FEAR
とは下記の頭文字のことだと聞いた。
False
Evidence
Appearing
Real
簡単に日本語で言うと、「妄想」のことなのだろう。
2013年も大詰め。残すところあと数日となった。
“2014年は、何をテーマとするか?”
12月に入ってからずっと自問していた。
FEAR(妄想)とは、
もしXXが起きたらどうしよう・・・
とか、
もしOOを失ったら大変だ・・・
と、起きていないことや失っていないことへ憂い、
それが自分の言動や判断へ大きな影響を与え、
あらゆる夢や希望や可能性をつぶす。
そして、
妄想に自分の思考が支配されていることへ、私たちは気付いていない。
“FEAR”
英和辞書に「恐怖」とある。
恐怖とは自分の中の妄想からくるもの。
2014年の目標は、
「妄想がつくり出す恐怖」
とは無縁の年にしようと思う。
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世の中のほとんどのことは
「進んでみなければ、先が見えない」
とつくづく思う。
何か行動を起こそうとして、
そのための準備計画は当然必要になる。
でも、
完璧に準備ができるまで、、、
絶対に上手く行く方向性が定まるまで、、、
不安や心配をすべて解消するまで、、、
では、いつまで経っても前へ進めない。
物事は、
やってみなければわからない
取り敢えず第一歩を踏み出して見ないと先が見えない
だから、
ある程度の準備ができたら、
取りあえず“見切り発車”をしてみる。
それにより、
▷ 当初予想もしていなかった良いアイデアが湧いてきたり、
▷ 練った計画が頓挫し大きな軌道修正を初期に実行できたり、
▷ 場合によっては、その計画自体を辞める判断ができたり、
「石橋を叩いて渡る」
という“慎重な人”を例えた諺がある。
前に進まずにいつまでも同じ所を叩き続け、
沢山の時間とエネルギーを浪費し
せっかくのチャンスを逃し
そして、挙句の果てに橋を壊してしまうから、
橋は渡れないんですよね。
「石橋を叩いて壊す」
という“決断を出来ない人”を例えた諺へ訂正したほうが、現実的だと思う。
この「石橋」は、“可能性”を意味するのではないだろうか。
恐怖は恐怖を呼び、やがて石橋(可能性)を壊す。
勇気を持って、石橋を叩かず渡ってみようと思う。
夢と希望はいつも勇気の延長線上にしかない。
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「小善は大悪に似たり、
大善は非情に似たり」
人から助けを求められ、何とかしてあげたいと思うことはある。
ましてや、それが家族や友人であればなおさらのこと。
しかし、
短絡的に良かれとすることが、本人にとって本当にいいこととは限らない。
他からの助けに依存し、自分で解決しようとしない人もいる。
人によっては、その一時的な苦難を自力で乗り越えることが必要な場合もある。
甘やかしは“小善”。
時として厳しさを伴うのが“大善”。
私は過去に沢山の小善をしてきた。
本人たちのためにならない一時的な対処であった。
その行為により、私へ被害・損害が降りかかってきたことも何度もある。
Give a man a fish and you feed him for a day.
Show him how to catch fish; you feed him for a lifetime.
