桜 物 語 追 章 神 の 森
宿命
神の森は、ざわめいていた。社を守る神の守が交代の時を迎えようとしていた。
榊原八千代は、長い間行方不明になっている長男の榊原春樹を探していた。思いの方角へ捜索に人を遣わしたが不思議なことに行方が判らなかった。春樹の結界の力か、はたまた、未知の力が及んでいるようにも感じられた。思い起こせば、春樹の力は、生まれながらにして強く、神の守の風格を備えていた。弟の冬樹とは比べものにならなかった。それ故に八千代は、春樹に期待していた。突然、里の小夜と結婚したいと言い出して猛反対すると姿を消した。その足あとを途中までは辿ることができた。にもかかわらず、突然、春樹の気配が掻き消えた。八千代は、恐れていた春樹の死を自ら確認する決心をして、春樹との決別を果たす旅に出た。
優祐は、本人の希望と光祐の決断で、都の中学校には進学せずに星稜学園中学校に進学した。自分よりも勉強熱心な祐雫が女であるが故に都の学校に進学できないのにひとりで行くには気が引けた。優祐は、祐雫の学力を尊重していたし、また、強気な祐雫の内面の繊細さもよく理解していたので、祐雫と離れて都に行く気になれなかった。優祐は、何時でも先ず人の気持ちになって考える優しい性格に育っていた。祖父の啓祐は落胆していたが、父の光祐は理解を示して、他の家族も内心喜んでいた。
優祐は、剣術の稽古の帰りに白髪の老人から声をかけられた。
「坊ちゃん、あちらに見えている山に行くには、どう行けばよろしいかな」
老人は、しばらくの間、桜山と対峙するように向き合っていた。
「桜山ですね。桜川をずっと辿って行けばすぐに分かりますよ。でも、今からでしたら随分時間がかかりますので、到着する頃には暗くなってしまいます」
優祐は、桜川の上流へ続く道を指し示しながら老人に道を教えた。
「坊ちゃんの言う通りだね。今夜は、宿に泊まって明日の朝から出かけるとしよう」
老人は、遥かな道程を見つめ、優祐に視線を移した。途端に懐かしい想いが胸に溢れた。遠い昔に帰ったような気分になっていた。
「よろしければ、ぼくがご案内しましょうか。明日は、日曜日で学校が休みですので」
優祐は、旅の老人をひとりで桜山に向かわせるのが心配になっていた。
「さようか。それならばお願いするかな。わしは、榊原八千代と申す。そこの桜旅館に宿をとるからね」
八千代は、桜旅館の看板を指差した。そして、明日も優祐と会えると思うと久しぶりにこころが嬉々としていた。春樹の消息を探しにきた土地で、春樹の面影を持ち合わせた子どもに出合えた事は偶然の成り行きとは思えなかった。この子どもは春樹の消息の手がかりを握っているに違いないと思えた。
「ぼくは、桜河優祐と申します」
優祐は、表情が柔らかくなった八千代に親しみを感じた。
「桜河優祐くんか。ここは、どこもかしこも桜ばかりなのだね」
「はい、桜は、この桜川地方を守護する大切な樹ですので、至る所に植えられています。春の桜の季節は、絵にも描けない美しさです。明日の九時に桜旅館に迎えに行きます」
優祐は、八千代に一礼して家路についた。
優祐は、光祐に八千代のことを報告して、桜山への道案内の許可を申し出た。
「全く知らない方と二人だけでは心配だから、爺にお願いしてごらん。桜山までの道は、ご年配の方の足では大変だろうからね」
「はい、父上さま」
「優祐だけでは、心配だから、祐雫も一緒に行って差し上げるわ」
祐雫は、わくわくして横から口を挟んだ。
「ご案内が終わりましたら、一度、お屋敷へお連れしてくださいませ。山歩きでお疲れでございましょうからご休憩していただきましょう」
「はい、母上さま」
祐里は、胸の内がざわめいていた。優祐を道案内に出してはいけないような気分になりながら、それでいて出さずにはいられないような宿命を感じていた。胸の内のざわめきは何時までも治まらなかった。
「祐里、気になることでもあるの」
光祐は、寝室で、神妙な表情の祐里を気遣った。
「何故でございましょう。あまりにしあわせ過ぎまして、空恐ろしゅうございますの。光祐さま、どうぞ祐里を離さないようにしっかりと抱いてくださいませ」
「しあわせなことはよいことなのだから、何も心配しなくとも大丈夫だよ」
光祐は、優しく微笑んで、怖がる祐里を力強く抱きしめた。
次の日は、朝から晴れ渡り、白い薄雲が桜山の裾野にたなびいていた。
「爺、おはようございます。今日は一日、よろしくお願いします」
優祐は、朝食を終えると弁当と水筒の包みを持って森尾の車に乗り込んだ。
「優祐、遅うございます」
祐雫が既に車に乗りこんで微笑んでいた。
「優坊ちゃん、おはようございます。こちらこそよろしくお願いします。さて、出発いたします。祐里さま、行って参ります」
