬間は、一本を決めた方も決められた方も、言葉では表現できない程の爽快感があるのだ」、と。

 この技法は新陰流では「合撃(がっし)」といい、現代剣道のルーツである一刀流では「切り落とし」といって、奥義とされています。

 古来、日本剣術の奥義とされてきた「合撃」「切り落とし」、そして剣道における理想の「面の一本」こそが、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝つ」ものであった・・・?、というのは感慨深いものがあります。
 我々の合氣道も、体捌きのベースになっているのは剣術であり、練心館では剣技の型も稽古しています。



 元警視庁剣道主席師範で剣道界の重鎮でいらっしゃる、森島健男先生は、次のように述べられています。

 「かつて剣道には三百もの流派があったといわれるが、その主だった流派は相打ちの勝ちを極意として伝えている。
    いづれかを勝と定めむいづれかを
     負けとも申さむあひのあひうち
 どちらを勝ちと定めどちらを負けと申そうかと迷う程のきわどい相打ちであるが、そこに紙一重の厳しい勝負もあるものだということを歌ったものである。
 山岡鉄舟は、『剣法邪正弁』で『我が体を敵に任せ』と述べている。任せれば恐懼疑惑の迷いはなくなる。相手の出方によって臨機応変。自分を任せるということは自分が死ぬということ、つまり捨て身。心の問題であって技ではない。極限状況において死を決意すればそこに生きる道が開けるということであろうが、容易なことではない。だからこそ各流派が極意としたのであろう。竹刀剣道も極意は相打ちの勝ちである。」
(『日本の伝統 魂をみがく武道 明治神宮 至誠館』 明治神宮社務所編 卓球王国)



 また、陸上自衛隊特殊作戦群初代群長で、現在は鹿島神流師範として明治神宮武道場「至誠館」館長をされている、荒谷卓先生も次のように述べられています。

 「剣では、自分の身を餌に相手の間合いに入って、切らせに行きます。そのきっかけを自分で作れるかどうかが分かれ目で、相手が切ってくるのを待っているようではダメです。相手が動いてからではなく、自ら入身して、相手に切らせる場所とタイミングを自分で作り出すのです。それで相手の攻撃オプションを一つに限定させ、そこに攻撃を加える。相手が‟やった、これでコイツを切れる”と思うまで自分を追い詰める、それが‟入り身”という技と‟捨て身”という精神で、日本の武道で一番大切なところです。」
(『Strike And Tactical』 2010年7月号 カマド)



 森島健男先生が「相打ちの勝ち」と仰り、荒谷卓先生が「捨て身の精神と入り身の技」と仰っていることは、古来、日本剣術の奥義であり、恐らくは、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝つ」ということに通じるものだと思います。

 しかし、命を懸けた真剣勝負でこれらを実践することは、文字通り「容易なことではない」でしょう。
 
 そう考えると、日本の伝統的武術・武道が打太刀(受け)と支太刀(取り)の一対になって形稽古をすることの意味や、剣道で防具を付けることの効用は、命の危険なく誰もが安全に「捨て身で入り身する」稽古ができる、ということ。
 つまり、誰もが「相打ちの勝ち」を目指し、誰もが「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝ち」にいく稽古ができる、ということではないかと思います。



 純粋に試合に勝つための、スポーツゲームとしてやっておられる方はどうか知りませんが、本来、日本の武道では、自分が100%の力を発揮するだけではなく、相手にも100%の力を発揮してもらうことこそが大事でした。
 
 例えば現在でも、剣道の試合中に、突然相手がよそ見をしてボケーっと考え事を始めたからといって(常識的に考えてそんなことは普通あり得ませんが)、これ見よがしにそこを狙って、渾身の力で相手を打ちのめしたとしても、そんなものが、相手の隙を衝いた理想の「一本」であるなどとは、誰も認めてはくれないでしょう。
 
 相手にも100%の力を発揮してもらうということは、捉えようによっては、それは敢えて自らを危険に晒すことです。
 これはまさに「捨て身」になることにも通じ、武士道精神としては、潔く、美しいものだと言えます。