その場しのぎではなく、長期的な解決へつながる助けを心がけるべきなのだろう。
第一に、
自分が助けを求める事態に極力ならないよう、責任を持った人生を歩み、
そして、“本当に必要な助け”は、与えられる人間になりたいと思う。
人生は、“善”の与え合い。
本当の意味で、
非情にはなれない。
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これは自他共に認める史上最強の柔道家、山下泰裕氏の言葉である。
彼は、子供のときから体が大きく、力を弄ばせていたそうだ。
有り余った力で悪さをしないようにと、父と祖父がその精力を柔道へ向けさせたのが始まり。
その後、メキメキと頭角を現し、
歴史に名を残す偉大な柔道家となったのは衆知の事実。
山下氏は、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎氏の言葉、
「精力善用」
を自分なりに解釈してこの言葉へ置き換えたという。
誰でも天からの特別な能力を与えられている。
他の人ではなくて、あなたへ与えられた特別の能力である。
山下泰裕氏にとっての柔道、
それに匹敵する能力をあなたも持っている。
芸術や音楽、スポーツ、特定の技術、
教育、研究、開発力、
文才、人とのコミュニケーション力、リーダーシップ、
などなど。
天から与えられた能力、それに打ち込む熱意、
それらは、使い方を誤ると、大きな反社会的な力ともなりえる。
山下氏が、その有り余る力を悪用していたら、
暴力団の組長として社会へ悪影響を与えていたかも知れない。
彼は柔道を通じてそのことを自覚し、
嘉納治五郎氏の「精力善用」を自分なりに、
「能力善用」
と理解した。
私も、天から与えられた能力を認識し、
それらを社会のため、自分のために善用したいと思う。
それは、
自分がこの世に生を受けた目的・使命ともつながる。
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この物質社会では、
すべての人間関係に遅かれ早かれ物理的な別れが必ず来る。
表面上では、
仲違いや喧嘩別れだったり、疎遠になったり、離別や死別、失恋や離婚、などなど。
いつかは“別れ”が来る。
見方を変えれば、
出会った瞬間から“別れ”へ毎日近付いているとも言える。
“人と人はエネルギーを交換するために会う”と聞いたことがある。
すべての出会いは必然の引き寄せによって起きている。
エネルギーを与え、エネルギーを受けるために出会う。
不必要な出会いはひとつもない。
あなたの周囲にいる人たち。
全員との「別れ」が待っている。
それまでの時間をどうすごすか?
良いエネルギーの交換をしているか?
どういう別れにするか?
今までそういう観点で人間関係を見たことがなかった。
そのことがわかると、周囲の人たちへの意識が変わってくる。
もっと人との関わりを大切にしたいという気持ちが自然と湧き上がってくる。
物理的な別れとは別に、
魂同志が永遠につながる関係もある。
別れは必ず来る
別れは永遠に来ない。
二つの相反することが存在する。
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先祖がいるから今の自分がいる。
両親二人の血
祖父母四人の血
その前の8人、そのまた前の16人、、、
一体どれだけの先祖がいて、今の自分があるのか。
つい先日、
「先祖の供養」
ということをある人から言われるまで、
恥ずかしながら上記のことが私の意識になかった(汗)。
“自分の力で生きている!”
なんて思っていた時期もある・・・
誠にもって、とんでもない自惚れである。
先祖の血を継いでいることを忘れてはならない。
何代、何十代もの先祖たちが自分の中で生き続けている。
意識しようがしなかろうが、
自分の血筋である。
意識しようがしなかろうが、
先祖のご加護を受けている。
それを意識することが、
先祖への感謝と供養になる。
大切なことを教えてもらった。
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ご存知ですか?
体内には約60兆の細胞が存在することを。
そして、それらの細胞は絶えず新しく入れ替わっている。
今、この瞬間も。
脳も臓器も筋肉も、一年後にはすべて新しい細胞で再生されている。
成人の場合、骨は2年半ですべて入れ替わる。
これを知った時、
私はものすごい可能性を感じた。
明日は同じ自分ではない。
体内で、何万という新しい細胞が古い細胞と入れ替わっている。
「この世でひとつだけ変わらないこと、
それはすべては変わり続けるということ」
どれだけ同じ(無変化)でいたいと思っても、
すべては絶えず変わっている。
どうせ変わっているのなら、
良く変わりたい、と誰もが思うはず。
心の持ち方。
口から出る言葉。
無意識のうちに行っている習慣。
ちょっと意識を向けることで、
良く変われるチャンスは無限にあると思った。
このブログを読み始めたときから、
読み終わるまでの間に、
一体いくつの細胞が新しく再生されるのだろう・・・
すべては絶えず新しく生まれ変わろうとしている
この事実、
“やり直せる“という
大きな希望を与えてくれる。
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今日は、みなさんへトライしてみてもらいたいことがあります。
まず、床に仰向けに寝ます。
手足を伸ばして、リラックス。
目は真っ直ぐ天井もしくは空を見る。
さあ、
そのままの状態で、私が数を数えます。
「1,2,3」の“3”で思いっきりツバを真上に吐いてください。
それでは、いきますよ。
1,2,3!
