徒花の涙
2月
7日
性差別の根強い社会なのか。
森会長の発言により、
世界的に知れ渡った気がします。
発言の一部をマスコミに
切り取られたものだけではなく、
前後の文脈も含めて、
彼の発言を読みました。
前後の文脈も含めた彼の言葉に対し、
「このどこが問題なんだ」と、
マスコミが意図的に切り取って
悪意のある報道をしただけだろうと、
そう主張する意見もいくつか読みました。
確かに、前後の文脈も含めて読んだら、
だいぶ印象が変わりました。
女性の数を増やせば
それでいいという問題ではない。
むやみやたらに数だけを
増やせばいいという問題ではない。
その点については、大いに賛同します。
ただ。
どうして、社会に参画する女性の数が
少ないのでしょうか。
上層部に、「幹部」と呼ばれる地位に、
「委員」と呼ばれる役職に、
女性が少ないのでしょうか。
人口に占める割合は、男女ほぼ同じで、
どちらかというと、女性が少しだけ多いというのに。
それを理解せずに、
数だけを増やそうとするから、
こういうことになる。
数を集めればそれでいいわけではなく、
質が大事なのは、男性だって同じです。
議論が活発なのは非常に良いことだし、
主張を簡潔に述べられるかどうかは、
男女の差異ではなく、個人のスキルの問題です。
女性が社会に参画できないのは、
そういう生き方を選べないからです。
幹部になれないのは、
組織の中枢に入れないのは、
そういう生き方を選べないからです。
一人の男性が、「夫」の地位と、「父」の地位と、
「幹部」の地位を手にすることは、
ままあることだけど。
一人の女性が、「妻」の役割と「母」の役割と
「幹部」の役割をこなすのは、
非常に難しいからです。
今の日本社会で、女性に幹部になれということは、
「社会で活躍しろ」ということは、
一部のスーパーウーマンを除き、
「家庭を捨てろ」と言っているも同然です。
そんなこと、できるわけないから、
だから、多くの女性は家庭を選ぶんです。
それしか選べないから、
だから社会に出れないんです。
社会に出ても、
低い地位に甘んじているんです。
以前、ネットでこのような話題を読み漁っていた時、
どなたかがおっしゃっていました。
そんなにも女性幹部を増やしたいなら、
結婚も出産も禁止すればよいと。
そして、そんなにも少子化を食い止めたいなら、
女が社会に出ることを禁止すればよいと。
大いに頷いてしまいました。
結婚も、子どもを持つことも、
社会的な地位を得ることも、
男性はできるのだから。
一人の男性が、それをなし得ることは、
ままあることなのだから。
「レディースデイ」の存在くらい、
大目に見てほしい。
でも、そんなことを言えば、
批判が渦巻くのだろうな。
でも、それくらいのささやかな希望がなければ、
女性は生きていけません。
女性にとって、結婚や出産と、
バリバリ働くことは、
全く別の線上にあるんです。
同じ線上にあるように見えて、
実は全く別の線上にある。
専業主婦と、ワーキングマザーと、
バリキャリは、全く別の生き方なんです。
同じ道の上にある複数の選択肢ではなく、
全く別の道に存在する、
それぞれの通過点であり、
選ぶしかない唯一の道なんです。
にも関わらず、
家庭に入ることを選んだ女性に、
家庭を優先することを選んだ女性に、
社会で「活躍」することを求めることは、
全く別の人生を歩めと言っているのも同じことです。
今の人生と全く別の人生、
ふたつ同時に歩めと言っているのと同じことです。
逆に、社会で活躍することを選んだ女性に、
家庭を持たずにバリバリ働いている女性に、
「どうして結婚しないのか」と、
「少子化問題について議論する暇があったら、
あなたが子どもを産めばいい」と、
そんな言葉をぶつけることは、
それと同じくらいの暴挙です。
そのことを全く理解していないから。
全く理解せずに、
「女性」を主語にして論じてしまうから。
無理やりに数を増やそうとしなくても、
実力社会に生きる男性に対して、
女性は実力の有無に関わらず、
本人の希望に関わらず、
選べる道が限られてしまうから。
それを理解せずに数だけを増やそうとすれば、
そりゃ、質的な問題も出てきてしまうかもしれない。
もっとも、会議に要する時間については、
発言者の質の問題だけでなく、
時間をかけて議論すべき内容に対して
必要な時間を確保できていなかったり、
会議の趣旨や目的が明確になっていなかったり、
議事進行がうまくなかったり、といった、
運営する側の問題もあると思うのだけど。
問題の本質を見ようともせずに、
「女性」を、「女性」だけを、
主語にして論じないでほしい。