いじめ問題から諸々
11月
27日
より
中学生が首をつり死亡 担任に相談
26日、富山県射水市で、中学2年の男子生徒が自宅で首をつって死亡しました。生徒は、いじめや嫌がらせを受けていたことをうかがわせる相談を担任の教師にしていたということで、教育委員会が関連を詳しく調べています。
26日午後5時すぎ、市内の中学2年の14歳の男子生徒が自宅の自分の部屋でタオルで首をつっているのを帰宅した母親が見つけ、病院に運ばれましたがまもなく死亡しました。遺書は見つかっていませんが、状況から警察は自殺したものとみています。富山県の射水市教育委員会によりますと、2日前の今月24日にこの生徒から、いじめや嫌がらせを受けていたことをうかがわせる相談が担任の教師にあったということです。教育委員会は、いじめがなかったかどうかや自殺との関連を調べています。射水市教育委員会の結城正斉教育長は「生徒が亡くなったことは残念でならない。原因を調査したうえで、命の大切さを訴える教育を徹底したい」としています。生徒が通っていた中学校は、28日に全校集会を開くことにしています。
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いじめについて、学校はとかくいじめはなかったというのを前提にしている気がします。教師、学校の評価に響くのでしょうね。もういい加減、そんな評価基準は捨てて欲しいものです。
社会を見れば一目瞭然です。それが、未成年の児童・学生の集団社会で完全な融和が成立している事の方が少ないのが当然だと思います。
いじめの現場も学びです。いじめをストップできる人間になれるか。NOと言える人間になれるか。集団に事無かれ主義で流されない人間になれるか。逃げてしまった後悔を次に活かせるか。極論すれば、失敗は、怒られれば許されるという特殊な時代であり、環境であります。
未成熟なのですから、いじめは起こるものだという前提で、それをどのように収束させたかに重きを置く評価なり指導要綱なり、そういう方向で考えて欲しいです。
まぁ、大人だから成熟しているという事もありませんし。
先生から見た良い生徒というのは、先生の言いなりになる生徒でしょう。つまりは、演じているだけな場合が多いと思うのです。そういう生徒は、大学、社会に出ても大成しない場合が多いようです。だって、他社評価を満たす事を演じていただけで、殆どの場合、自分が無いのですから。
文科省が定める指導要綱なりを完全に実施できれば、完全に融和した学校社会が形成されると本当に思っているのでしょうか。
いじめる側の問題、いじめられる側の問題、学校側の問題、それぞれの家庭環境、背景、耐性が低い等々、様々な問題があるでしょう。
出来る限り死の選択をせずに進んでいける道筋をつけられる環境を与えられる学校であって欲しいです。そのためのフォローアップを地域社会が積極的に行う。バランスを取るのは難しいでしょうけど、出来る限り独りにしないように、そんな社会作りをして欲しいなと。
大阪府と大阪市が維新の会のもとで運営されようとしてます。沢山の悪弊を排除する必要があると思います。しかし、ないがしろにされる善良な部分がないことを祈りたいです。
報道、誘導される世論、ヒステリックなことが目につきますのでね。
色々話飛んじゃいました。
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