はい、どうぞ!
・・・
あれっ?どうしました?
遠慮しないでください。
それではもう一度、
1,2,3!
はい、思いっきりツバを真上に吐いてください!
・・・
誰もしてくれない。
何故か?
自分の吐いたツバが自分へ戻ってくることがわかっているから。
そして、それは確実ですぐに現れる反作用だから。
もし、自分で吐いたツバが自分の顔に落ちてくるのが1年後なら、多くの人は上記のことをするのでしょう。
結果が同じでも時間差があると、
原因と結果や作用反作用の関連性がどんどん薄くなり、忘れ去られてしまう。
不思議ですよね?
人の悪口を言う、
ウワサ話をする、
嘘をつく、
時間はかかるかも知れないが、
必ず自分へ戻ってくる。
これらのことが、
その場で瞬時に自分へ戻ってくるとしたら、
誰もしない。
昨日、あなたは何回自分の顔にツバを吐きましたか?
文句、言い訳、人のせい、
嘘、悪口、ウワサ話、
嫉妬、いじわる、差別、
毎回、自分の顔にツバを吐いている。
忘れないでください、
そのツバは必ず自分の顔へ落ちてくる。
わかったように書いている私。
実は、
これは、自分へのメッセージ。
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この人生を過ごしてみて、
初対面なのに、
不思議な親近感を覚えたり、
深い安心感を得られたり、
理由もなく拒否反応を感じたり、
初めて来た場所なのに、
懐かしい気持ちになったり、
すごく心地良かったり、
逆に説明できない嫌悪感を抱いたり、
そんな体験は誰でもある。
宗教的な概念ではなく、
生まれ変わりはあると自分の体験で確信している。
過去世は魂によって異なるが、
数回から数千回繰り返されているそうだ。
若い(幼い)魂
成熟した魂
これが、私が以前のブログ「4つ目の年齢」で書いた
“魂の年齢”
なのであろう。
顕在意識からは過去世の記憶は消されて今世を始めている。
同時に、潜在意識にはすべての記憶が途切れることなく蓄積されている。
「人生は一度」
と捉えるか、
「何度も繰り返えされている」
と捉えるか、
生き方に大きな影響を与える。
“どう影響を与えるのですか?”
それは自問すべきこと。
それぞれの答えは異なる。
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生きている、
自力本願
孤軍奮闘
弱肉強食
生かされている、
他力本願(この意味は以前のブログ「他力」を参照)
助け合い
共存共栄
私を含め、
山あり谷ありの人生をメゲズに自分で生きている、
と考えている人が大多数だと思う。
ひとつひとつを個別の偶然な出来事と捉え、一喜一憂。
良いことがあれば喜び、そうでないことが起これば落ち込む、
まさに精神的なローラーコースターの日々。
「生かされている」
という言葉を聞いたことはあったが、
宗教的な観念なのだと思っていた。
先日、宗教を信仰していない友人から
「生かされている」
という言葉を聞かされ、再度考える機会があった。
今までの人生を振り返って、
現在の人生を見て、
“生きている”という観点から考えると、
これを死ぬまで続けるのは、ちょっとしんどいなぁ・・・
と感じた。
観点を、「生かされている」へスイッチしてみた。
過去の出来事、現状、すべてがひとつにつながっているように思えた。
自分の存在そのものに意味があるのでは・・・
この世にいる間、この命をどう使おうか・・・
と、主観性がすっと消え、
客観的な意識が入ってきた。
それと同時に、心が軽くなるのを実感できた。
“生きている”
は、宇宙のエネルギーに反して逆流を登っていることなのかも知れない・・・
一進一退。少し前に進んで油断すると、また川下へ流される。
いずれ、身も心も疲れ果ててしまう。
「生かされている」
は、自然の摂理に合った本来の姿勢なのかも知れない・・・
人事を尽くして天命を待つ
という日本の諺がある。
精進と努力はするが、最後は受け入れる。
「生かされている」
とつながるように感じた。
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