「こうなったらいいなぁー」
「ああなりたいなぁー」
みんな夢を持っている。
そして、
ほとんどの人は、
夢は夢のまま終わる。。。
自分の夢や理想を
空想しているときって、心地良い。
現実からの逃避…
毎日の喧噪から意識が離れ、
今抱えている問題を一瞬忘れ、
空想の世界を漂う、
そして、
意識が現実へ戻ったとき、
そのギャップにため息がでる。
誰でも経験していること。
それでも、夢は夢のまま。。。
それに近づこうと努力をする人はほとんどいない。
何故だろう?
過去にちょっと努力してみたけどうまく行かなかった。
自分にはその能力がないと諦めている。
失敗したらすべてを失うリスクがある。
だから、
夢は夢のまま。。。
たまに現実逃避して、
「こうなったらいいなぁー」
「ああなりたいなぁー」
あなたが現実逃避の空想をしているときに、
それを現実にしようと、本気で、
転んでもつまずいても諦めずに努力している人がいる。
あなたが無理だと思っていることを、
「絶対にできる」と信じて挑戦している人がいる。
ちょっと変人、
狂気の沙汰、
型破り、
だって、
普通の人たちは、
夢は夢のままだから。。。
私にも、
変人、狂人、型破りになる勇気があるはずだ。
If you never chase your dream,
You will never reach it.
この世の中を見ていて、
責任とは取るものではなく、回避するもの
という風潮がある。
責任を認めようものなら損をする。。。
私も、責任回避をしたことは何度もある。
自分以外にも要素があるのは事実だから、
自分の落ち度をそのまま直視したくなかった。
みんな同じなのだろう。
だから、
「それは私の責任です」
自分から進んで認める人がいると、みんな驚く。
本当はそうあるべきだとわかっていても、
そう言った後で、どんな責任が待っているのか、
責任を認めることで、指を外へ向けられなくなる。
言い訳も、自己弁解もできなくなる。
指を自分へ向けるのってとても勇気がいる。
責任と向かい合うと、
その潔いエネルギーに引き寄せられて、
周囲が解決と改善へ協力してくれる。
責任と向き合う生き方、を実践したいと思う。
ある日、私が娘と一緒に食事へ行ったときの出来事。
レストランの入り口近くで一人の年配の女性が座っていた。
私と娘が通りかかると、
「Mr. I want to go home but I have only $6 in my hand. I need $12 more so that I can ride a bus to get home. Please help me. I have no family, no one to ask for help…」
こういう体験をした人は少なくないと思う。
私も何度もある。ほんどのケースは取り合わないようにしていた。
その日、その女性の目を見て、「もしかしたら本当に困っているのかも知れない」と思った。
「本当に困っているのですね?
それなら貸します。あげるのではないです。だから必ず返してください。
私も毎日一生懸命働いて得たお金です。あたなを信じて$20を渡します。」
ポケットから$20札を一枚だしてその女性へ手渡した。
私へ返金の連絡ができるように私の携帯電話番号も渡した。
その女性は$20札を受け取ると、私の目を見て言った。
「I will definitely pay you back right away. I will call you tomorrow.」
そして私たちがその場を去って行くとき、
「Thank God. Thank God.」
と天に向かってつぶやいているのが背後から聞こえた。
私の10才の娘は黙ってこのやり取りを見ていた。
それから3週間、
その女性から連絡はない。
絶対にすぐ返金すると言っていたあの言葉は嘘だったのか?
作り話でいつも人からお金をもらっている人なのか?
