この作品で描こうとしてたのは真相じゃない。
真相に迫ろうとする一般人。
「真相」という名の実体のない影に迫ろうとしてた一般人。
そして犯人はきっと、愚かな隣人。
その間に明確な境界線はない。
この作品、視聴者を「安全地帯」に置こうとしてないんだ。
むしろ、視聴者をドラマに組み込んでしまう。
まるで、ガラスの仮面 の鬼才演出家
黒沼先生が「忘れられた荒野」で
観客すらも舞台の一部にしてしまったように。
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