風の帰る場所。 それは、どこか特別な土地ではないのだと思う。生まれた町でも、終の住処でもない。もっと曖昧で、もっと身近なところにある。 たとえば、朝の光が差し込む台所。 使い込んだ茶碗の縁。 ふと耳に入る、懐かしいメロディー。 理由もなく胸がゆるむ瞬間――そこに、風は帰ってくる。
老後を意識するようになって、時間の感じ方が変わった。 先の予定より、思い出のほうが重くなる。 明日のことより、昨日の続きを考えている自分がいる。 けれど、それは後退ではない。人生を逆から読み返しているような、静かな作業だ。
若いころ、風はいつも前から吹いてくるものだと思っていた。 背中を押す風など想像もしなかった。 行け、急げ、まだ先がある――そんな声をまとって、風は顔に当たっていた。 いつからだろう。 ある日ふと気づくと、風は横をすり抜け、やがて後ろへ流れていくようになった。 追い立てるでもなく、引き留めるでもなく、ただ黙って通り過ぎていく。 その音が、少しだけ優しくなった。
「一杯一杯復一杯」、これ以上ないシンプルな表現ですが、気の合う友人と愉快に酒を酌み交わすさまをいうのに、これほど的確な表現はほかにないでしょう。 ■「鬼殺し」もカティーサークもなくなった。残った「麦焼酎」をロックで飲む。 「一杯一杯復一杯」と飲んでいた友人も、家を売り払って遠くの「首都圏」まで移住してしまった。
この家と彼女を見ていると、「住む」のではなく「ともに生きる」という言葉が浮かびます。 時間が降り積もった家は、人の心を映す鏡のようなもの。 そして、その鏡に映る彼女の暮らしは、静かで、強く、美しいものでした。
壁の色あせや、少しきしむ床の音を、彼女は「欠点」とは呼びません。 それらはすべて、ここで積み重ねられてきた日々の証しであり、暮らしの履歴そのものだからです。 新築にはない温度があり、言葉にしなくても伝わってくる物語があります。
「一杯一杯復一杯」、これ以上ないシンプルな表現ですが、気の合う友人と愉快に酒を酌み交わすさまをいうのに、これほど的確な表現はほかにないでしょう。 ■「鬼殺し」もカティーサークもなくなった。残った「麦焼酎」をロックで飲む。 「一杯一杯復一杯」と飲んでいた友人も、家を売り払って遠くの「首都圏」まで移住してしまった。