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前回、「ちょっとでも時間ができるとふら~っと廃人になりそうな心境になることも」と書きましたが、確かに「この先、世界はどうなっちゃうんだろう」なんて言葉が頭に浮かぼうものなら、不安の奈落に、まるで渦巻に吸い込まれるように落ちて行く感じがあります。ですから私にとっては、とにかく忙しくすることが不安対策。...
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「私の暮らし:コロナウィルス下のラスベガス1」の続きです。 https://jp.bloguru.com/RuCommunications/373462/2020-05-11●スーパーでの買い物:以前は1週間に1回、スーパーに行っていましたが、今は3週間に1回にしています。一番困るのは野菜がなくなる...
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ラスベガスでは5/9日(土)に、たくさんの店が再オープンしました。私は行きませんでしたが、ホームセンターに出かけた夫いわく、「まるで普通の土曜日のように人がいっぱいいた」そうで、私も行きたいけど、まだ行かないでおこうという結論を出しました。 ※「ラスベガスが再始動を宣言5/9~:コロナウィルス」https://jp.bloguru.com/RuCommunications/373215/59でも「開いていないから、行けない」ではなく、「開いているけど、行かない」という風に心の段階がアップしたのは良いですね。感染者数を抑えたまま、うまく進んでほしいものです。日本の友人たちが「大丈夫か~」と心配し...
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5/8日現在、ラスベガスのあるネバダ州の感染者数は5,935人で、その増加速度は徐々にですが緩やかになっていっています。死者数は293人、100万人あたりの死者数の割合は95人。日本の「5人」と比べると(ちなみに、韓国も5人)、これだけ厳しく店舗などが閉鎖されている割には「多過ぎないか?」感が否めません。※ラスベガスの現状は「5/5 コロナ下のラスベガス:解雇の嵐」をご覧ください。https://jp.bloguru.com/RuCommunications/372890/55 そんな、まだまだ予断を許さないネバダ州ですが、先日、スティーブ・シソラック知事が「ネバダ州回復へのロードマップ(Rp...
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――まず、コロナ以前にアジア人差別をされたことがあるか?カリフォルニア州南部のアジア人はほぼ見かけないベンチュラカウンティー、アジア人の多いロサンゼルス、そして現在、ラスベガスの3カ所にトータル12年間住んでいますが、正直、全く、そんな体験はありません。それどころか、皆さん、とても、いや、とっても親切でした。私の日本人の友人も皆、言います。差別されたことなんてないと。新聞とかでそういう事件を見たことがありますけど、面白いですね、ああいうのを見ると、まるでアジア人差別がたくさん起こっているような印象を持ちます。 ――では、コロナで甚大な被害が出ている現在のアメリカではどうか?少し前、イランの感染...
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2020年3/15日、ラスベガス経済の屋台骨ともいえるカジノ大手MGM Resortsは、ラスベガスのホテル13軒の営業を一時停止すると発表しました。きらびやかなホテルの数々がこの日を境に休業し、現在もまだ再開日は決まっていません。それより早い3/13日の段階で、ネバダ州の知事は緊急事態宣言を発表。この段階のネバダ州の感染者はまだたったの1名でしたから、とにかく早い決断です。続く3/18日には全てのカジノ営業を停止させる「緊急指示宣言」を発令。そして3/20日は「必須/非必須ビジネスの緊急規制」、つまり生活に必須なスーパーや薬局などは営業可能で、その他の美容室や雑貨店などはクローズするよう指示...
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コロナウィルス騒ぎが始まってから、続けて見ているYouTubeの番組があります。中国は武漢に住むある一家の日常を撮影した、他愛もないと言えば他愛もない投稿なのですが、ほぼ家の中に閉じ込められた人々の大変な生活の様子を少しですが理解することができます。 ビデオはこちらです↓https://www.youtube.com/watch?v=n7mo360f8S0&t=335s優しいご主人とかわいくて料理上手な奥さん、そしてBabyと呼ばれている小さい男の子の3人家族。家から出られない、仕事にも行けない、会社からの給料は振り込まれなかった、けれども食料を買い、電気代などを払い、サバイバルしていかなけれ...
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渡米直後、元夫と住んだ家は、1階のベランダが水辺につながっていて、カヌーなどで出かけられる美しいヴィラでした。色とりどりの花が咲き乱れる庭園内にはアヒルが歩き、ちょっとした楽園のような雰囲気です。日本のビジネスを閉め、先に渡米していた夫だけを頼りにやって来た私は、そこで新生活の一歩を踏み出したのでした。屋外に出ると、時折、よく日に焼けた、麦わら帽子と汚れたシャツ姿のメキシコ人風の人々が庭園の手入れや工事作業をしている姿を見かけました。右も左も分からない私にとって、彼らはなんだかとても遠い存在のような気がして、「Hi」と声をかけることができなかったのを覚えています。結局、そのわずか1年後には、こ...