どちらにしても、これからはいいことはないように思います。
医者に通う回数が増えて、待合室の週刊誌情報が目に付いて不安がひろがります。
米は農業生産法人に作ってもらっているので、畑で野菜を作りながら、昭和レトロの古い家で「晴耕雨読」しながらつつましく生きていれば飢え死ぬことはないかなと思っています。
年金が下がっても、税金が上がっても、物価が上がっても、「800万人という認知症(週刊現代)」の仲間入りをしても、いずれ「諦念」なければならないときが必ず来ますよね。
諦念とは「絶望を受け入れること」と辞書にありました。
みなさんとの付き合いがありますので、運動を通じて明るく生きられそうな気がします。
みなさんとの出会いに感謝しています。