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四季織々〜景望綴

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◇◇◇桜物語◇◇◇  ◆追章 神の森◆ 2

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◇◇◇桜物語◇◇◇  ◆追章 ...
  神の森

祐里は、静寂の中で目を覚ました。遠くで夜明けを告げる鳥が鳴いていた。隣の布団では、優祐が静かな寝息をたてていた。祐里は、優祐を起こさないように静かに起き上がって着替えをした。
 外に出ると、闇夜が白みかけていた。外気が冷たく感じられた。祐里は、誘われるように、朝露と靄に覆われた森に入った。祐里の身体の奥深くで、森は懐かしい音色を奏でていた。一度も訪れたことのない森が祐里を受け入れていた。祐里は、母に抱かれているような優しい心地を感じて大きく深呼吸した。森の空気が血液を通して祐里の体全身に行き渡っていった。神の森は、祐里の中に流れる榊原家の血筋をすんなりと受け入れていた。
◇◇◇おかえり、祐里。吾は、そなたを長い歳月待っていた◇◇◇
 森の奥で声が木霊した。耳に聞こえたのではなく、こころに響いていた。
「神の森さま、私は、帰って参ったのではございません。冬樹叔父さまのお手伝いに伺っただけでございます。それにお父さまの生家を見とうございましたので」
 祐里は、声に出して神の森に答えた。
◇◇◇吾には、そなたが必要じゃ◇◇◇
 神の森は、祐里を歓迎してその力を試すかのごとく、つむじ風を吹きつけて祐里を抱きしめた。祐里は、舞い上がるスカートの裾を押さえて力いっぱい地面を踏みしめた。祐里の黒髪が螺旋を描いて樹の枝のごとく上昇し、ふわりと舞い降りた。
「そなた、神の声が聴けるのか」
 驚愕の表情で、榊原冬樹は、祐里の前に現れた。昨夜遅くに兄・春樹の娘が着いたと聞かされていた。その娘が朝の見回りをする冬樹の前に現れて、神の森と対話していた。
「おはようございます。冬樹叔父さまでございますか。お初におめにかかります。桜河祐里と申します」
 祐里は、深々とお辞儀をしてから、ゆっくりと冬樹をみつめた。
(冬樹叔父さまは、お父さまに似ていらっしゃるのかしら)
 祐里は、冬樹の中に父の面影を見ようとした。
「桜・・・・・・神の森に相応しくない名前だな」
 冬樹は、冷たい視線を祐里に向けた。冬樹は、幼い時に母を亡くし、春樹が毎日神の森の外れで会っていた小夜を木陰から見るにつけ母親のように慕っていた。その甘い想いがいつしか初恋に変わっていた。七つ年上の春樹は、万事が冬樹よりも先行し、冬樹は、後を追いかける事しかできなかった。自己の不甲斐無さと恋い慕う小夜を連れて姿を消した春樹の身勝手さへの怒りがふつふつと蘇った。春樹が行方不明になってから、森の長たちが『冬樹を後継者に』と声を揃えて進言するにも拘わらず、未だに八千代は春樹を忘れられずに娘の祐里を捜し出して戻って来た。そして、今、神の森がこの得体の知れない娘を必要としたのを目の当たりにした。冬樹は、春樹に対する悔しさでこころが漆黒の闇に滾っていた。
「何故でございますの」
 祐里は、冷ややかな敵意を感じた。父の優しい声の思い出を壊された気がした。
「桜は、神の森を枯らす樹だからな」
 冬樹は、春樹への怒りから祐里に冷たい言葉をぶつけながら、それでいて視線を反らしていた。小夜の優しい笑顔がこころの奥からじわじわと蘇ってきていた。
「そのようなことはございません。桜の樹は何時も私を守ってくださいました」
 祐里は、驚いて冬樹をしっかりと見つめた。桜が神の森を枯らす樹であるならば、初めから神の森は、自分を排除する筈だと思った。
◇◇◇冬樹、こころを磨け。吾は、曇ったこころの守り人は要らぬ◇◇◇
 神の森から、戒めの声が聞こえてきた。
「神の森さま、叔父さまのこころは曇ってなどおりません」
 祐里は、思わず口にして冬樹に走り寄り手を握っていた。冬樹からは、痛いほどの淋しさが感じられた。
「神の森までが、私を拒絶するのか」
 冬樹は、祐里の手を振り切り、拳を握り締めて森の奥へ進んだ。祐里は、言い知れない哀しみを感じながら、霊香漂う朝靄に消えて行く冬樹の後姿をしばらく見送って佇んでいた。樹々の間から洩れる朝日が祐里の顔に射し込んで、靄が次第に晴れていった。
祐里は、気を取り直して社に向かった。途中、折れ曲がっている樹の枝が冬樹のこころのように痛々しく思えて何気なく触れた。と同時に樹の枝は、元通りに繋がり青々として風に揺れた。祐里は、懐かしい気分に浸り、生まれてからずっとこの地で生きて来た錯覚に陥った。何もかもが子どもの頃から見知った風景に思えた。
「おはようございます。母上さま。朝の散歩でございましたか」
 優祐が起きて布団を片付けていた。
「ええ。おはようございます、優祐さん」
 祐里は、優祐の笑顔に励まされてほっと安堵していた。
「お台所の手伝いをして参りますので、優祐さんは、朝食までゆっくりなさいね」
 祐里は、廊下を渡って台所へ向かった。
「雪乃叔母さま、おはようございます。手伝いをさせていただきます」
 祐里は、台所で朝食の支度をする叔母の雪乃に声をかけた。
「祐里さま、おはようございます。父上さまから祐里さまは、神の御子と聞いてございます。そのようなお方に台所のお手伝いをしていただいては、罰が当たってしまいます」
 竈の火加減を見ていた雪乃は、祐里の声で振り返ると驚いた顔を向けた。
「まぁ、そのようなことはございません。私は、お爺さまをお送りして、お父さまがお生まれになられた地を拝見しに伺っただけでございます。しばらくお世話になりますので、どのようなことでもご遠慮なくお申し付けくださいませ」
 昨夜、初めて会った時から祐里は、物静かで森の空気のように澄んだこころの雪乃に好感を持っていた。

