人生はまるで数奇なアドベンチャーゲーム
4月
2日
地道に努力していたら、心配りをしていたら。
必ずそれを見てくれる人がいる。
それは、ある意味で真理だけど。
でも、ある意味では嘘。
こと、仕事については。
真実、見てくれている人がいたとして、
ただ見ていることしかできない人や、
見て見ぬふりしかできない人に見てもらえたって意味がない。
長々と労いの言葉をかけることしかできない人に見てもらえたって、
「見てるよ」というアピールしかできない人に上っ面だけ眺められて、
わかった気になられたって、意味がない。
見て、何らかの行動を取れる人に見てもらえないと、
適正な評価や判断、改革ができる人に見てもらえないと、意味がない。
力のある人材に、組織の要になりうる人間に、洞察力のある人間に、
認めてもらえないと意味がない。
じゃないと、組織の駒として疲弊していくだけでしかない。
口先だけの人間に、食いつぶされてしまう。
ここでの経験は、確実に私の糧になる。
確実に箔がつく。
七光りだなんてもう言わせない。
それだけの泥水は飲んだ。
だから絶対に抜け出してやる。
そうやって歩む道は、決して平らではないけれど。
なだらかな道にある「幸せ」は、私には遠すぎる。
まるでアドベンチャーゲームのように、
ひとつひとつステップを踏んでしまっているから。
その全てが、まるで仕組まれたかのようにつながっているから。
クリアできるかどうかはわからない。
だけど、進める道と進めない道がわかってきたから。
進みたくても、進めない道があることがわかったから。
進みたくなくても、進みやすい道があることもわかったから。
人生は本当に数奇なめぐりあわせのゲームみたいだから。
自分が進める道を歩くしかない。