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東北大震災について

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東北大震災について
多くの方々が亡くなったわけで、未だに被災者生活を強いられている人もおられ、悲惨な人生を歩まざるを得なくなった人々もおられます。過去の私であれば、過度に同情したかもしれませんが、「人生とはそういうもの」だと今では自然と感じるので、特に同情はありません。同情したところで、死者が蘇るわけでもありませんし現状苦汁をなめている被災者が救われるわけでもありませんね。もしするとすれば、今現在、平和な国で不自由なく生きられることに感謝することくらいでしょうか。

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2017-03-12 13:14

あの時は、たまたま主人が夜中にyoutube を見てて、どうも今さっき起こったことらしいということで、一緒に見ました。。こちら時間で土曜の夜でした。津波が町を飲み込んでいく映像でした。私は、アメリカにいながらショックで、三カ月ほど鬱になりました。日本人のお友達もみな鬱になりました。同胞の痛みが胸に突き刺さりました。今も、私は、向き合えません。ここ数日は震災を覚えてということでいろいろな催しやネットでもいろいろありますが、まだ、目をそむけたくなります。振り返ることがまだできません。。。。。

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沖仁宏
沖仁宏さんからコメント
投稿日 2017-03-13 18:38

そういうところがbokushiさんのような聖職者の資質なのだと思います。自分みたいな人間は、向きそうにないですね。。。

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みずき
みずきさんからコメント
投稿日 2017-03-13 01:08

そうですね、私達にできるのは祈ることくらい。。 
先生の記述を読んで、先生のように生きていられることに感謝できる人ならば、きっとどんな悲惨な状況に陥っても、絶望の中で立ち止まったままということはないだろうと思いました。本当は多くの助けがあったからこそ今も生きていられるのですからね。誰からも支援がなければ住む場所も食べるものもなくとっくに死んでいたでしょう。今生きていられるのは、多くの人の支援や助けがあったからです。 
それに気付くか気付かないかは大きな違いと思います。今までの暮らしぶりは当たり前ではなく、恵まれていたのだと気がつけば感謝が生まれ、今は多くの人に支えられて生かされているのだと気付くこともできるでしょう。今までの暮らしぶりを当たり前と思っているから失ったと思うのです。本当は、何事もなく平和に生きていられるって尊いことですよね。 
同じ被災者でも立ち止まる人と前に進む人がおります。結局はその人次第ということになるのでしょうね・・・ 
死者を偲ぶことや過去から学ぶことはある程度必要ですが、必要以上に過去に囚われていては前進することはできません。それこそ死者が蘇るわけでもない。自然の力には人の力は到底及ばないということは、大昔から何も変わっておりませんもの。どうしたって、生きている人は前進するしかないのですからね・・・

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沖仁宏
沖仁宏さんからコメント
投稿日 2017-03-13 18:45

私は自殺者も戦争が起きるのも天災で死者が出るのも自然現象のプロセスの一部なのだと思っています。

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みずき
みずきさんからコメント
投稿日 2017-03-14 01:27

本当に先生は視野が広いですね^^ 
そのように考えが及ぶのは、この世界の成り立ちや死を本当に理解しているからですよ。 
動物は天災を察知して逃げ出しますからね・・・死ぬのはいつも人間ばかり。 
こうしてバランスをとっているのでしょうね。 
人は安心を手に入れた代わりに失った能力のために死んでしまうのですね。人も自然の一部なのだということです。 
本当に仕方のないこと・・・ 
だって人は、安心しようといつも一生懸命。その安心を手に入れるために犠牲(戦争や自殺や天災などの被災者)を払っているのですから。。。 
私たちにできることは、そういった多大な犠牲の上で生きている、犠牲のお陰で生かされているということに気付き、感謝をしながら生きていくことくらいですものね。

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