7月18日、19日の小倉祇園太鼓の夏祭りの余韻が小倉の街の中にまだ残っていました。 終わった後の余韻を楽しむのも静かな華やぎの心境です。 次回は、8月1日2日の百万祭りへと準備が進みます。 夏祭りの飾りつけを見ているだけで、満足できるわたしです。 <相思草〜あいおもいぐさ> 煙草の異称です。 煙草の花は、ピンク色で、とても可憐です。 最近、ニュース番組のバックのフラワーアレンジによく使われているのを目にします。 ピンク色のもあもあふわふわなピンク色が印象的です。
近くを通ったので、行ってきました。 小倉城庭園・松枝玉記の遺した機音〜豊穣の藍 久留米絣展〜 ずっと松枝玉記さんを女性だとばかり思っていたのですが、男性でした。 ポスターに使われた絣の振袖の名は『献穀』です。1976年71歳の作品。 米俵と稲穂、淡藍に白く織り込まれた連続模様は米の文字を表しています。 孫の哲哉氏の新婦小夜子さんの花嫁衣装として振袖に仕立てています。 玉記氏は、1905年3月22日生まれ。 〜藍に生れ 藍に育ちて いかされし 藍にむくいて 果てんとぞおもふ〜 藍生庵主 玉記 玉記氏は、先人たちの弛みない努力に良い絣をつくるため、デザインのためのスケッチは欠かさなかったそうです。 野山や草花を織り込んだ絵絣には人と自然を敬愛する玉記氏の心が表れています。 『雨にあじさい』1982年77歳作品。 雨を表す縦線とあじさいの柄が調和して美しい作品です。 梅雨をおしゃれに装いたい女性向・・・と説明文にありました。 今の時期にピッタリな絣です。 『機の音』1980年75歳作品。 糸車と杼が描かれた孫哲哉氏の機織る姿を見守る玉記氏のおもいが伝わってくる作品です。 〜かすり業 継ぐてふ孫の 機の音 いともさやかに 窓辺に聞こゆ〜 〜やよはげめ 手に手をとりて 次の代に 守り伝えよ 絣の枝を〜 〜夢花火 生まれし命 輝きて 絣にこめる 永遠のよろこび〜 展示場は、玉記氏ゆかりのご夫妻とわたしだけの貸し切り状態でした。 静かにゆっくりとメモを取りながら見て回ることができました。 わたしと入れ替わりに、二組の方が入られました。 以前に久留米に行った時に久留米絣の展示場を見ました。 そのときは、それほど感動しなかったのですが、今回は、絣の温かい風合いに感じ入るものがありました。 むかしは、絣を織ってそれで婚礼蒲団を作って嫁入り道具にしたとか・・・それはとても素晴らしく大切な伝統ですね。
昨日、遠い記憶・・・の想い出をお話しましたが、干潟には、無人島があります。 干潮の時は、歩いて渡ることができる島です。 子ども時代は、潮干狩りに行って、ここでお弁当を食べました。 間島神を祀る小さな祠があります。 間島は、その形から「くじら島」とも呼ばれているらしいのですが、わたしの中にはそう呼んだ記憶がありません。 今では、この後方に新北九州空港が出来ています。 間島神が仲裁に入った 北九州の民話・神さまの恋のおはなしがありました。 <海神〜わだつみ> 本来海の神をさした言葉です。 海の底にはいろいろなものが沈んでいます。美しいもの、醜いもの、恐ろしいもの、どろどろしたもの・・・それでも海は、輝きながら、果てしない営みを繰り返しています。 海は、おおらかです。 5月3日に紹介したお祭りは、この海の海神のお祭りです。 綿都美のお祭り
Nomuraさんが東京で感動した国宝阿修羅像が福岡の九州国立博物館に来ています。 阿修羅展の会期は、7月14日〜9月27日です。 九州国立博物館←クリックすると阿修羅展にリンクします。 友人は、初日に行ったそうで、弟さんへのお土産のフィギュアを見せてくれました。 みんなで喜んで写真を撮らせてもらいました。 初日は4500人が来館した模様です。 5000体がすでに完売しているとのことです。 これから夏休みに入るので、9月の初めには一度訪れたいと思っているところです。 大行列が予想されますね。
松本清張生誕100年の2009年・・・松本清張記念館では『一九〇九年生まれの作家たち』展が開催されています。 近くまで行くついでに、午前中に友人と記念館に立ち寄りました。 一九〇九年生まれの作家たち←クリックすると企画展にリンクします。 清張と同じ年に生まれたのは、大岡昇平、中島敦、太宰治、埴谷雄高・・・芥川龍之介に様々な影響を受けたようです。 ランチは、近くのホテルで、本日のメニューはオムレツランチでした。 本日は、古典高校の一学期末全体懇談会・クラス懇談会・希望者のみの個人懇談会が午後からありました。 しっかり個人懇談まで残りました。 ぼちぼちいこか!!の感じです。 マイペースですから・・・。 <末摘花> 紅花のことです。 染料にするには咲き始めの花を外側からこまめに摘む必要があったことから、末摘花と呼ばれるようになりました。紅花には棘があり、摘むのは大変なのだそうです。 源氏物語にも末摘花という姫が登場し、鼻の赤いあまり美しくない姫として描かれていますが、本来の紅花と違って棘がありませんでした。 棘がない分、結局、光源氏は、最後まで面倒を見ています。
ささのは さらさら のきばにゆれる 七夕さまの願い事は・・・ 五色の短冊に記します。 何色の短冊を選びますか? 選んだ色は、今あなたが一番必要としている色です。 その色を身体の一部に取り入れてみてください。 自然と元気になってきます。 さて、わたしの願い事は・・・ 【伝説が書けますように】です。
