ガチンコだ!~難病法勉強会~
1月
16日
難病法勉強会に参加しました。
主催は「難病の制度と支援の谷間を考える会」。
代表の白井誠一朗さんには2011年10月、参議院会館での
シンポジウム(ゆうこ新聞10号掲載)で出会って以来、
お世話になっています。
当会を支えるのは公益財団法人キリン福祉財団。
キリンといえば最近、わたしの中で続く「本絞り」ブーム。
1位・レモン味 2位・グレープフルーツ味…話がそれましたが、
会場には13名程が集まりました。
佐賀県からNPO法人IBDネットワークの秀島晴美さん
(潰瘍性大腸炎)が登壇。
現在の難病法が形になるまでのプロセスや、認定基準、
軽症「とされる」患者、支援の窓口とパイプ、難病の就労と
法定雇用率、治療と仕事の両立支援などなど分かりやすい
資料と共にユーモアを交えて語って下さいました。
「難病法は、当事者が(命がけで)闘って出来た法律。
知らなかった人のためにも(伝えたい)」
と、秀島さんが冒頭に切り出した話をメインに
お伝えします。
「(金額を聞いて)自殺者が出ると思った」
秀島さんがこう感じた「金額」とは、
国が医療費を助ける難病の数を、56から300ちょい(※現在は331)に
増やすことになり(素晴らしいことです)
「その代わり、負担してもらう医療費は値上げするよ」と
2013年10月に厚生労働省が掲げた、目ん玉飛び出るような
負担限度額のこと。
「これでは生きていかれない」と、さまざまな患者会が立ち上がり、
各政党とヒアリングの場を設けられるよう尽力。
また、多くの患者がメディアに顔出しで「NO」と訴えました。
短期決戦、いつ誰が倒れてもおかしくない。
まさに命がけの状態だったそうです。
同年12月、ついに厚労省が
「負担が大き過ぎちゃった、やり直すね」と発表。
今、私たちが病院で支払っている(指定難病の)医療費の
背景には、こうした闘いがあったのです。
実際、負担額はどんどん上がっていているけれど、あの時
声をあげてくれた人たちがいなければ、今頃もっと、とん
でもないことになっていた。
あらためて、秀島さんをはじめ当時関わった方々に深く感謝します。
一方で、秀島さんは
「国側も単に”切り捨てよう”というわけではなく、どう困
っているか知らないだけ。当事者が伝えることで、変えて
ゆけると学んだ体験だった」と振り返りました。
就労や、その他の支援に関しても
「行政はどう動いていいか分からない。当事者が意見して
いかないと進まない」
「(難病の対応の)都道府県地域差」や、法定雇用率の
「手帳の有無(難病は不利)」など、すべてのコンテンツには情報交換が大切だ
とし、
どんな支援が必要か、国や都道府県に何を求めていけば
いいか、みんなで考えたい。
"こうなったらいいな!"を共有していこうと、強く呼びかけました。
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参加後に…
国とガチンコで向き合ってきた人の言葉の重み。
自分自身のことなのに「誰かが言ってくれたらいいな」で
済ませてきた出来事がどんなに多いことか。
医療のことだけではない。
恥ずかしくなる思いでした。
自分ももうちょっと、勇気出していこ。