嘘と表現者
4月
4日
嘘のない表現とはどのようなものだろうか。もしや嘘のない表現などないのだろうか。それとも嘘に嘘を打ち込んだ中に本音が潜むのだろうか。嘘の己もこれまた本音だろうか。嘘はいったい何を与えようとしているのだろうか。
嘘と感情は密に寄り添う。憎悪からの嘘、思いやる嘘、逃げるための嘘、飾り酔いしれる嘘、感情を平らにするかのよう嘘を利用する。防御本能、あるいは社会で生きるためのユーモアなのだろうか。
嘘のない己からは逃れなれない人間。その現実を流す者がいて、また流されたくないとする者がいる。どちらも嘘のない日々などない。
ただ、流されたくない者(それを自然体と考える者もあろう)が表現する根源の欲のひとつと言えるだろう。表現者にとって嘘とは悪に傾くばかりではなく己と向き合い方を模索し、生きるための追求する想像力を育むモノなのかもしれない。