何処かにあるはず?本当にある?
3月
10日
家族など近い人が亡くなった後でよく聞くのは、
「色々探すのが大変だった」話。
確かに4年前に父が急逝した時、
やらないといけない事と並行して
探し物が多くて大変でした。
「家の何処かにある」事は分かっているけれど
何処にあるのかがわからないのです。
一緒に住んでいた母でさえ
全てを把握していませんでした。
本人のものは
やっぱり本人にしかわからない事が
あるとわかったのは
本人がいなくなってからでした。
我が家の場合、
頻繁に使わない
年金手帳や印鑑登録カードなど証書類は
決めた場所に置くルールが昔からあったので
大規模捜索しなくて済みましたが
困ったのは「写真」でした。
故人を見送る時の祭壇に使う写真です。
先ず、ひとりで正面を向いている写真がない。
そして年齢と反比例して写真数が少ない。
数少ない中から
限られた時間で選ぶのは至難の業でした。
そして、皮肉な事に
慌てて行った物事ほど
後になってから
事実が判明したり
探していたものが出てきたりするものです。
痛烈に思ったのは
ある程度の準備は必要だという事でした。
一昔前なら「縁起でもない」と嫌がられた事も
現代では普通に会話ができる時代です。
可能なら
家族間で様々な物の保管場所を共有したり、
貸金庫に入れるのも1つの方法だと思います。
何より
写真は自分で用意しておくことも大切です。
私自身、自分の写真がほぼありません。
カメラマン役にはなるけれど
自分が被写体になる機会はなくなっています。
私がいなくなっても
家族や大切な人が困らないよう
「何処かにあるはず」
から
「ここにあるから大丈夫」
にできることから一つずつ
変えていきたいと改めて思った法要の後でした。