いや、もしかしたら私の携帯電話番号を無くして連絡できないのかもしれない…
今までの人生で、
「本当に困っているから助けて欲しい」
と頼まれてお金を貸したことが何度かある。
悲壮感漂い、すがるように懇願し、土下座をした人もいる。
結果として、私が貸したお金がもどってきた例はほとんどない。
かなりまとまった金額を貸したまま、音信不通になった例もいくつもある。
その相手が通りがかりの人ではなく、友人や知人であればこそ、助けてあげたい、必ず返してくれると信じたい気持ちになる。
人にお金を渡す際、人に助けの手を差し出す際、
見返りを求めない、という覚悟が必要なのかもしれない。
名前は覚えていないが、深くシワの刻まれたあの女性の顔をまだ覚えている。
なぜか、裏切られた、という気持ちが湧いてこない。
幸福な人生を送ってもらいたい、と思う。
父が他界した。
正月に私が帰国して両親と時間を過ごしたときには元気だった。
79才、心筋梗塞だった。
子供のころ、父はいつも仕事で忙しく、一緒に遊んだ記憶はほとんどない
不動産業を営んでいた父は、いつも「物件、物件」と言っていた
ときには、電話口で辛そうな顔をしていることもあった
家族を守るために、お客様のために、
彼は毎日戦っていたのだと思う。
日本の弟から、
「突然ですが、今朝父が亡くなりました」
との報告を受けた。
異国に住んでいる私には、その突然の知らせを聞いても実感がなく、
冷静にその日を過ごした。
夜、
様々な思いが頭を駆け巡り、寝られなかった。
朝になり、
急に涙があふれてきた。
父はバブルのときに大儲けに走らなかった。
「嘘をつくな、正直であれ」
その信条を通した彼は、業界では異質な存在だったと聞く。
バブルが崩壊し、多くの同業者が夜逃げをしたり、借金を抱えて倒産したり、
そんな過酷な状況で、父は生き残った。
「嘘をつくな、正直であれ」
私が父の背中を見て教わったこと。
私がその信条を継承することが、
父への最大の供養であり、
息子である証
これは、私たちに与えられている最強最大のパワー。
「選択=人生の進行方向を決める」
強調しきれないほど、重要なこと。
それなのに、そのパワーを使っていない人(私を含め)がほとんどのような気がする。
毎日の生活で自分のコントロール外のことは沢山ある。
状況、環境、出来事などなど。
それらのコントロール外のことへ対して、
自分の対応が無意識のうちに受け身になっていることに気付いていますか?
朝起きた瞬間から、夜寝るまで、
その日の状況、環境、出来事へ、
ほとんど流された対応をしている。
過去の経験から、周囲の人たちの影響から、
自分でも気付かないうちに、
来る日も来る日も、受動的な反応を繰り返している。
“選択の自由”って何のこと?
毎日、数十、数百の場面で、
> どう受け止め
> どう反応し
> どう対応するか
それを選択する自由が我々に与えられている。
過去に何かが大きく変わった経験があるはず。
そのときに、あなたは意識的な「選択」をしていた。
今日は、100ある出来事のうち、
3つだけ今までとは違う意識的な選択をしてみよう。
明日はまた3つだけ、明後日も3つだけ、
それを繰り返すことで、大きな船がゆっくりと方向転換するように、
人生の進行方向が変わり、周りの景色もそれに合わせて変わってくることを実感できる。
選択は、するも、しないも自由。
良い選択をするも、悪い選択をするも自由。
幸せも、選択である
世の中の多くのことは、合理的であれば効果的でもある。
これに当てはまらない例外がある。
その代表が、
「人の心」
人間関係を良くするためには、
いかに“非合理的なこと”を実行し、継続させられるか、
にあるように思う。
私も過去に沢山の“失敗(合理的な対応)”をしてきた。
人の心は、とても非合理的(自己中心的)にできているようである。
だからこそ、非合理的であればあるほど、自己中心的な人の心に与える効果が大きくなる。
「わざわざ、そんなことまでしてくれた」
自分を特別扱いしてくれる=自己中心的な欲求を満たす行為
が、自尊心という強い感情へ訴えるわけである。
そしてその積み重ねは、揺るぎない信頼関係の構築につながって行く。
あなたもありますよね?
「えっ、私のためにそんな面倒なことをしてくれたのですか?」
と感動したこと。
一瞬にして、その人への好感度そして信頼度は急上昇。
あなたにとって大切な家族、伴侶、友人へ、
合理性を無視した対応をする習慣を持てれば素晴らしい。
Efficiency is doing the things right.
Effectiveness is doing the right things.
