生産性運動は、鉄労の結成当初からの基本理念生産性運動は、鉄労の結成当初からの基本理念であったことから、国鉄が生産性運動を導入したことは、遅すぎると批判することになります。その辺を、鉄労友愛会議の「国鉄民主化への道」からみていきたいと思います。国鉄当局が生産性運動にとり組んだ背景は最初に国鉄が生産性運動に取り組んでいく背景には、もちろん厳しい労使関係がありました。、昭和41年には累積積立金を食い潰し、昭和46年には償却前で赤字を計上するなど、国鉄の財政再建は急務となっていました。そうした意味では、国鉄が緊急に立て直すために生産性運動に取り組むことは喫緊の課題でした。生産性運動自体は、国鉄職員の中...
マル生運動に関しては国労は、一貫して反対の立場マル生運動は、国労・動労は一貫して反対の立場を貫いていたことはご存じの通りですが。国鉄当局のマル生運動に対して、国労は、「ここが変だよ生産性運動」という冊子を作成して、職場などで配布するのですが、中々実効的な効果は得られませんでした。国労はマル生運動を、管理者による組合分断だと判断していた国労はマル生運動を、管理者による組合分断だと判断していた国鉄労働組合40年史を参照しますと、「マル生」運動の浸透と言う項目で以下のように書かれています。少し長いですが、引用したいと思います。国鉄の職場で、「マル生」運動が公然と行われるようになったのは、1970年の...