 しかし、これを実戦で応用できるのは特殊部隊の突入作戦や、圧倒的戦力差がありながらも、護身のため起死回生を狙うギリギリの状況下であって、飽くまでもこれは、国家レベルでのリアルな戦争の常套手段とすべき方法ではないでしょう。



 これは飽くまでも個人的な見解ですが、70年前の先の大戦では、「武士道精神の潔さ、美しさ」と「戦争のリアリズム」との間に、大きな齟齬があったのではないかと感じています。
 日本人に馴染んだ「武士道精神」に則って、実戦の場でも、どこまでも人間の崇高な精神を重視し、信頼しようと試みた結果、却って非人間的な悲劇を生んでしまったということに、歴史の皮肉を感じざるを得ません。



 「戦争のリアリズム」に則した実戦の戦闘法は、やはり、海外の実戦武術や勝利至上主義のスポーツなどでは常套手段となっている、「相手の力を1%も発揮させずに、こちらだけが一方的に100%の力を発揮して相手を打ち負かす」ということだろうと思います。
 現在、その究極の姿が、アメリカ軍などによるドローンを使用した一方的な攻撃だといえるでしょう。
 しかし、日本人の「武士道精神」から見ると、それは「卑怯」極まりなく、決して受け入れ難いものです。



 結局、やはり日本の「武」は、実戦で相手を打ち負かし勝利するための、合理的な戦闘術・制圧術としての「武術」などでは決してなく、人間を磨き、心を磨き、魂を磨く「武道」である、ということだと思います。
 
 そしてやはり、日本の「武道」の神髄は、平和の中でこそ活きるもの、だと思います。

 平和な世の中で、一人一人の人間が、潔く、美しく、生きるためのヒントになるもの。
 それこそが、日本だけが生み出すことのできた、世界に誇るべき精神文化である、「武道」ということだと思います。



 自分も、せめて「人生」の中においては、時には事に臨んで、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て、捨て身で入り身」できる人間になりたいものだと思っています。



 何だか今回は、『孫子』を引用したせいなのか、話が終始「実戦」とか「戦争」とかいった殺伐としたものになってしまってすみません。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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無償の遊戯性

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 10月3日(土)の夜、NHK・Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」という番組で、言わずと知れた「さかなクン」と、静岡文化芸術大学教授で歴史学者の磯田道史先生の対談が再放送されていました。

 実は自分、「さかなクン」の大ファンでして、当初、7月下旬に放送された時もしっかりと番組をチェックしていました。

 テレビで「さかなクン」を視ていると、微笑ましく、羨ましいような、憧れるような、不思議な気持になります。
 彼の、自分が大好きなことに、とことん夢中になりながら、生き生きと目を輝かせて、楽しそうにお魚の話をする姿は、視ているだけで幸せな気持になります。
 それに、「さかなクン」を視ていると、「この人は、つまらぬことで腹を立てたり、人を怨んだり、妬んだり、一切しないんじゃないか・・・?」とまで思えてきます。
 もちろん、彼も人間ですから、我々の知らない所で、人知れず悔しい思いをしたり、腹を立てたりすることもあるのでしょうが、人前ではそんな所を微塵も感じさせないのが格好良く、憧れてしまいます。


 
 一方、対談相手の磯田道史先生は、映画化もされた『武士の家計簿』の著者で、子どもの頃からの筋金入の、自他共に認める歴史「オタク」だったそうで、「さかなクン」に対しては、「自分と同じ匂いがする」と仰っていました。
 それは例えるならば、「虫取り網を持って蝶をどこまでもどこまでも追い続けていた結果、いつの間にか、誰も到達したことのない山の高みにまで来てしまった」ようなものだとも仰っていました。



