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投稿日 2016-03-12 15:18
つれづれなるままに
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高橋京太
マンハッタンの32番街は韓国人街となっています。ここにも私の古くからの友人がいまして、行って来ました。日韓関係が激しく揺れていた数年前、ここへ行くのを当初はビビッていたことがありました。行ってみると、これまでと変わらずに私を大歓迎してくれて何ら変わらない様子に安心しました。それ以来、韓国人街へ行くのがさらに楽しみとなりました。ここでランチを食べるのも楽しみです。韓国料理には欠かせないキムチや BBQなどの肉料理をはじめ、本格的なものが楽しめます。………………………………………………………………… ある日イエス様がヤコブの井戸の傍らでサマリヤの女性に話しかけられた記事がヨハネ福音書 4章にありま...
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投稿日 2016-03-11 12:04
つれづれなるままに
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高橋京太
「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」イザヤ40章11節午後9時半にシアトルを離陸した搭乗機は、予定通りにニューヨークJFK空港に午前6時前に着陸。先回の教訓を生かしてマンハッタンまでの移動をLong Island Railway 電車を利用した。先回はハイウエイバスを利用したが、停車が多く、渋滞にも巻き込まれてマンハッタンまでが1時間半。今回は途中停車なしで直行、20分ほどでマンハッタン・ペンステイションに到着。それから地下鉄に乗り換えてやはり20分ほどでホテルに到着。最寄り地下鉄駅からホテルまでが30秒ほどという便利さ。先回...
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投稿日 2016-03-10 13:38
つれづれなるままに
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高橋京太
「あなたの道を主(イエス)にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主を己の喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」詩篇37篇5ー6節「ゆだねる」という行為はどういうことだろう?もし「ゆだねる」ことが出来るとしたら、どれほど幸いであることか。その時、人は自由を取り戻し、ストレスから解放され、アルコールやドラッグ、ギャンブル等の有害な中毒の牢獄から逃れ得るのではないか。問題は自分のキャパを超える大きさで、自分には扱えそうにない事態はしばしば出来する。そんな問題でさえも「ゆだねよ」と聖書は教える。なぜなら、ゆだねる相手は主イエスであり、このお方が人生最大の大問題である死を解...
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投稿日 2016-03-08 15:07
つれづれなるままに
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高橋京太
も~、やんなっちゃう!!自分の記憶力のなさにほとほど手を焼いている。恥ずかしい話ですが、私には方向感覚がまるでないのです。マンハッタンを歩いていて、東西南北が分からなくなり、逆方向へ歩いていることが何度かあります。今日もそうだったんです。レストランまでは正しい方向へ歩いていた。その店を出てから進んだ...
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投稿日 2016-03-05 17:44
つれづれなるままに
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高橋京太
この日はバション島へ行って来ました。ウエストシアトルからフェリーに乗れば10分強でついてしまう近隣の島です。それでも陸続きではないため、シアトルのような都会とは異なる独特の文化や時間が流れていて、いつも行くのを楽しみとしています。土曜日だったためか通常よりもフェリーの利用客が多く、乗り場には長い車列が続いていました。きわどいところでしたが、運よく最後の数台目となり乗り込むことが出来ました。さらに運の良いことは、真っ先に上陸できたことです。最後に乗り込んだ私の車の列は1階の中央列で、そこは最後に上陸するものと思っていたのですが、なぜか最初に上陸を誘導されてしまいました。「ラッキー!!」何分も待つ...
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投稿日 2016-02-18 14:48
つれづれなるままに
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高橋京太
春休みのイベント第二弾はハワイ行きである。長女を家内がヤキマからプログラム終了後に連れ出して帰宅させたのが日曜の晩。翌日の早朝3時には起きだして5時半のシアトル発フライトに乗らねばならない。シアトルからカウワイ島までの直行便はあるのだが、サンフランシスコ、マウイの二つの中継地に立ち寄らねばならないと...
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投稿日 2016-01-29 04:07
つれづれなるままに
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高橋京太
「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」創世記9章13節大洪水で地上の息あるもの全てが滅ぼされた後にノアとその家族は箱舟から出て来ました。先ずノアがしたこととはなんでしょう?それは神に礼拝を捧げることでした。大洪水の中で数ヶ月間、箱舟に揺られながらいのち...
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投稿日 2016-01-29 03:52
つれづれなるままに
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高橋京太
「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」第一コリント8章2節聖書を学ぶ楽しさは尽きない。時を忘れて気づけばお昼になっていた、という事もある。航海で水平線の向こうに都市が見えて来てその街がどんなものかを知ろうとする探究心に似ているかもしれない。創世記に書かれている人間と歴史のはじめについて、歴史の最終段階はどう推移するのか、、、、このようなことは神が啓示された書からでないと人間には知る由もない。これらのことを「知った」として喜ぶとき、留意せねばならないことがある。冒頭の聖句には、「知った」と思った瞬間、「知らなければならない」こ...