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正論:ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ

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http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/
より

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。
最近では6時間働く人が増えています。
しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:
これが人類の運命なのか?

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:
発展は幸福の対抗にあってはいけないのです。
発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
ありがとうございました。
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ゲリラの経歴を持ち、13年間収監されていた左派の方です。
脱原発機運が盛り上がる中、非常に評価が高いスピーチです。

彼の言う「幸福」と言う言葉は、「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」「足るを知る」の世界観に近いように思えます。

「足るを知る」を別の角度で見れば、P.F.ドラッカー氏の言う「最適な規模」という表現も近いかと思います。
そして、その「最適な規模」を自ら判断、コントロールするのは特に難しいことなのだと感じます。

かつて小渕内閣の頃に京セラの稲盛会長が、「足るを知る」経済を語っておられます。
・環境を守ることは、経済を委縮させることではない。
・公共投資は、省エネ問題に対して学校教育・社会教育に投資すればよい。
・マクロでは成長しないが、ミクロではダイナミックな事が起き、発展していくという社会モデルの構築は可能。
・自然界における倒木更新と同じように、巨木が倒れれば新芽が出る。

新芽が何かというのは、当時の京セラで言えば、環境問題と絡めて、薬品を使って写真を印画紙に焼きつけるのではなく、デジカメで撮影してPC等のディスプレイで見るというものを例に挙げておられました。

宮崎駿氏が描く高い水準の文明下での牧歌的な社会も一つのその姿かも知れません。

体制を維持・発展させるため、株主・銀行等の投資家・債権者の期待に応えるため等々、経済を拡大し続けた結果、各々が自らの首を絞めていくといったジレンマに陥っているというのが、ムヒカ大統領の言うグローバリズムにコントロールされているということになりましょうか。

先進諸国に、経済環境の悪化を自ら招いているのだから、政治的に解決(自制)しようと言っています。

先進諸国や大企業は、実行に移すことができるでしょうか。
実行に移した場合、大企業は変化に対応していくことができるかもしれません。
しかし下請企業は、その大企業への依存度が高ければ高い程に対応できないかもしれません。
大企業にしても、最終的には、その最適なパイを取り合うために、どうなるかは分かりません。
共依存を断ち切らないといけないのは、人間関係だけの話ではないようです。
そう簡単に断ち切れないから困っているのが現実的には多いのではないでしょうか。

結局の所、事業体・企業は規模に関係なく、独立した商品、提供できる価値を持たないといけないという事に帰結します。

旧来の産業・事業であれ全て淘汰されることもありません。
本当に必要なサービスなのであれば、形を変えてでも残らないと困ります。
社会的に本当に必要なもの、それをその地域に根差した人々で分かち合い、支え合うのが本来の官から民への姿なのだと思います。

特に選挙に出ようと思っての長文・乱文ではございません。
念のため(笑)

医療・薬品・軍事とそれを支える産業・・・個人的には、エネルギー分野での技術刷新が起これば、その分野から派生して新たな産業が創出され、循環社会モデルの柱になるといった希望を抱いております。

国や企業は、戦っております。
その戦いの中で訴訟したり、TPP、FTA、条約だとか国力を背景に妥協したりさせられたりしております。
その妥協点が見出せるまでは戦を止めることはできません。
同業種の中では、買収等の統廃合で整理が進んでいきます。
この流れでいけば、独り勝ちするか実態として統廃合されるかになってしまいます。

その流れを弱い立場の側が止める事ができませんので、ムヒカ大統領は不満を持っている大多数の人々の共感を得るのではないでしょうか。

特定少数の人に向けてニンジンをぶら下げて他国に乗り込みマーケットを創出・奪って経済拡大を行ってきたことに対しての警鐘でもありましょう。

何らかの運動が大きくなれば、日本国内でも報道されるのかも知れません。

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