 そんな、分野は違えど一つの道を窮めんとする二人の対談は、合氣道の道を窮めんと日々精進する自分にとっても、大変勉強になるものでした。



 対談の中で、磯田先生は、所謂「オタク」である両者に共通する行動原理として、「無償の遊戯性」というキーワードを使って説明しておられました。

 「無償の遊戯性」で行動する人間にとっては、結果の損得は関係なく、ただ楽しいからやる、むしろ遊びとしてやる、のであって、この「無償の遊戯性」を江戸の言葉で言い換えるならば、それをまさに「道楽」というのだそうです。

 思わず目から鱗が落ちる思いとはこのことでしょうか。

 昔から「道楽」という言葉は、物好き、放蕩、不品行といったマイナスイメージで語られることも多かったと思いますが、「道楽」とは、まさに「道」を「楽」しむと書くわけで、武「道」も合氣「道」も、どうせやるなら「道」を「楽」しんでやれたら、それは理想的ではないかと思います。



 更に磯田先生は学者の立場から、こんなことも仰っていました。

 「無償の遊戯性」を持って研究している人は、「一生懸命労力をかけて研究しても、成果が得られなかったらどうしよう・・・」などとは決して考えず、ただ楽しいからやるのである、と。
 そして、研究者には、成果や損得で考えてしまうと、どうしても乗り越えられない壁が存在するのだと。



 これは合氣道修行にもぴったり当てはまることだと思います。

 練心館を含め、現在、世の中の殆どの道場が級・段位制を採用していると思いますが、級・段を取得するために必死に頑張るような努力の仕方は、全くの初心者のうちは確かに一定の効果があります。
 しかし、いつまでもそのような成果や損得を求める姿勢での取り組み方を続けていると、目に見える判り易いものしか求めなくなってしまい、結果、中身のない形骸のようなものになり果ててしまうことが多いようです。
 むしろ、本当の実力とは、丹田や氣の感覚、心身統一といった、形に現われない判り難いものの中にこそあるのであって、稽古を通じて、そうした本質的なものを構築していくためには、試行錯誤を繰り返しながら探究していく過程である「道」そのものを「楽」しめるようでなければなりません。


 
 また、この「無償の遊戯性」というキーワードは、あらゆる分野で「ブレイクスルー」を達成するための条件だとも言えるのではないかと思います。

 私は専門家ではないので決め付けることはできませんが、絶滅種とされていたクニマスの発見も、学界の常識に囚われない、在野の研究者であり、「無償の遊戯性」を持って「道」そのものを「楽」しんでいた「さかなクン」がいたからこそ、達成することのできた「ブレイクスルー」ではないかと考えます。

 今後、あらゆる分野で「ブレイクスルー」を達成できるような人材を育てようとするなら、必要なのは熾烈な競争原理と成果主義などでは決してありません。

 「無償の遊戯性」を持って「道」そのものを「楽」しめるような人間を、温かく見守ってやれる社会、これで十分なのではないでしょうか?
 少なくとも、そういったタイプの人間にとっては、高額な報酬も、特別な待遇もあまり興味の無いことなのではないかと思います。



 番組の最後の方で「さかなクン」も素晴らしいことを仰っていました。

 (彼らのような)オタクと呼ばれるような人たちは、自分自身が納得するためにひたすら追究し、そこで色々なことが見えてきて、色々な喜びを得る。
 しかし段々と、「自分一人だけで自己満足しているのがもったいない」と思うようになってくるのだと。
 そして、自己満足している段階ではまだアマチュアの域を超えないけれど、「この感動を誰かと共有しないともったいない」と思うようになってくると、それが仕事に繋がったりもし、アマチュアからプロへと変化していくのだと。



 私事で恐縮ですが、10年前、自分が練心館の館長を継いだ時の気持ちが、まさにこれでした。

 「さかなクン」が、かつての自分の思いを代弁してくれている。

 そう考えると、特に魚に関して詳しくもない自分が、何故か「さかなクン」に惹かれてしまうのは、磯田先生と同じように、「自分と同じ匂いを感じてしまう」ということがあるのかも知れません・・・。