今宵は・・・満月です。 七夕の夜には、電気を消して・・・大空の浪漫を感じましょう♪ <鵲の橋〜かささぎのはし> 美しい娘は、織物をして暮らしています。 その娘は心優しい青年と恋をします。 この青年は、自分の身の危険も厭わず、かささぎの親子を助けたり…とこころ優しい青年です。 ところが美しい娘は、病で天に召されて、天帝はその娘を織り姫として星にするのですが、おり姫は、地上の青年に会いたくて、嘆き悲しむのでした。 天帝は困り果て、青年も天の星にしてくださるのですが・・・青年の召された場所は、広い天空の天の川をはさんだ離れた処で、会えない二人はもっと嘆き悲しむことになりました。 その様子を知った青年に助けてもらったかささぎが、恩に報いようと世界中のかささぎに声をかけ、天空目指して一斉に飛び立ち、天の川へ翼の橋をかけるというなんとも心温まるお話しです。 こうして、年に一度、織り姫と彦星は、恋の架け橋を渡るのです。
手紙・・・久しく書いていません。 最近では、手書きせずにパソコンで入力してしまいます。 たぶん、自分の書く文字が嫌いだからでしょう。 幼い頃から、わたしの書く文字を見て「几帳面な性格」と思われてきました。 几帳面のようでありながら、実は全く違うのです。 A”B”型だからでしょうか? 先日、古典高校のお弁当の日講演会の前に、文学館で開催中の『生きた、書いた、愛した 女性作家の手紙展』に行きました。 会期は、7月5日まででした。会場は、わたしと友人の貸し切り状態でした。 明治〜昭和の時代を生きた近代女性作家二十五名の手紙や愛用品などが展示されていました。 同じ日本人なのに、読めない文字や解読できない文章に唖然としました。 近代と現代には、大きな溝があるように思います。 原稿用紙に書かれた達筆?独特な文字を見て、これを本にするのは大変だと考えました。 与謝野晶子さんの黒色梅文羽織が展示されていました。 一番感動したのは、この羽織の見事さです。羽裏がほとんど見えなかったのですが、昔のひとは、羽裏にお洒落な色を差します。 見えない所に施す究極の美意識です。 手紙展なのに、全く関係ないことで感動した相変わらずな・・・わたしでした。 女性作家たちは、厳しい現実社会の中で、女性としての自己を最大限に表現することに情熱をかけていたように思います。 死を迎えるその時まで、表現者でありたい!!わたしです。
七夕着物は・・・まき糊(白い吹雪を表現したもの) 咲初小藤色 の小紋で天の川をイメージ♪ 帯は、天の川に咲く大輪の恋花。 グレーのカラー芯で、夜空の落ち着きを出しました。 半襟、帯揚げ、帯締めは、昭和初期の古きよき縮緬。 流水文で天の川の流れを表現しています。 さて、これを着て何処へお出かけしましょうか?
むかし、若松の修多羅(すたら)や島郷のあたりには、いろんな親分を中心とするカッパたちが群れをなして住んでいました。 カッパの世界にもなわばり争いが絶え間なき続いており、そのたびにいつも困るのは、田畑や作物を荒らされる人間たちでした。 人々はどうすることもできず、カッパたちの戦争が始まると、ただ空を見上げて嘆くばかりでした。 ある年のことでした。 ひとしずくの雨も降らず、照り続く毎日に水を失ったカッパたちは、高塔山にある池の水を奪おうと、空中で戦い始めました。 朝になると、お百姓さんたちが一生懸命に作った田畑の中に、くさくて青い液体がいっぱい流れていました。これは、戦いに負けて死んだカッパのとけたものでした。 そのため田畑は、それこそ全部荒らされ、作物は枯れてしまい、お百姓さんたちはほとほと困り果てていました。 そうした様子を見ていた山伏の堂丸総学(どうまるそうがく)は、カッパ退治を考えました。 総学はまず、村の鍛冶屋・かんべえのところに行って、1尺(約33?)あまりの大釘を作ってもらうよう、頼みました。そしてその足で高塔山に登り、石地蔵の前で、毎日毎夜、カッパを閉じ込めるお祈りを続けました。 このありさまに驚いたカッパたちは、何とかしてお祈りのじゃまをする方法はないものかと知恵をしぼりましたが、これといって別によい方法はありません。 総学の周りでカッパ踊りを踊ってみたり、美しい娘に化けてだましたりしようとしますが、総学は祈り続けます。お金に化けても、お祈りをやめませんでした。 そんな苦しいお祈りの何日かが過ぎ去った、ある日のこと。総学の気合いの入ったお祈りによって、とうとうカッパたちは、地蔵の中に閉じ込められてしまいました。 そこですばやく、総学は1尺あまりの大釘を、地蔵の背中に深く深く打ち込み、二度とカッパたちがこの世に出られないようにと、固く閉じこめてしまいました。 村人たちは山伏・堂丸総学のおかげで、その後幸せに暮らしましたとさ。 (リビング北九州 より) ニコニコ動画の日本昔話にも、このかっぱのおはなしがありました。 高塔山の展望台にかっぱ地蔵尊が建っています。 <水琴窟〜すいきんくつ> お茶室の蹲踞や神社にある手水鉢などの排水部分に造られるもので、地中には甕が埋められています。 手を洗うと、その水滴が甕に反響し、美しい音色を奏でます。 「ポロン、ピロン・・・」 この水琴窟は、水に演奏させる自然の楽器。 水琴窟の透明な音の中に人を思い遣る、さりげない心遣いが感じられます。