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現代詩の小箱 北野丘ワールド

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詩人以外に詩を読んでもらうプロジェクト

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 転職の多い私だが、還暦になって人は引退を考える年なのにコープのパート仕事に就職した。本当は共済をおすすめする募集で入ったのだが、みんな3カ月はレジをやってもらうとのことで苦手のレジをしている。かれこれ二か月たっている。どこまでできているかチーフとの面談が待っている。それによってはもう一か月となるかもしれないのだ。
 そんな中、一緒に入ったおばさんがいて、ぐちを言い合いしましょうとラインを始めた。そして何を思ったか「わたしは詩人です」とカミングアウト?したくなったのだ。
これまでは変に思われるかもしれないと隠れキリシタンのように潜伏していた。詩はなかなか理解されないと思っていたのである。それが年齢もあるのだろうか。ベルリンの壁のようなものがふっと消えたのである。そして詩とエッセイ書いてますといったら、わー素敵とのことで、第一関門は思いの他クリアできた。素敵と言ってもらえてうれしかった。第二関門は作品である。ガチ現代詩は無理だ。ちょうどライトヴァースの詩と函館を駆け抜ける篇のエッセイが載った同人誌ができたところなのでそれと、所沢文芸の巻頭に詩が載って選評でお褒めをいただいたのがあった。社会的に認められている感があるだろう。そして、最新詩集の『字扶桑』三点を渡したのだった。
 反応は果たしてどうかと思った。詩人に配るよりはるかにどきどきしている自分がいた。ところが所沢文芸に載せた「鶴を折るように」という詩には感動しましたというラインがきたのである!私のエッセイや詩に癒されているとの言葉も返ってきた。字扶桑が埼玉詩人賞候補になったときよりうれしかった。その人は心身にたくさんの荷物を抱えている人だった。実際に詩人じゃなくても言葉が届いている。詩人の狭い世界。読むのも書くのも詩人。そして少しでも評が、賞がほしくてたまらないという息苦しい世界。それなのに詩にふれたことはたぶん学校以来という人が、ファンと言ってくれた。自分の紡いだ言葉が人の心を動かすことができた。
 今スランプで詩があまり書けないけれど、詩人以外に詩を読んでもらう一人プロジェクトを思いたった次第である。心が疲れている人は詩を欲しているのではないだろうか。彼女のことでそう思った。詩は商業的には成り立たない。しかし、良い詩が一般の人の目に触れることなく詩人たちは言葉を残して人生を去っている。いつの時代かに再評価される幸運をまって。
 現代詩は難しい。読んですぐにはわからない。その壁だ。難解な詩の方が詩としてレベルが高いとして、評価されたくて難解な詩を書く。私もそのような現代詩をいくつも書いた。しかし詩人だけの詩集・詩誌の贈り合い、感想の贈り合いに疲れてもいる。
私は詩の世界に疲れていたのかもしれない。それが詩を書かない一般の人を欲したのではないだろうか。またどこかでだれかと詩の一歩を始めたいと思う。
#北野丘日誌

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