23歳で凶弾に倒れた。弔慰金5万円を受け取りに役所に行って思ったこと・・・
4月
22日
政府から年間5万円支給されます。現金ではなく国債という形で受け取ります。
父の兄は、戦争が終わる3日前、満州ハイラルで弾丸が胸を貫き、23歳の若さで死にました。
何万人という人が、戦争で死にました。父の兄もその一人でしたが、遠い存在でした。しかし、昨日は身近な存在となりました。
母は息子の帰りを心待ちにしていましたが、帰らぬ人となりました。
北満に たふれし 吾子の帰るなく
つばくろの帰る日 また めぐり来る
上は、祖母のノートで見つけた短歌です。
偶然見つけた当時の「弔辞」。お国のために死んだ栄光をたたえる言葉が並んでいるのでしょう、読むことなくそっと閉じました。
「戦死したんだよ」と聞いたときは、その死は抽象でした。よく考えると命令に従って自分も拳銃を打ち、相手も発砲したのです。
死んだのではなく、殺されたのです。殺されないでいたら、相手を殺したことでしょう。
今、北朝鮮の核開発やミサイル発射の件で、日本も含めた国際情勢の緊張が懸念されます。
「テロリストや無法者国家は、叩きつぶせ」とテレビゲームのように簡単にはいかないのが実情です。
平和、平和と念仏のように唱えるだけでは、ファシストの侵略を阻止できないことも確かです。
うろ覚えで恐縮ですが、ドイツがフランスに侵攻するとき、通り道のオランダ、ベルギーを侵攻、占領しました。
当時の中立国を侵略して、そのあと宣戦布告したとか。
そのことを知ったときに、「ペンは剣よりも強し」といったところで無力だと感じました。
ドイツは作戦上フランスへの「通り道」なので侵略、占領したんですよ。
「国際紛争の解決に武力は行使しない」という理念はいいでしょう。
でも、歴史では、ファシストと「対話で解決?!」できませんでした。
もういちど書きます。
ドイツは作戦上フランスへの「通り道」なので侵略、占領したんですよ
事実が気になって「ベルギーの戦い」を検索しました。
ひえ~!!驚嘆。死ぬほど複雑!
歴史とはこんなものか!!
(東海大学のサイトに許可を得ている最中です)許可が出たら、リンクします。
ずいぶんまえ、石橋氏の非武装中立論が唱えられました。
そうです。世界中の武器庫を空にすれば、全世界の飢えに苦しむ人を救えます。
非武装中立論は、「アメリカと軍事同盟を結ばない。戦争するより占領されたほうがマシ 命が救える」という究極の観念論でしたが、さて、皆さんは今の国際情勢をどう考えますか。
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