1才の記憶 (カーネル笠井)
4月
29日
『真っ暗な押入れの座布団の中でうとうとしていると、ふいにふすまが開けられて明るくなり、誰かが手を差しのべてくれたのでそこから出て行く。』というものです。
中・高生の頃にはその他にもまだ沢山の記憶があり、その中にまぎれてあまりこの意味など気にもしませんでした。ところが、年を重ねるにしたがって多くの記憶が忘れ去られ、一番古いはずの3つの記憶だけが残ったのです。その記憶の意味が最近になってようやくわかった気がしたのです。
それはきっと、まだよちより歩きだった私がたまたま開いていた押入れの中に入って、そこにしまわれていた座布団につつまれて眠ってしまったのでしょう。それに気が付かずに誰かが押入れのふすまを閉めてしまったのです。しばらくして、大人たちは私のいなくなったことに気がつき、ありとあらゆる所を探し回ります。姉達もかり出され、近所の人達も集まってきていたのだと思います。このころはまだ5人組というものが残っており、何かがあると必ず力を合わせてやる習慣が残っていたからです。そんな中で誰かが押入れを開けて、そこで寝ていた私を発見したのでしょう。そのときの周囲の大騒ぎが子供心に、“今の状況は何か重大なことを意味するんだ。”と感じ、そのことが頭の中に焼き付けられて残されたのだと思います。
残りの2つは、『庭のすみで裸のまま自分のしたうんちをビンにつめているもの。』と『病院の屋根瓦の上にしいた布団に寝かせられていて、すぐ近くにおきた火事の火と煙が見えた。』というものです。3つ目のものは2才のときに盲腸の手術で入院したときのものですが、この入院に関してもこの火事のこと以外は全く覚えていないのです。病院の屋根はきっと、屋根に干した布団の良く見える場所に寝かせられていたのでそうなったのだと思いますが、もしかするともっと深い意味があるのかも知れません。いずれにしても、周りが大騒ぎになっていて、子供心に事の重大さを感じて記憶に焼き付けられて残されたものだと思います。
今頃になってこんな理由がわかるなんて思いもしませんでした。みなさんもこのころのことを何か覚えていますか。
カーネル笠井
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