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方丈記800周年に今日気付きました

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方丈記は、鴨長明がちょうど800年前の1212年に書いたものです。受験勉強の時に、鴨長明と方丈記と冒頭の「河の流れ~」くらいしか記憶はございませんでした。
今日何故か、ふと800周年に気付きました。

御存知の通り、方丈記は、永遠はものは無く、常に変わり続けるという世の「無常観」を記しています。しかしながら、人の世で起こっている事は方丈記の頃も今も変わらないようです。無常観を記しているのに、人の世で起こることは同じという矛盾に、何とも言えない気持ちです。

また、晩年に至るにつれ、鴨長明の虚しさが増していくのが、読み進めるとより顕著になっていきます。世俗を離れたのに一向に自分自身の心は世俗にまみれたままだと嘆き続けて力尽きるような印象です。いっその事、月亭可朝あたりの嘆き節で留められたら、心安く過ごせたのではないかなと思います。

ネットで現代語訳(やや意訳あり)と併記されていましたので、順序は異なりますが転載致します。

全文は、お時間のある時にでも。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/houjouki.htm
より抜粋

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【福原遷都】より ⇒ 今の政府に読ませたいです。

 伝へ聞く、いにしへのかしこき御世(みよ)には、憐みを以て国を治めたまふ。
すなはち、殿(との)に茅(かや)ふきて、その軒をだに整へず、煙のともしきを見たまふ時は、限りある貢物(みつぎもの)をさへ許されき。
これ、民を恵み、世を助けたまふによりてなり。
今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

(現代語訳)

 伝え聞くことは、昔の優れた天子の御代には、天子は愛情を持って国を治められた。
すなわち、宮殿の屋根には茅をふいて、その茅ぶきの軒さえ切りそろえることなく、立ち上る煙が少ないのを御覧になると、限られた租税までも免除なされた。
これは、民をお恵みになり、世の中をお救いなさろうとされたからだ。
今の世のありさまがいかに乱れているか、昔と比べればきっとよく分かる。
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【ゆく河の流れ】より ⇒ 方丈記の有名な冒頭です。出世争いに負け、ドロップアウトして、何もかも虚しくなってしまった心境がよくあらわれております。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。
或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり。
或は大家(おほいへ)亡びて小家(こいへ)となる。
住む人もこれに同じ。
所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に、わづかにひとりふたりなり。
朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
 
 知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。
また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。
残るといへども朝日に枯れぬ。
或は花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕を待つ事なし。

(現代語訳)

 ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。
淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。
世の中に存在する人と、その住みかもまた同じだ。
 
 玉を敷きつめたような都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、時代を経てもなくならないもののようだが、これはほんとうかと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。
あるものは去年焼けて今年作ったものだ。
またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。
住む人もこれと同じだ。
場所も変らず住む人も多いけれど、昔会った人は、二、三十人の中にわずかに一人か二人だ。
朝にどこかでだれかが死ぬかと思えば、夕方にはどこかでだれかが生まれるというこの世のすがたは、ちょうど水の泡とよく似ている。
 
 私にはわからない、いったい生まれ、死ぬ人は、どこからこの世に来て、どこへ去っていくのか。
またわからないのが、一時の仮の宿に過ぎない家を、だれのために苦労して造り、何のために目先を楽しませて飾るのか。
その主人と住まいとが、無常の運命を争っているかのように滅びていくさまは、いわば朝顔の花と、その花につく露との関係と変わらない。
あるときは露が落ちてしまっても花は咲き残る。
残るといっても朝日のころには枯れてしまう。
あるときは花が先にしぼんで露はなお消えないでいる。
消えないといっても夕方を待つことはない。
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【元暦の大地震】より ⇒ 特に被災地でなければ、神戸の震災や、東北の震災も風化していきます。

 また、同じころかとよ、おびただしく大地震(おほなゐ)ふることはべりき。
そのさま、世の常ならず。
山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。
土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。
なぎさ漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどを惑はす。
都のほとりには、在々所々(ざいざいしよしよ)、堂舎塔廟(だうしやたふめう)、一つとして全(また)からず。
あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。
塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。
地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)に異ならず。
家の内にをれば、たちまちにひしげなむとす。
走り出づれば、地割れ裂く。
羽なければ、空をも飛ぶべからず。
竜ならばや、雲にも乗らむ。
恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。
 
 かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。
世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日(ひとひ)まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。
 
 四大種(しだいしゆ)のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。
昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みくし)落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度(たび)にはしかずとぞ。
すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。
 
(現代語訳)

 また、同じころだったか、ものすごい大地震があったことがある。
そのさまは尋常ではなかった。
山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。
大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。
波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。
都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。
あるものは崩れ、あるものは倒れている。
塵や灰が立ち上って、もうもうとした煙のようである。
大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は、雷の音とそっくりだ。
家の中にいると、あっという間に押しつぶされかねない。
かといって、外に走り出れば大地が割れ裂ける。
羽がないので、空を飛ぶこともできない。
竜であったなら、雲にでも乗るだろうに。
これまでの恐ろしかった経験の中でも、とりわけ恐ろしいのは、やはり地震だと思った。
 
 このように、大揺れしたのは少しの間でやんだが、その余震がしばらく続いて絶えなかった。
ふつうでも驚くほどの地震が、二、三十回揺れない日がない。
しかし、十日、二十日とたつうちに、しだいに間隔があき、ある日には一日に四、五回、それが二、三回になり、もしくは一日おき、二、三日おきに一回というふうになり、だいたい三ヶ月くらい余震が続いただろうか。
 
 四大種(地・水・火・風)の中で、水と火と風は常に害をなすものだが、大地の場合はふつうには異変を起こさない。
昔、斉衡のころとかに、大地震が起きて、東大寺の大仏のお首が落ちたりして大変だったらしいが、それでもやはり今度の地震には及ばないとか。
その直後には、だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。
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