 話は変わりますが、以前は、よく周りの人たちに冗談で、「自分は合氣道界の内村鑑三になりたい」などと言っていました。
 
 内村鑑三は、立派な教団組織や立派な教会の建物がなくとも、純粋に信仰に生きることは可能であるとし、「無教会主義キリスト教」というものを提唱しました。
 しかし一方で、彼は既存の教会を否定することは決してしませんでした。
 無教会主義は決して反教会主義ではない。
 そこが内村鑑三の素晴らしさであると個人的には思っています。

 合氣道練心館も、大きな組織や立派な建物はなくとも、純粋に合氣道の奥義を追究することは可能であるとする、言わば、「無団体主義合氣道」を目指しています。
 そして私たちも、既存の合氣道団体、組織を否定することはしません。
 それぞれがそれぞれに、天から与えられた大切な役割があり、それらを全うすることが天から与えられた使命だと考えます。



 近頃は、「合氣道界の内村鑑三」に加えて、もう一つ、「自分は合氣道界の『さかなクン』になりたい」というのを追加しようか?と考えています。

 自分も、「無償の遊戯性」を持って、「道」そのものを「楽」しむことで、いつの日か「ブレイクスルー」を達成できたら・・・、本当に素晴らしいと思いました。



 最後に、最近、「さかなクン」のことを改めて見直したエピソードを紹介します。



 今年の夏は、太平洋側の海水浴場のあちこちでサメが出没し、遊泳禁止になったり、防護ネットを設置したりと、色々と騒動になりました。

 そんな最中、夜遅くNHKの「NEWS WEB」に「さかなクン」が出演し、コメントを求められていました。
 
 自分はてっきり、「どうやったら恐ろしいサメから身を護れるか」とか、「どうやったら獰猛なサメを撃退できるか」といった話が聞けるものだと身構えていました。
 コメントを求めたキャスターもそういう意図だったのではないかと思います。

 ところが、「さかなクン」のコメントはその期待を見事に裏切ってくれるものでした。

 「さかなクン」曰く、
 「サメちゃんは、人間がこの地球上に現われる遥か昔の太古の時代から海に棲息している、言わば海の大先輩であると。」
 「サメちゃんは、確かに危険な魚かも知れないが、無暗矢鱈に人間を襲ったりは決してしないのだと。」
 「なので、徒にサメちゃんを悪者扱いし、嫌ったりして欲しくはないのだと。」



 サメ(ちゃん)に対する「さかなクン」の、愛に溢れるコメントを聞いて、自分はまたもや、目から鱗が落ちるような思いがし、心の底から反省しました。

 考えてみれば、海はもともと人間のためというよりは、魚たちが棲息するためのフィールドであり、そこに人間にとって都合の悪い魚が現われたからといって問題視するのは、まさに人間の身勝手というものでしょう・・・。

 自分は合氣道師範をしていますが、合氣道の大切な教え、「万有愛護の精神」は、少なくとも、自分なんかよりも「さかなクン」の方がよく解かっていらっしゃる、と猛省させられた次第です。
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仏教の二重構造 合氣道の二重構造

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 ほぼ3カ月振りの投稿です。

 そして話はやはり3カ月程前のことになってしまいますが、深夜にNHKのEテレで放送していた番組を視て、合氣道のことについて色々と考えさせられました。

 それは、普段は水曜日の夜10時から放送されている「100分de名著」という番組で、その時は『ブッダ最期のことば』というタイトルで、全4回が一挙再放送されていました。
 内容は、お釈迦様の最後の教えと言われている「涅槃経」を、仏教学者で花園大学教授・佐々木閑先生の解説で分かりやすく説くものでした。

 その中で佐々木先生は、「仏教の二重構造」という話をされていました。

 この「二重構造」というものは、合氣道の世界にもぴったり当てはまるものであり、この「二重構造」を、何とか一つにまとめて解消できないものか?というのが、ささやかながらも自分の長年の問題意識でもありました。



 佐々木先生の仰る「仏教の二重構造」とは、一方が「出家修行者(※修行者集団である、サンガ・僧伽)」であり、一方が「在家信者(一般社会)」というものです。

 「出家修行者(サンガ)」の目的は、修行によって、煩悩を吹き消した状態である「涅槃」、いわゆる「悟り」の境地に入ることであり、それは、普通の人間社会では叶わない「特別な生き甲斐」を求めることだとも言えます。

