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先日ドラマを見ていてとても感動する場面がありました。
学者と真の舞を追求する舞人との語りです。
舞人の問いに・・・
「学者とは常に問いかけ自らもともに学ぶもの。わたしよりも遥かに立派な師がいらっしゃる。いっしょに問いかけてみよう。学者は何をするものか・・・その答えを探し求めていた頃に随分と世話になった師だ。だが、真の舞人とは何なのか、それを問いかけるおまえに答えてくれるかどうか・・・」
学者は【花茶】に湯を注ぐ。
「綺麗であろう」
「香りも素晴らしいですね」
「味もまた格別だぞ」
舞人は、湯の中でゆっくり舞いながら花開く花茶を静かに見つめます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
湯の中で甦るように花を咲かせた蕾は、私にとっても尊い師となりました。学者が問いかけ、学ぶものならば、舞人もまた同じ・・・見せるという驕りは捨てます。
干からびた花が湯を含んで再び咲くように人々の暮らしの中に根付く情緒が私の中に沁み込み、真の芸となって花開くと信じています。
けれど、美しく花を咲かせた花も飲まねば意味がありません。人々の暮らしから生まれた私の舞がいつか世に伝わることを心から願っています。
花茶の美しさが絶妙でした。
<夢見鳥>蝶
中国の壮子が、蝶になって、自由に舞い飛ぶ夢を見ました。
目が覚めてから、彼は、自分が蝶になった夢を見たのか、今、蝶が夢を見て人間になっているのか、わからなくなったというのです。
小学生の頃、わたしもよくこのことを考えていました。
今のわたしは、現か夢なのか・・・。
えっ、シンクン・・・なぜ?
投稿日 2009-04-27 11:31
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2009-04-27 23:21
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2009-04-27 12:42
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投稿日 2009-04-27 23:24
ワオ!と言っているユーザー