○150年前「扱心流体術伝書」 ~家伝の組討術を引き継ぎ京都で「扱心流」を確立
2月
24日
「伝書」の最後には、江口家の名前があり、そこから伝わったものと思われる。宝暦3年(1753年)、江口永保が久留米藩に召し抱えられたことにより、九州の諸藩に広まった。
特に肥後国熊本藩では、扱心流の江口道場が、星野道場(四天流組討、伯耆流居合術、楊心流薙刀術)、矢野道場(竹内三統流柔術、新心無手勝流居合)と並ぶ肥後柔術三道場の一つとされ、大いに栄えた。
明治時代に警視庁で制定された警視流柔術に、扱心流からは捨身技のひとつである「陽ノ離レ」が採用された。(出典:ウィキペディア)
捨身技は柔道や合気道の形のようですが、動画で見てみると迫力があります。
合気道と柔術&忍者
明治時代に警視庁で制定された警視流柔術に、扱心流からは捨身技のひとつである「陽ノ離レ」が採用された。(出典:ウィキペディア)
捨身技は柔道や合気道の形のようですが、動画で見てみると迫力があります。
合気道と柔術&忍者