並みの人生でありたくない
手段を選ばなければ、目的の実現可能性の大幅な上昇があります。私は物事を成就させるためには手段を選びません。どんな犠牲でも支払うことが出来ます。
どうしてここまで腹をくくることが出来るのか?
それはそもそもの私の人生の来歴にあることでしょう。私は幼少期より恵まれた環境で育っておらず、地獄のような人生を歩んできました。
この時、私が悟ったことがあります。
「世の中、偽善者ばかりだ」
「目的は手段を正当化する」
ということの2点です。
「世の中、偽善者ばかりだ」というのは、この世の中は、偽善者によって構成されているということです。自分では自分たちのことを善人だと思っている人が多いようですが、実は悪に協力している偽善者が如何に多いかということ。
こいつらは本当にくだらないと感じています。
「目的は手段を正当化する」というのは、読んだ字の如くなのですが、そもそも生まれ落ちたときから人生は不公平です。あるものは幸せが既に確約された人生を歩む一方、他のあるものは不幸が確約された人生を歩むことを強いられることになるわけです。
要するに、人生とはイカサマなわけです。要するにクダラナイ。今の日本の経済的繁栄は朝鮮、ベトナム戦争での大勢の人間の血の上に成立しています。
私の同世代の人間たちは”馬鹿の集合体”です。年齢という年輪の上にあぐらをかいて座って生きて来ただけ、何の誇ることもない能力もない甲斐性なしが非常に多い。(なぜ、馬鹿が多いのかは、彼らの生き方にすべて起因します)
他方、ヘラヘラ生きてきた私の同世代の人間たちの存在が許される一方、他国が仕掛けた戦争に巻き込まれ、死に追いやられる人間が世界中、大量に存在するわけです。
人生は不公平です。
で、あるならば手段なんて選ぶなんてバカバカしい。私のこの発想は腹の底から湧いた実感を伴った理念なわけです。
私は生半可な背景を背負ったよくいる量産型・偽善的人間ではありません。
生半可ではないバックグラウンドが私の背にはあります。
だから、問題解決精度が何をやらせても著しく高い。
しかも手段も選ばない。
心の問題は脳の機能の問題ですが、私は海外の有名大学の教授と対談をしています。が、彼ら彼女ですら途方もないアホばかりだと実感しています。
幾人かには、「I'm afraid to say that~」と前置きをした後に、本当の感想をそのまま伝えてしまい、人間関係を壊してしまいましたが、悔いはありません。
海外有名大学の教授とてこの程度なのです。
他方、私の海外の友人には軍隊出身者があり、実戦経験をもっていますが、生半可ではありません。私は彼を尊敬し、彼は私を尊敬しています。他の友人にはアフリカからヨーロッパまで、南アメリカからカナダまでを自転車で縦断した友人、危ない橋を何度も渡るようなことをしながら生き抜いた友人など皆、半端ではない人間ばかりです。
私は命がけの危険な経験をせずに、偉そうなことをいっている"わかった大人"が大嫌いです。
彼らの文句は経験から根差したものではなく、本に書いてあることの反芻に過ぎない、その白々しさが反吐が出るほど伝わってくるのです。
傑僧、山本玄峰が言っている「渋柿のみが甘柿になれるのであって、これは人生も同じじゃ」という話は私がここまで述べて来たことを言っているわけです。
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沖仁宏【ブログ集】
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