 一方、「在家信者(一般社会)」の目的は、「布施(善行)」を行うことで、いわゆる仏教思想「因縁果報」でいうところの、よき「果報」を得ることだと言います。

 普通ならば、「在家信者(一般社会)」の側だけで人間社会は成り立っているのですが、彼らは敢えて「お布施」をすることで、「出家修行者(サンガ)」の人々の生活を支え、その代わりによき「果報」が得られると信じる。
 一方で、「出家修行者(サンガ)」は「在家信者(一般社会)」が納得するような立派な修行の姿を見せて、満足を与える。

 佐々木先生は、この「二重構造」こそが、この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織のあり方だ、と仰っていました。
 そして、今までに無いような新しい文化を生み出せる人たちは、「出家修行者(サンガ)」のような、一般社会の文化の価値観の外側にいる人たちである、とも仰っていました。



 この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織は、この「二重構造」で成り立っている。

 何となく解かるような気がします。



 数年前、パワースポットブームというものがありました。

 どこそこの神社やお寺にお参りすると、運気が上昇するとか、宝くじが当たるとか、素敵な恋人ができるとか、色々と喧伝され、場所によっては、あまりに大勢の人が押し掛けてしまい、問題にもなっていました。
 テレビでは、経済アナリストと呼ばれる人たちが、パワースポットブームによる経済効果は云々で実に素晴らしい傾向である、などと評価していました。

 しかし、当のパワースポットブームの仕掛け人(?)ともいうべき、そして「パワースポット」なる言葉を世に知らしめた張本人である、かの江原啓之さんは、そんなブームをやや苦々しく語っていたのが印象的でした。

 パワースポットとは、本来、神仏の前で、自分が更に努力・精進します、と決意を固めるために行く場所であって、お金や異性、名誉や出世などの現世利益を求めて行く場所ではない、とのことです。

 しかし、皮肉にも、そうした現世利益を求める人々が大勢押し掛けることによって、多くの寺社仏閣が潤い、組織運営面では支えられた、というのも事実でしょう。
 
 まさに、パワースポットに集う多くの人々=「在家信者(一般社会)」の目的は、お参りしたり御札や御守を買う=「布施(善行)」を行うことによって、現世利益=よき「果報」を得ようとすること。
 
 一方で、江原啓之さんのように「スピリチュアリスト」と呼ばれるような、ある種の「出家修行者(サンガ)」に属するような立場の人にとっては、神仏の御前で己の更なる努力と精進を誓うといった、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」こそが魂の喜びであり、そういった意味でもパワースポットを訪れることには深い意味がある、ということなのでしょう。



 合氣道の世界も、まさにこの「二重構造」で成り立っているといえるのではないでしょうか。



 今や合氣道は、日本中、世界中の人々に広まっていますが、そうやってお稽古している人々のその大半は、合氣道とは、相手を投げ飛ばして抑え込んでやっつけるための技だと思っている、という実情があるのではないでしょうか?
 本来、合氣道はそんなものではないのですが、こういった状況は結果として仕方なく生まれてしまったものだと、個人的には思っています。



 世間一般では、武術・武道とは、鍛えて鍛えて「強く」なって、その「強さ」に物言わせて相手をやっつけるものである、という認識が多いようです。
 しかし、己の「強さ」を根拠にして他者を制圧する、ということが成功する場合、それが成功するのは、間違いなく相手の方が「弱い」からである、という図式が成り立ちます。
 スポーツゲームの試合では、それでお互いが正々堂々とぶつかり合い、遊びとして勝敗を競うものなので構いませんが、その方法論を実社会で実践することが、いわゆる「弱いものいじめ」だと個人的には考えます。

