昨日、役所の行政センターに、戦没者弔意金を受け取りに行ってきました。 政府から年間5万円支給されます。現金ではなく国債という形で受け取ります。 父の兄は、戦争が終わる3日前、満州ハイラルで弾丸が胸を貫き、23歳の若さで死にました。 何万人という人が、戦争で死にました。父の兄もその一人でしたが、遠い存在でした。しかし、昨日は身近な存在となりました。 母は息子の帰りを心待ちにしていましたが、帰らぬ人となりました。 北満に たふれし 吾子の帰るなく つばくろの帰る日 また めぐり来る 上は、祖母のノートで見つけた短歌です。 偶然見つけた当時の「弔辞」。お国のために死んだ栄光をたたえる言葉が並んでいるのでしょう、読むことなくそっと閉じました。 「戦死したんだよ」と聞いたときは、その死は抽象でした。よく考えると命令に従って自分も拳銃を打ち、相手も発砲したのです。 死んだのではなく、殺されたのです。殺されないでいたら、相手を殺したことでしょう。 今、北朝鮮の核開発やミサイル発射の件で、日本も含めた国際情勢の緊張が懸念されます。 「テロリストや無法者国家は、叩きつぶせ」とテレビゲームのように簡単にはいかないのが実情です。 平和、平和と念仏のように唱えるだけでは、ファシストの侵略を阻止できないことも確かです。 うろ覚えで恐縮ですが、ドイツがフランスに侵攻するとき、通り道のオランダ、ベルギーを侵攻、占領しました。 当時の中立国を侵略して、そのあと宣戦布告したとか。 そのことを知ったときに、「ペンは剣よりも強し」といったところで無力だと感じました。 ドイツは作戦上フランスへの「通り道」なので侵略、占領したんですよ。 「国際紛争の解決に武力は行使しない」という理念はいいでしょう。 でも、歴史では、ファシストと「対話で解決?!」できませんでした。 もういちど書きます。 ドイツは作戦上フランスへの「通り道」なので侵略、占領したんですよ 事実が気になって「ベルギーの戦い」を検索しました。 ひえ~!!驚嘆。死ぬほど複雑! 歴史とはこんなものか!! (東海大学のサイトに許可を得ている最中です)許可が出たら、リンクします。 ずいぶんまえ、石橋氏の非武装中立論が唱えられました。 そうです。世界中の武器庫を空にすれば、全世界の飢えに苦しむ人を救えます。 非武装中立論は、「アメリカと軍事同盟を結ばない。戦争するより占領されたほうがマシ 命が救える」という究極の観念論でしたが、さて、皆さんは今の国際情勢をどう考えますか。