良い人間関係無しに、良い人生はあり得ない。
Sabotageとは日本語で「破壊活動」と訳されるようだ。
ここではテロや戦争の話しをしているわけではない。
このサボタージュ、実は私たちの頭の中で頻繁に起こっている現象である。
これは以前ブログで書いた、コンフォートゾーン(Comfort Zone)とも関連している。
物事がうまく行き始めると最初は喜んでいるが、自分の居心地の良い領域を超えて成功が進むと、無意識にそれを破壊しようとする傾向が我々にはある。
大きな成功は自分では手に負えない
今までの仲間から敬遠されてしまう
調子に乗ってすべて失ってしまったらどうしよう
仕事だけではない。
例えば恋愛。
今は優しいけど、いずれ裏切られ傷つくことになる
もっと自分のことを知れば、あの人の気持ちは冷めて去って行く
恋愛なんて、どうせ長続きしない
と、せっかくうまく行っているのに、それが逆に不安や心配を引き起こし、
悪い意味での自己防衛本能が作動する。
傷つく前に自分からそれを壊そうとするわけである。
このサボタージュは無意識に行われる。
そして、自分で壊したにも関わらず、
「やっぱりダメだった」
と、負のサイクルが加速するわけである。
サボタージュしていないか?
と定期的に自問する習慣をつけよう。
せっかく築いてきた幸せや成功を、
自分で壊してしまっては良い人生にならない。
2015年は、
“サボタージュの無い年”
にしようと思う。
今日、ガソリンを入れに行って価格が$2.59まで落ちていることに驚いた。
近年では$4を超えだ時期もあり、
燃費の悪い大型車の売上が激減し、
省エネの小型車やハイブリッド車が急激に増えたのは衆知の事実。
ガソリン代が安くなり、
「あー、よかったぁ」
と思ったのと同時に、別の思いが頭をよぎった。
もしガソリン代が低値安定したら、
車の使用が増え、
後先考えずに大型車が多く売られるようになり、
地球規模で、環境汚染は急加速するのだろう。。。
Short Termで得することが、Long Termで損失を出すこと、
は沢山ある。
逆にShort Termでしんどくても、Long Termで楽になること、
も沢山ある。
我々人間は、後に悪い結果が待っていることがわかっているのに、
今の楽や得に走る傾向がある。
いや、今の楽や得にばかり意識が集中して、
先のことを考えることすらしないのかも知れない。
省エネが叫ばれるようになったのも、
環境を大切にするため、というLong Termの配慮からではなく、
今の出費を抑えるため、というShort Termのニーズからだった。
「Long Termで良いこと」
を念頭にShort Termの行動を考えられる人間になりたいと思った。
<お知らせ>
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「Jay Deaiのブログ」をご覧になられてください。
この言葉を見て、ほとんどの人はネガティブなイメージを想像するのでしょう。
騙す
裏切る
傷つける
これらは、
自分がしたことも、されたこともあるはずです。
また、上記とまったく異なり、
使い方や使う状況によって、この言葉は、
慰める
勇気付ける
気持ちを切り替える
という効能もあります。
大事故の中で唯一生き残り、病院で治療を受けている患者さんへ、
“家族は誰も助からなかった”
と冷酷な真実を伝えることは、果たして正しいのでしょうか?
それより、
「救助隊がみんなを助けに行っているから、あなたも頑張って回復してください!」
という真実と異なることを言うのはいけないのでしょうか?
真実が、耐え難く厳しい状況で、
嘘によって救われることは大きい。
私たちは、毎日の生活で「嘘」と共存している。
だから、
人を騙し、傷つける嘘を減らし、
慰めと勇気を与える嘘を使えるようになりたい。
人を思いやる言葉は、
真実と異なっても「嘘」にならないのかも知れない。
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今まで生きてきて、
「人生は20メートル先までしか見えない」
と感じている。
> いろいろ計画を練っても、
> 目標を立ててそれに向かっていても、
> どんなに勉強して論理的な予想を考えても、
20メートルより先に何が待ち受けているか、
そこへ行ってみなければわからない。
20メートル進んで初めて、その先の20メートルが見えてくる。
そして、その先が予想通りの状態であることはほとんどない。
その状況を見て軌道修正し、また20メートル進む。
それを何度も何度も繰り返し、
人生が切り開かれる。
先に進まない人は、しりつぼみ。
進化どころか、退化、劣化、老化になる。。。
20メートル先を見に行かない理由は、知識不足ではない。
もっともらしい言い訳や弁解はあるけど、
「勇気」
がなかった。
能力も、状況も、環境も、
関係ない。
未知の恐怖に負けていた。
進んでみてわかった。
その先を見るのは怖くない。
その先に待っている20メートルが楽しみになってきた。
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