優祐は、布団を片付け終わると竹刀を持って庭に出た。朝の稽古は、一日の始まりだった。稽古を終えて手拭いで汗を拭きながらふと目をやると、庭の奥には緑を湛えた神の森が広がっていた。
「奥深い森だなぁ。それにしても空気が清々しい。身体の中から力が漲ってくる感じだ」
 優祐は、竹刀を持ったまま誘われるように森に足を踏み入れた。森は、静寂に包まれて優しい風を優祐に送っていた。デジャヴュ・・・・・・優祐は、この森を見た気がしてならなかった。生地の桜山に続く森とは異なった針葉樹の森だったがどこか懐かしく感じられた。祐里の芯の強い優しさに似ている気がした。森を見回して振り向いた優祐は、それ程分け入ってないにもかかわらず、すっぽりと森に包まれていて驚いた。森の入り口が見当たらなかった。今、歩いてきた径さえ途切れていた。
「おかしいな。まだ、数歩も歩いていないのに。母上が心配されては困るなぁ」
 優祐は、目を閉じて深呼吸をした。そして、全神経を耳に集中した。
◇◇◇優祐、おかえり。神の森へようこそ◇◇◇
 優祐のこころの奥で声がした。
「誰。どうして、ぼくの名前を知っているの」
 優祐は、こころの声に答えた。
◇◇◇吾は神の森、榊原の血筋を引き継ぐ者を歓迎する◇◇◇
「ぼくは、桜河家の後継ぎですよ。でも、神さまの森は、一目で大好きになりました。夏休みの間は、ここにいますから、どうぞよろしくお願いします」
 優祐は、神の森を友だちのように感じていた。
◇◇◇優祐、吾は、そなたを気に入った◇◇◇
「神さま、母上が心配されますので、ぼくは、そろそろ社に戻らなければなりません」
 優祐が言い終わらないうちに背後の森が開けて社が現れた。
◇◇◇優祐、いつでも遊びにくるがよい◇◇◇
 神の森は、優しい風で優祐を取り巻いた。
「ありがとうございます。また来ます」
 優祐は、神の森にぺこりとお辞儀をして社に戻った。

 祐里と別れて森の奥へ分け入りながら、冬樹の胸中は波立っていた。死んだものと思って忘れていた春樹と小夜が、祐里という娘となって突然目前に姿を現した。神の守は、男子と暗黙のうちに決められていた筈が、神の森が一目で祐里を認めていた。今朝は、神の森が最近では珍しく穏やかな表情を見せていた。朝の見まわりで、樹々が青々と潤い、朝露に輝いているのを見るのはここ何年もないことだった。森からは久しぶりに豊潤な香りが漂い、朝靄に乗って森全体が虹色に輝いていた。神の歌声が澄み切った空気を揮わせて森全体を蔽っていた。冬樹は、神の森の声を聞くまでに十年かかった。それなのに突然現れた祐里は、その朝から神と対話し、森の表情までも落ち着かせていた。神の森に意見して冬樹を気遣った祐里の優しい手の温もりがまだ残っていた。(何故にあの娘にそのような力があるのだろう)いくら考えても、冬樹には皆目分からなかった。