 そもそも、古来「武術」に於いては、「強くなる」という発想はなかった筈です。

 ルールも審判も制限時間もない戦闘では、襲撃する時は、武器や人数を最も「強い」安全な状態に、準備万端整えてから行うのが理想であり、逆に襲撃される時は、武器や人数なども含めて、最も「弱い」状態の時が一番狙われました。
 つまり、命を懸けて戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまった時とは、基本、相手のほうに分がある状態であり、そういった絶体絶命の状況下、何とか命だけは守れぬものか、という場面で「術」というものが要求され、そこから「武術」というものが発展してきたと言えます。
 
 「強くなる」ではなくて、そもそもの初期設定が、自分のほうが「弱い」から始まります。

 その結果、「武術」では表面的な「強さ」ではなく、全く「質」の違う身体操作や、「心法」としての精神性が発達しました。

 そして時は流れ、開祖・植芝盛平先生は、「武術」の「質」を土台にして(※魄)、その上に、闘争という低次元の世界から脱却した、愛と調和の花を開かせる(※魂)、真の「武道」、合氣道を創始されたのです。



 しかし今、この植芝盛平先生の高尚な合氣道の思想は、合氣道を習う多くの一般の生徒さんたちや各学校のクラブ活動の部員さんたちには、なかなか理解されていないのが現状ではないでしょうか?



 戦後、合氣道は日本中、世界中に広く大きく発展しました。

 しかし、入門者の中には、安易な闘争術・制圧術としての「強さ」を求めている者も多く、組織を大きく維持するため、有体に言えば、顧客満足度を高めるためにも、手っ取り早く相手を痛め付ける技を教えたり、ポンポンと簡単に昇級・昇段させたりせざるを得ない、という現状があることは否めないと思います。

 一方で、合氣道の世界には、依然として、尊敬すべき素晴らしい師範・先生方も数多くいらっしゃいます。こういった先人たちの深みのある言葉から、私自身、いつも多くを学ばせて貰っています。
 そして、これらの先生方に共通する特徴として、心の修行にこそ重点を置かれておられ、安易な闘争術や制圧術などには殆ど興味がないように感じられます。

 高名な師範や先生方は、仏教に譬えるならば、言わば「出家修行者(サンガ)」の側の人々であり、彼らの目的は、修行によって万有愛護の心を持ち、延いては己自身を宇宙そのものと一体化すること。つまり、俗世間では叶えられない「特別な生き甲斐」を求めて、日々精進されていると言えます。

 逆に、一般生徒の多くは「在家信者(一般社会)」の側の人々であり、彼らの目的は月謝という「お布施」によって組織・団体という「サンガ」を支え、その代わりに「強くなる」という「果報」を得ようとする、といった所でしょうか・・・。



 前述した仏教学者、佐々木閑先生は、世の中にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織はこの「二重構造」で成り立っており、これが正しい在り方なのだとも仰っていました。

 しかし実は、10年前、私が練心館の館長を継いだ時、心に描いた理想が、この「二重構造」を何とか一本にまとめられないものか、というものでした。

 そして最近、手前味噌な言い方で甚だ恐縮ですが、練心館のような小さな道場だからこそ、この「二重構造」は解消できるのではないか、と思えるようになってきました。

 大勢の人が集う巨大組織ならいざ知らず、練心館のような少人数の小さな道場では、師範と生徒の距離が近く、何事も細かく丁寧に教えることができます。
 
 開祖である植芝盛平先生の説かれた教えを尊重するならば、合氣道の道場とは、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」を求め、それが得られる、修行者集団「サンガ」のような場所であるべきだと考えます。

 そういった意味では、道場という組織・集団に「二重構造」があるのではなく、先ずはそこに集う人々、一人一人の内面にこそ、二つの世界(「二重構造」)を持ってもらうことが先決です。

 普段は企業戦士として、あるいは受験生、就活生として、熾烈な競争社会の中で必死に戦っているような人でも、一歩道場の中へ足を踏み入れれば、そこでは勝ち負けとか強い弱いとかいった、俗世間の価値観から解放され、「万有愛護」「我即宇宙」といった普通の人間社会では叶わない種類の、「特別な生き甲斐」が得られる。
 
