朱子学に毒された中国 なんか難しい論説です。
2月
21日
1670年:ロシアで農民戦争が起こる(ステンカ・ラージンの乱)。
1671(寛文11)年:河村瑞賢が東回りの航路を開く。
1672(寛文12)年:河村瑞賢が西回りの航路を開く。樽廻船が始まる。
1673(延宝1)年:分地制限令(田畑の分割相続の制限)が出される。
1673(延宝1)年:三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く。
1673(延宝1)年:初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる。
1675年:イギリスにグリニッジ天文台ができる。
1678(延宝6)年:初代坂田藤十郎が大阪で和
■朱子学の入門書です。 すごい世界観です。知りませんでした。
□濂渓先生は、次のように言っています。 無極(無限)であって太極(根本)です。(それが理です)。
太極が動いて陽が生まれます。動きがきわまると、静かになります。静かになって陰が生まれます。
静かさがきわまると、また動きます。動いたり、静かになったりすることが、互いに原因となって、陰に分かれ、陽に分かれて、陰陽の二気が成立します。
陽が変化をうながし、陰が合成をうながして、水・火・木・金・土という五行の気が生まれます。
その五行の気が順調にめぐりめぐることによって、四季がうつりかわります。 五行の気は、一つの陰陽です。
陰陽の気は、一つの太極です。太極は、もともとは無極です。五行の気が生まれるにあたって、それぞれが独自の法則をもっています。 無極という真実のもの(理)と、陰陽・五行という精純なもの(気)とが、融合して凝結します。
このとき、乾道(拡散する作用)は男性的なものを成立させ、坤道(収斂する作用)は女性的なものを成立させます。その男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)とが、交じりあって働きあって、万物を生み出します。
万物は次から次に生まれてきて、変化にきわまりがありません。 ただ人だけが、すぐれた気(材料)を得ており、万物の霊長となります。
(すぐれた気を得て)生体が生まれると、心が発動して知覚するようになります。五行の本性(気質の性)が刺激されて動いて、善事をなしたり、悪事をなしたりして、あらゆる行為となります。
聖人は、みずからの行為をきちんと定めるために、仁(やさしさ)・義(ただしさ)・中(過不足のないこと)・正(是非をわきまえること)を用い(本註:聖人の道は、仁・義・中・正だけです)、しかも主静(心を静かに保つ工夫)をして(本註:欲に心を奪われることがないので、静かなのです)、人極(人として当然のあり方)を確立します。
ですから、聖人は、天地とその徳を同じくし、日月とその明るさを同じくし、四季のうつりかわりとその秩序を同じくし、鬼神とその吉凶を同じくするのです。
君子は、仁・義・中・正や主静を修めて、幸運にめぐまれます。小人は、仁・義・中・正や主静を軽んじて、不運にみまわれます。
ですから、『易経』「説卦伝」に「天の道を立てて、陰と陽と言う。地の道を立てて、柔と剛と言う。
人の道を立てて、仁と義と言う」とあり、さらに『易経』「繋辞上伝」に「始めをたずねて、終わりにかえる。ゆえに死生の説が分かる」とあるのです。
『易経』というものは、まったく大いなるものですねえ。これは、その至りです。