新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。 この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。 その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。 ※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする ※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・ -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。 【始動-2】 2018年シーズンのアジアンル・マンシリーズに出場した、この物語の主人公アマチュアレーサーY氏。LMP3車輛で出場し、初戦の上海国際サーキット4時間耐久を3位という好成績で終える。なんと幸先の良いことだろうか! ちなみに、一応補足するとするならば、もちろんY氏自身の運転スキルは言うに及ばずではあるのだが・・Y氏をサポートするチーム力、そして何よりドライビングコーチとしてY氏を支えながらも共に戦うプロレーサー達の尽力が欠かせない。時間の限られた中で、最短で車輛セット(セッティングと呼ばれる)の方向性を見出さなければならないのだから。 プロなんだから、それぐらい簡単に出来そうなイメージを持たれるかもしれない。 だが「名選手が名コーチたる保証がない」のと同様、自分自身が走るのに適した情報のアウトプットと、コンビを組むアマチュアの事情も踏まえたうえで最大公約数的に導けるのとでは、大きく異なる。 悪く言えば「妥協」とも聞こえるが、そうじゃない。 結果を求めなくてはならないから、針の穴を通すような最適解を探し出さなければならないのだ。これがチーム力となる。誰かひとりが、エゴや欲によって独断を許せば、たちまち不協和音が生じてしまう。そして、そのネガ要素を修正しながら事を進めるには、レースウィークの4~5日程度ではあまりにも時間が足りないのである。 だから「チーム力」とは簡単に表現は出来るものの、ソコに居る全員の人間性、敬意、目的意識、思考、行動が限りなく上手くまとまらなくてはならない。良い時は皆機嫌もよくトントン拍子に上向きになるものだが、悪い時こそ、何かアクシデントや突発的要因が発生した場合にもネガティブの波に吞まれることなく、より良い方向へ光を探すモチベーションが必要になる。 これは、人間社会の縮図だから大変難しい問題だ。しかし、成功への必須条件のようなものでもある。その点に於いて、Y氏の人柄や目的意識、行動力もあり周囲に大変優秀で協力的な体制が出来ていたことは特筆すべきことであると思う。 ところで、こうしてY氏との共に戦ったレースの思い出や、段階を経てスキルアップと2020年ル・マン24時間レース出場権奪取のために奔走されていた2018-2019年度を時系列で整理し始めると、特にこの2年間の記録や記憶が私自身に薄いことに気が付いた。 なぜなら、2018年のアジアンル・マンシリーズや、翌年にいよいよ本格的なル・マン24時間レースへの道筋を辿るために出場する2019年ヨーロピアンル・マンシリーズに私自身が帯同していないからだ。もし許されるならば、それは勿論アジアからヨーロッパまで、Y氏の頑張りを見届けることができれば最高だが、当時私自身レース屋とは言えいち会社員に過ぎず、自分自身に与えられた責務やスケジュールをこなさねばならなかった。 だから、もともとY氏が趣味で参戦していた日本のエントリーカテゴリーレースへ、たまに出場することになりサーキットでメカパートナーとしてご一緒した時に、初めてアジアやヨーロッパでの土産話に触れることが出来たのである。 (つづく)