 練心館も、そんな場所として完全に機能することができたとしたら、合氣道の道場としては、まさに理想的ではないかと思います。



最後に、合氣道開祖・植芝盛平先生の言葉を引用します。

 植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。
 真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙の中心に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと練磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです。(『武産合氣』P192)

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基礎ほど難解なものはない

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 前回の続きです。

 たしか前回、
 「合氣道の修行も、主体性を持って、自分のどこをどう直して、どこをどう伸ばして行くべきか、きちんと目標を定めて、真にやる気を出して精進して行けば、いずれは、最初に習った地味な『基礎・基本』の中にこそ、究極の『奥義』が隠されている、という事実を思い知らされる。」
 そんな意味のことを書きました。



 練心館では今、年に二度(6月末と11月末)行われる昇級審査に向けての稽古の真最中です。
 そしてこの時期になると、毎回、しみじみと感慨深く思い知らされるのが、「やっぱり『基礎・基本』=『極意・奥義』なのだなぁ・・・」、ということです。

 そして必ず、そのことを最初に「熱く」教えてくれた、ある先生のことを思い出します。



 その先生というのは、今から30年近く前に代々木ゼミナールの‟個性派”名物英語講師だった、帆糸満(ほいとまん)先生です。

 帆糸満というのは本名ではなく、アメリカの詩人Whitmanから取ったペンネームで、本名は渡部十二郎先生と仰られました。
 この文章を読んで下さっている方の中に、帆糸先生の教え子は居られるでしょうか?
 私も「オクスフォード現代英英辞典(OALD)」片手に悪戦苦闘しました。今となっては本当に懐かしい思い出です。



 帆糸先生の名言として、「基礎ほど難解なものはない!」というのがありました。

 凡そ学問において(それが受験勉強であっても)、「基礎」とか「基本」と呼ばれるものこそが最も奥深く、難解なのである、と。
 しかし、世間では「基礎」や「基本」は簡単なものであるという誤った認識がまかり通っており、そうやって根本的な勘違いをしたまま、簡単であるはずの「基礎」や「基本」で躓いてしまう自分を嘆いたり、失望したり。
 それこそまさに、愚の骨頂である、と。



 今になって考えてみると、自分は、帆糸先生から、自分が思っている以上に大きな影響を受けているのではないか?、と思います。
 受験が終わってから、なぜだか自分でも解らないけれど、唯一、お礼の挨拶に伺ったのも確か帆糸先生だけだったと思います。
 代ゼミの大教室で、向こうはこちらのことなど覚えているわけはないのに・・・、です。



 帆糸先生は剣道家で、戦時中は少年飛行兵として特攻隊の訓練を受けていた、と聞きました。

 そんな先生は、戦争というものを心の底から憎んでおられました。
 一度は「祖国のために命を捧げる」と腹を括った人間が、その後、戦争というものがいかに愚かな行為か、切々と訴えているのを見て、18歳だった自分は、「理由は何だかよく判らないけれど、この人の言葉は真に信用に値する」と感じていました。
 そして、自分のような、戦争の惨禍を身をもって経験せず、戦後の豊かで平和な日本に生まれ育った人間が、口先だけで勇ましいことを言うのは絶対に許されない、それこそが真の「平和ボケ」である、と自分を戒めたのを今でもはっきり覚えています。

 戦後70年経ちました。
 時代の変化とともに国の形も変わって行くのは、致し方ないことなのかも知れません。
 しかし、いつの頃からか、口先だけで勇ましいことを言う、真の「平和ボケ」が、日本中であまりにも増えてきたように感じます。
 今、帆糸先生ならどうお感じになられるか?、とても気になるところです。



 同じように、この日本において、武術・武道の世界でも、徒に、勇ましく「実戦」などという言葉は使用すべきではない、というのが私の個人的な考えです。

 勿論、私は未だかつて、武道の技を「実戦」で使ったことはないし、今後も使いたくもありません。


 思い返せば、過去に、電車の車内暴力を止めたことはありますし、高校教員時代に、生徒指導上必要に迫られて、反抗・抵抗する男子生徒を合氣道技で制して(※飽くまでも無傷で、です!)連行する、といったことはありましたが、そんなものは絶対に「実戦」などと呼べるものではありません。

