記事検索

25年目に行動できたワタシの軌跡

https://jp.bloguru.com/fumiko

フリースペース

永遠に続かなくても

スレッド
永遠に続かなくても
fumikoです。

ずっとずっと昔の話です。
当時、お付き合いしていた人と
「ずっと一緒」と約束をしました。

しかし、
その方とはご縁がなく
ずっと一緒にいる約束は叶いませんでした。

当時の私は
超恋愛体質で相手依存型。
私の落ち込み方は相当なもので
ご飯も食べられず
何も手につかない状態でした。

彼がいなかったら生きていけない、
本気でそう思って毎日泣いて過ごしました。

でも、彼がいなくても生きていたし
時間の経過と共にリカバリーもできました。

彼がいないと生きていけないと
思い込んでいただけで、
実際はそうではない事を自分で体感し、
思い込みの持つ凄さや怖さを実感しました。

今思えば、
相手依存型だった私は
かなり重い存在だった事は間違いなく、
相手が逃げ出したくなるのも
今となっては納得がいきます。

この世は諸行無常、
何一つとして変わらない事柄はなく
常にそれぞれの世界感の中で変化し続けます。

私自身も少しずつ代わりながら
日々を過ごし
かつて依存型だった私はもう居ません。
いつしか相手から依存される側になることも増え
自分のやってきた事を知ることもできました。

永遠に続かないこの世の中で
今を、この一瞬を大切に生きることは、
やがて豊かな思い出となって心の糧になり、
希望ある未来へと繋がります。

この事が分かってからは
自分の人生の舵取りは
自分自身で取らないと
最後の最後に後悔しそうだと本気で思います。

一度しかない人生は永遠には続きません。
これはみんな同じ。

残りの人生、
自分らしく生きるために出来る事は何だろう?

去年思っていた事とも
先月思っていた事とも違うことを感じるのは
今も変化し続けているからなのだと思います。

今、私に出来ること、
今日できることをやっていきたい、
何だか心の底から強く思った今日の日です。



ワオ!と言っているユーザー

何処かにあるはず?本当にある?

スレッド
何処かにあるはず?本当にある?
fumikoです。

家族など近い人が亡くなった後でよく聞くのは、
「色々探すのが大変だった」話。

確かに4年前に父が急逝した時、
やらないといけない事と並行して
探し物が多くて大変でした。

「家の何処かにある」事は分かっているけれど
何処にあるのかがわからないのです。

一緒に住んでいた母でさえ
全てを把握していませんでした。

本人のものは
やっぱり本人にしかわからない事が
あるとわかったのは
本人がいなくなってからでした。

我が家の場合、
頻繁に使わない
年金手帳や印鑑登録カードなど証書類は
決めた場所に置くルールが昔からあったので
大規模捜索しなくて済みましたが
困ったのは「写真」でした。
故人を見送る時の祭壇に使う写真です。

先ず、ひとりで正面を向いている写真がない。
そして年齢と反比例して写真数が少ない。
数少ない中から
限られた時間で選ぶのは至難の業でした。

そして、皮肉な事に
慌てて行った物事ほど
後になってから
事実が判明したり
探していたものが出てきたりするものです。

痛烈に思ったのは
ある程度の準備は必要だという事でした。

一昔前なら「縁起でもない」と嫌がられた事も
現代では普通に会話ができる時代です。

可能なら
家族間で様々な物の保管場所を共有したり、
貸金庫に入れるのも1つの方法だと思います。

何より
写真は自分で用意しておくことも大切です。
私自身、自分の写真がほぼありません。
カメラマン役にはなるけれど
自分が被写体になる機会はなくなっています。
私がいなくなっても
家族や大切な人が困らないよう
「何処かにあるはず」
から
「ここにあるから大丈夫」
にできることから一つずつ
変えていきたいと改めて思った法要の後でした。

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり