埼玉県秩父市出身で1945年の沖縄戦で戦死した、旧日本陸軍伍長関根彰さん=当時(33)=の日章旗が1日、遺族に返還された多くの寄せ書きと「祈武運長久」の墨の色はあせず、41年の出征時に贈られて以来約82年ぶりに故郷へ戻った。日本遺族会によると、日章旗は米オクラホマ州に住むシャロン・ヒュールズマンさんの家族が戦地から持ち帰ったもので、戦没者の遺品返還活動をしている米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」に申し出があったという。今年3月、日本遺族会に照会があり、返還が実現した。
https://www.youtube.com/watch?v=TaIBFk8098A
太平洋戦争さなかの一九四四年十一月、フィリピン・レイテ島で戦死した埼玉県熊谷市出身の陸軍伍長、中山定好さん=当時(34)=が戦地へ持参した日章旗が九日、三女の丸山節子さん(81)=同市在住=へ返還された。四一年七月、出征にあたり、親類や近所の人々が寄せ書きした旗(縦約七十センチ、横約八十センチ)で、出征から八十二年の歳月を経て、故郷へ戻った。
同市や同市遺族連合会によると、旗は米軍兵士が戦地から持ち帰ったとみられ、戦没者の遺留品を日本の遺族へ返す活動をする米国の団体から、日本遺族会を通じて返還されることになった。県遺族連合会と同市遺族連合会の調査で、遺族が特定された。
この日は同市役所で小林哲也市長が立ち会い、同市遺族連合会の栗原健昇会長が丸山さんに旗を手渡した。
丸山さんは父が出征した三カ月後に誕生し、父親の顔は知らないという。戦死した父と、八〇年代に亡くなった母の間には三男三女があったが、存命しているのは三女の丸山さん一人という。
日章旗を前に、丸山さんは「父親のわが家へ帰りたい気持ちが、日米の関係者や多くの人々の温かい心を動かし、返還につながったと思う」と関係者に感謝。その上で「父と私はこういう巡り合わせ、運命だったのか。何かの物語のように思う」としみじみと心情を吐露した。
栗原会長は「遺族にとって、戦後はまだまだ終結していない」と所感を述べた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/249223
太平洋戦争末期の1944年11月、日米両軍が激戦を繰り広げたフィリピン・レイテ島で戦死した元陸軍伍長、中山定好さん=熊谷市出身、享年34=の遺品の日章旗が9日、三女の丸山節子さん(81)に返還された。定好さんが戦地に赴いた3カ月後に生まれた節子さんは、80年近くたって帰ってきた父の遺品を受け取った。
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https://mainichi.jp/articles/20230510/ddl/k11/040/076000c?fbclid=IwAR25T1u1IjPw-PEGDbOEa84UYa0ZzFr4Lsrli_oKGiF0nf052_q30iRZV18
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