1994年4月 ■製作:山下恒雄 戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将です。というよりも、徳川家の祖にして徳川家初の征夷大将軍であり、江戸に幕府を開いた歴史の偉人として有名な戦国武将です。天文11年(1543)に三河・松平氏の家系に生まれましたが、当時の松平氏はその領域を織田氏・今川氏に挟まれ、圧迫を受けていました。そのため家康(幼名:竹千代)は織田・今川両氏の人質として長く過ごし、今川氏時代に元服を迎えるなど、後に家康遺訓といわれる一節にある「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし~」がまさに符合するような人生を送ります。 今川氏の衰退に乗じて独立したのちは織田氏と同盟を結びましたが、この同盟は締結相手の織田信長が本能寺で斃れるまで続きます。後世に「狸」呼ばわりされるなど、権謀術数の限りを尽くした悪役のイメージが作られた家康ですが、この長期の同盟堅持は戦国時代では珍しく、また家康自身も青年~壮年期頃までは戦国武将らしい血気盛んなところも見せています。武田氏相手に大敗を喫した三方ヶ原の合戦では、家臣の反対を押し切って出撃した結果でした。しかし、その後の家康は失敗を糧として領国経営や人材掌握の才を磨き、織田氏に代わって台頭した豊臣氏との対立を乗り切り、事実上の「天下争覇」の戦いとなった関ヶ原の合戦で勝利を勝ち取ります。老境に入ってからの政治的剛腕ぶりから悪役扱いされることが多いようですが、戦国時代最大の巨人であったことは確かでしょう。 銅像は、東京・両国の江戸東京博物館横の敷地内(正面入り口から向かって左の通路)にあります。江戸東京博物館の開館を記念して社団法人江戸消防記念会から寄贈されたもので、山下恒雄東京学芸大名誉教授(当時)が鍛金(過熱した金属を槌で叩く金属加工法)により製作。台座は、亀に似た幻獣・贔屓(ひき)で、重き荷を背負うのを好むといわれます。ちなみに亀の姿は、河川が走る江戸の町に因んで「水の神」ともいわれる亀の存在をかけたものともいわれます。その上に幕府の将軍職が15代続いたことに因んだ15段の台座を設え、鷹狩り装束の立像が置かれています。像の左手には、家康が好んだという鷹狩りに用いた鷹がとまっているという凝った意匠の像です。 調べてみたら徳川家康様の銅像でした(^^) 初めは「徳川家康公」と書いて有るのは分かったし鷹狩りと言うのも分かったんだけど台座の亀が分からなかった…何で亀?と思いました。 もしかしたら玄武?と思ったけど玄武にしちゃ可笑しいと思ったら贔屓(ひき)でしたか水の神ですか、納得です(*^v^*)
投稿日 2015-02-01 21:40
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2015-02-11 01:30
ワオ!と言っているユーザー