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  • 秋葉原無差別殺人事件

秋葉原無差別殺人事件

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まずこの事件の犠牲となられた方に、謹んでお悔やみ申し上げます。
犯人の人物像および性格等々、新聞又はテレビ等のメディアで見聞きしていますが、目的が殺人と言う狂気に走った原因は、当事者である本人すら解っていないのです。私は心理学と言う学問は門外漢ですが、「自分が何故狂気を実行しなければならないのか?」と言う原因を意識していればその人は狂気の実行を思いとどまったでしょう。
「復讐殺人」それには確実な動機があり、狂気ではなく正常な意識と言えましょう。
「狂気」とは、辞書によると「気が狂っていること。気違いじみた精神状態。」とあります。

「人間は一人では生きることができない」と言われています。動物は命の誕生をみたときから、餌を口にしなければ生命の維持は不可能です。人は、母親の乳房のふくよかさを感じながら無意識的にミルクを飲みます。と同時にコミュニケーションの始まりが、乳房を通しての母親との意識コミュニケーションなのです。
コミュニケーションとは意見交換なのです。親子、兄弟、親戚、同僚、知人、友人等々、会話がなければ生きていけません。その内容はまさしく喜怒哀楽の中身である会話なのです。サラリーマンが居酒屋でビール片手に上司の悪口を言う、酒に酔い、愛する彼女が振り向いてくれない苦悩をくどくどと愚痴をこぼす若者・・・

人は、生活の範囲があります。その範囲の中にしか真のコミュニケーションは生まれません。秋葉原の犯人は、殺人予告を掲示板に書き込み「誰からに止めてもらいたかった」とニュースでは報じています。
犯人の周囲に喜怒哀楽の会話がなされる人の存在があれば、この狂気の実行は未然に防げたかも知れません。
この犯人は、自分自身でコミュニケーションを拒絶するバリアを設けていたのかも知れません。しかしその自分自身でバリアを設ける原因は何だったのか?

命が誕生した時、母親のふくよかな乳房でお乳を飲んでいるときの犯人は、決してコミュニケーションを拒否しないはずだったのですか?
何故、どこから、この歯車が狂いはじめたのでしょうか?
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