アメリカ、田舎の日本人墓地
2月
18日
渡米後、最初に住んだのはオクスナード(カリフォルニア州)という小さな町でした。LAから車で2時間ほど行った半農村地帯で、広大な苺畑が続き、収穫の季節に車で通り掛かれば、甘い香りが窓を閉めた車内にまで漂ってきます。
畑にいるのは真っ黒に日焼けしたメキシコ移民。一列に並び、腰を折って栽培作業に精を出しています。あの人々が日本人だった頃もあるのかな…と思ったのは、通りがかった道に寂れた日本人墓地を見つけた時でした(写真1)。
墓地の看板に1908年と書いてあるので、造られたのは今から113年も前になります。私が住んでいた12年前はこの写真のように整備されておらず、いくつもの墓石が赤茶けた大地の上に倒れた状態でした。花1本添えられた形跡もなく。
彼らはどんな生活を送っていたんだろう――そう思った時、思い出したのが、私が外国に憧れるきっかけとなった少女漫画『ヨコハマ物語』の、ある場面でした(写真2、3)。
主人公の卯野がアメリカで芝居の興行をしている時、サクラメントから一晩かけて歩いて来たという日本人移民一家が、50セントの見物料を払えずに諦めて帰ろうとするくだりです。卯野がお金は要らないから見ていってと言うと、代わりに自分たちが作った苺を差し出します。
今は立派な苺の生産地となったオクスナードにかつて移住した日本人も、きっと想像を絶するご苦労をされたことでしょう。アメリカの苺はとにかくすっぱくて荒々しいのが特徴ですが、オクスナードには今も日本人生産の苺があり、ほんのりとした懐かしい甘さと柔らかさがあります。
実はオクスナードには日本のお寺もあり、夏には盆踊りも開催されています。実際に参加してみると、日系3世の方々など日本語が話せない世代も随分多かった印象。あのお寺を訪れると、この小さな農村地域に確かにたくさんの日本人が移民してきた歴史があるのだと実感します。
また、そんなオクスナードにいても、メキシコ人を差別的に言う日本人に出会ったことがあります。日本は豊かな国になりましたが、この苺畑に日本人が並んでいた時代もあると知ると、彼らの考えは変わるでしょうか。
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