 「実戦」とは、殺意を持って襲撃してくる「敵」を、こちらも殺意をもって制圧し、止めを刺すことです。あるいは、逆に、こちらが止めを刺される可能性も大きいでしょう。
 アクション映画のように格好のいいものなどでは決してなく、スポーツ格闘技のように痛快なものでもなく、「命の重さ」という大切な「人間の尊厳」を最も踏み躙る、極限まで汚く、恐ろしく、悲しいものです。

 治安の悪い国で活躍されている海外の武術家の中には、本当に「実戦」経験の豊富な方も数多くいらっしゃるようですが、せっかく平和に過ごしている日本人が、そんなものに憧れたりするのも、ある意味、「平和ボケ」だと個人的には思っています。

 「実戦武術」のような、場合によっては、人間性までもを歪め兼ねない殺伐としたものは、できることなら海外の武術家たちに任せておいて、「和」の国で暮らしている我々日本人は、崇高な精神性を重んじる、人間修行の道である「武道」こそを、我が国の誇りとして世界にアピールしていくべきではないでしょうか・・・。



 何だか話がどんどん脱線してしまったようなので、元に戻します。



 帆糸先生は、学問において、「基礎ほど難解なものはない」と仰いましたが、これは武術・武道の修行においてもぴったり当てはまることです。

 さまざまな流派・門派の多くの師範・先生方が、その道の「基礎・基本」と呼ばれる形や鍛練法の中にこそ、究極の「奥義」が隠されている、と仰っています。

 空手では「ナイファンチ」や「サンチン」、あるいは「ピンアン」。八卦掌では「走圏」。意拳では「站椿功」。鹿島神傳直心影流では「法定」。天真正伝香取神道流では「表之太刀」。新陰流の「合撃」や一刀流の「切落し」、薬丸自顕流(野太刀自顕流)の「抜き」と「蜻蛉の構えからの続け打ち」、等々、言い出したら限がありません。



 練心館では、大人の場合、最初の昇級は伍級の審査からです。
 なので、伍級の独習技(一人型)と組技(形)の中にこそ、合氣道の奥義が隠されている、と言えます。

 しかし、より厳密に言えば、合氣道開祖・植芝盛平先生が「合氣道に形はない」と仰っているように、形のない「心身統一と氣の原理」にこそ合氣道の本質があるわけで、具体的な形を持った技の数々は、その本質を宿すための、ある種の「依代」のようなもの、というのが正確なのかも知れません。

 ともあれ、我々合氣道修行者にとって、最初の山であり、最初の壁でもある「基礎・基本」。これがこの先ずっと目の前に立ち塞がる一生のテーマになるであろうことは間違いありません。


 だから、合氣道の昇級を、今時流行りの「ゲームのステージ〇〇をクリアする」というような感覚で捉えては絶対にいけません。

 伍級を取ったら次は肆級、そしてその次は参級、弐級と昇級を目指して行くことになりますが、たとえその後、段位を取ったとしても、それは「級」のステージを完全にクリアした証だ、などという意味では決してありません。


 修行の過程で、伸び悩むというようなことがあったとしたら、それは理由は簡単です。
 「基礎・基本」ができていないからです。


 もしも長い修行の果てに、合氣道の奥義を体得する、というようなことがあるとしたら、それは、「基礎・基本」を揺るぎない完璧なものに仕上げることに成功した、ということだと言えると思います。



 ある意味で、最近は良い時代になりました。
 最近、「Youtube」で色々な合氣道の動画を視ていたら、その中の一つで、藤平光一先生が素晴らしいことを仰っていました。

 曰く、「たくさんの技を覚えるよりも、一つでも二つでも良いですから、本当に心身の理に適った、正しい技を学んでもらいたい。」、と。

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