秋也くんはアメリカで心臓移植手術をすれば、命が助かるのです。
秋也くんを救う会のホームページをご覧ください。
http://saveshuyakun.com/
募金にごきょうりょくをお願いします。振込もできます。
今日は和光市民センターの緑化まつりで、
秋也くんを救う会の
募金活動のお手伝いをさせていただき、
秋也くんの学校のPTAの方々や、スタッフの方、
秋也くんのお祖父様とも一緒に、募金の呼びかけをさせていただきました。
人形の薫ちゃんが頑張ってくれました。
たくさんの子供達や、大人の方々が、募金してくださいました。
ありがとうございました。
写真は、秋也くんのお祖父様が撮ってくださいました。
「心臓移植をすれば助かるかもしれない、のではなく、
心臓移植をすれば元気になるんです。」とおっしゃいました。
ほんとうに、そうで……
秋也くんは、元気になるんです。
心臓移植をして、元気になるんです。
たくさんの方々の力をいただいて、元気になるんです。
疑う余地なんて無い。
母の日にいい写真が取れました。
21歳の娘が祖母にプレゼントした花瓶です。
彼女が小学生の時、ある花屋さんで見かけて、おばあちゃんに買おうと思っったら高くて買えなくて、お金を貯めたら買おうと思っていたら、花屋さんが閉店してしまい、、、、最近大人になってから、あるお店で同じ花瓶を偶然見つけたんだそうです。
そんなエピソード嬉しそうに語ってくれた義母。
母の日というより、祖母の日、って感じですが、
そんな娘のことを嬉しく思える私はしあわせな母でしょう。
話変わって、急にグスコーブドリの伝記を読みたくなって読みました。
あらすじは知っていたけど読んだのは初めて。
宮澤賢治晩年の作品だそうですが。
他人の評論は置いといて、自分で何かを感じ取りたかったのです。
ここから先は読んだことない人にはチンプンカンプンだと思いますが書きます。
ブドリの最期についての記述があまりにもあっけなくて
予想を裏切られましたが、
それがなんだか嬉しかった。
そのあっけなさが、
まるで、自然現象の一部分であるかのように、淡々と書かれているところが、
賢治らしさなのではないかと、
小気味よい感じさえしました。
このラストは、
現代の作家なら、感動を狙って、
入れ込んで描くんじゃないかな。
このお話は「自己犠牲」という言葉が解説によく使われている。
銀河鉄道の夜で出てくるサソリのエピソードもそうだと言われる。
結核を患っていた賢治は世の中の役に立ちたいと切望していたんだといわれる。
でも、
作者本人は、「犠牲」だとは思っていなくて違う感覚だったのでは??
「ほんとうの幸い」?
それに、
生き物が生きている理由は、
同じ種の保存のためだから、
感情より本能でブドリは生きたのかとも思われ、
それは取りも直さず
人は人を喜ばせるために生まれてきた
というやなせたかしさんの言葉と生き方も連想させ、
自分がふくわじゅつでやろうとしていることにも
つながってくるので
なんだか
出会う人や物に
全部つながってるんじゃないか
必然性があるんじゃないか
と思ってしまいます。
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