朝食を終えてから、八千代は、祐里に白い狩衣を纏わせて、祐里と優祐を神の森に案内した。八千代が一歩を踏み出すだけで、神の森は、大きく開けていった。
◇◇◇八千代、祐里は、素晴らしい後継者だ◇◇◇
 神の森は、森全体を震わせて喜びを表現した。
「お褒めに預かり光栄でございます」
 八千代は、満足して神の森に大きく頷き返した。祐里の周りには、野鳥が飛翔して美しい声で囀った。風が涼やかに渡り、緑の香気を運んできた。神の森は、息吹を取り戻しつつあった。
「祐里、神の森がそなたを歓迎しているぞ。そなたは、神の御子じゃ」
 八千代は、上機嫌で何度も祐里に頷いた。祐里は、八千代の満悦な様子に口を挟めずにただ微笑んでいた。八千代は、神の森で出会う榊原の血筋を引く森の長たちに祐里と優祐を紹介して回った。森の長たちは、すんなりと祐里と優祐を歓迎し受け入れていた。
 祐里は、枯れかけた葉や折れた枝を歩きながら触った。祐里に触れられた樹木は生き生きと潤い蘇っていった。祐里は、自分の身体から漲る生命の力を溢れんばかりに感じていた。今まで抑えられていた生命の力だった。祐里自身、気付かなかった力だった。いや、気付かないように封印していた力だった。病を患った濤子は、可愛がっていた祐里を「病が移るから」という名目で死ぬ間際まで近付けなかった。死ぬ間際になって、枕元に祐里を呼び、桜の樹を託した。
「わたくしは、四十過ぎてから授かった啓祐さんを立派に育て上げることができました。もう思い残すことはございません。そろそろ愛しい旦那さまの元に参ります。祐里が側にいると病が治って旦那さまの元に逝けませぬ。祐里を嫌うて会わなかったわけではないのですよ。祐里には病を治す力があるようです。祐里、その力を忘れて光祐としあわせにおなり。それから、庭の桜の樹は、桜河家のお守りの樹ですから、わたくしの代わりに大切にしておくれ」
 祐里は、忘れていた濤子の言葉をこころの中で蘇らせていた。人々を癒していた不思議な力・・・・・・祐里は、この力のためにいつの日か光祐と離れる日が来るような気がしてならなかった。その反面、本来の力を自由自在に発揮できる神の森に居心地のよさを感じてもいた。優祐は深緑の森に祐里が溶けて同化していくようで心配になった。祐里の白い肌が透明になり森の緑に透けて行くように感じられ、慌てて祐里の腕を掴んでいた。優祐の中で桜河家の血筋と榊原家の血筋が鬩ぎ合っていた。
「祐里は、生まれながらにして神の御子なのじゃ。わしが教えなくとも神の森に受け入れられておる。桜河家には悪いが祐里こそが神の守なのじゃ」
「お爺さま、神の守は、冬樹叔父さまでございます。私ではございません」
 満足しきった八千代に、祐里は、真剣なまなざしで訴えた。
「それは、神の森がお決めなさることじゃ」
 八千代は、祐里の言葉を遮るように言い放った。
「いいえ、お爺さま。冬樹叔父さまをしっかりとご覧になられてくださいませ。お爺さまのおこころ次第で冬樹叔父さまは、神の守に相応しゅうなられると思います」
 祐里は、必死になって冬樹を庇い、八千代に意見をした。
「そなた、わしに意見をするのか」
 八千代は、先代から神の守を継承して以来、何人からも久しく意見をされたことがなかった。八千代は、驚きながらも、はっきりとした意見を持った祐里をますます後継者として相応しく感じた。
「お爺さまの優しさに甘えて言葉が過ぎました。お許しくださいませ」
 祐里は、八千代を敬って頭を下げた。
「まぁ、よい。わしは、今夜から神事の業に西の祠に篭もるので、何かあれば嫁の雪乃に言いなさい。そなたは、明日から神事の業が終わるまで、優祐と一緒に少しずつ神の森を見て回っておくれ。神の森では、それぞれの長たちが協力してくれるじゃろう」
 八千代は、上機嫌で、祐里と優祐を連れて神の森から社に戻った。
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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2008-10-13 00:44

戻れそうにないですね・・・(-。-)y-゜゜゜

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keimi
keimiさんからコメント
投稿日 2008-10-13 18:07

光祐と離れ離れになった祐里の長い長い夏の始まりです。

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ファルコン
ファルコンさんからコメント
投稿日 2008-10-13 10:45

今回読みながら、比較して申し訳ありませんが、芹澤光治良の『人間の運命』を思い出してしまいました。

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keimi
keimiさんからコメント
投稿日 2008-10-13 23:26

その作品は、読んだことがないので、今度読んでみます。

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