「森尾さん、よろしくお願いします。優祐さん、祐雫さん、気をつけていってらっしゃいませ」
祐里は、玄関の車寄せで手を振って見送った。見送りながら異様な気分に襲われていた。それが何かは分からなかった。今までに感じたことのない懐かしい気分と得体の知れない恐ろしさが交錯していた。
「桜さん、何かが起こりそうな気がいたします。どうぞ桜河の家族をお守りくださいませ」
祐里は、桜の樹に手を合わせて祈った。
午後二時を回った頃に森尾の車が玄関の車寄せに戻ってきた。光祐と祐里は、車の音を聞きつけて迎えに出た。車から降りた八千代は、祐里を見るなり驚愕の表情を見せた。
「そなたは・・・・・・」
祐里は、光祐の背中に隠れた。
「祐里をご存知なのですか」
光祐は、八千代と祐里を交互に見つめ、背後で震える祐里を気遣った。八千代は、祐里の元へ駆け寄ろうとした瞬間、長旅の疲れと心労でその場に崩れた。
光祐は、八千代を背負い、客間の布団に寝かせた。祐里は、八千代の手を握って座っていた。
「祐里、知り合いの方だったの」
光祐は、訳が分からずに祐里に問いかけた。
「いいえ、はじめてお会い致しました」
祐里は、蒼白な顔で光祐を見つめ返した。
「光祐さま、こちらは、私のお爺さまでございます。不思議に思いますがそのように私の中で声がいたします。私を捜しに来られたのでございます」
「祐里を捜しに・・・・・・だが、祐里は、ぼくの妻だよ。幼子ではないのだから今更連れて行くわけにはいかないだろう」
光祐は、突然の祐里の言葉に戸惑っていた。祐里を桜河の家に引き取るときに父は、ありとあらゆる手段で祐里の素性を調べた筈だった。それが今になって祖父らしき人物が出現するとはまさに青天の霹靂の気分だった。祐里は、静かに八千代の手を握って目を瞑っていた。
「そなたは・・・・・・」
八千代は、気がついて祐里を見つめた。
「祐里と申します。あなたは、いえ、お爺さまは、私を捜しに来られたのでございますね」
「祐里と申すのか。わしは、春樹の消息を確かめに来たのじゃ。だが、死んだのじゃな。死んでからもあやつは、結界を張り巡らしてそなたを隠しておったらしい。それに何かの強い自然界の力が加わっておる。わしは、この地に来てから体調が悪うなった」
八千代は、祐里の手を通して癒しの力を感じていた。気分が少しずつ楽になってきていた。
「確かに私の父は、榊原春樹と申しますが、私は、今では桜河の人間でございます」
祐里は、光祐と婚約してからの十七年間のしあわせに想いを巡らせていた。
「おお、桜じゃ。強い力は、この地の桜の樹から発せられているのじゃ。それにこの屋敷からもな。余程、おまえを守りたいとみえるな」
八千代には、祐里を守って幾重にも張られた強い結界が見て取れた。
「榊原さま、もうすぐ、お医者さまが参りますので、今日はこちらでゆっくりされてください。お話はそれからでもよろしいでしょう」
光祐は、八千代の身体を案じた。
「突然に現れてこの体たらくだ。申し訳ない。そなたが祐里の連れ合いだね。祐里を大切にしてくれているのじゃな」
八千代は、光祐に微笑みかけて静かに目を閉じ、祐里の優しい手の温もりに包まれて安らかな眠りに落ちていった。
鶴久院長の往診で、八千代は、疲労からくる一過性の貧血で安静にしていれば大事には至らないとのことだった。
「祐里は、しあわせなのじゃな」
八千代は、深い睡眠から覚めて診察を終えると、側に座っている祐里に話しかけた。
「お爺さま、私は、とてもしあわせでございます。父母を三歳で亡くしてから現在まで、このお屋敷で大切に育てていただきました。そして、何よりも光祐さまが私を力強くお守りくださいます」
「そのようだな」
祐里のしあわせな表情に反して、八千代は、こころを曇らせていた。祐里が春樹の娘だと分かった以上、守人の交代の時期を迎えている神の森に、是非とも連れて帰らなければならなかった。祐里の癒しの力は、今の神の森に必要不可欠なものだと瞬時に感じられた。三歳の時に八千代が引き取り育てていれば、祐里の力は、絶大なものになっていたに違いなかった。春樹にはその力が分かっていたに違いない。だからこそ、神の森に居所を突き止められた春樹は、祐里の俗世間でのしあわせを願って、自分の魂と引き換えに結界を張り巡らして祐里を守ったのだろう。
「お爺さま、私は、桜河のお屋敷を離れとうはございません。光祐さまと離れては生きて行けません」
祐里は、八千代の胸のうちが手に取るように感じられた。何故、八千代の気持ちが分かるのかが不思議に思えていた。
庭では、桜の樹が風のない夜にざわざわと大きく枝を揺らしていた。
「春樹も小夜と離れては生きていけないとわしに言ったものじゃ。親子じゃなぁ。あの時に春樹の願いを聞いて小夜と一緒にしておれば、春樹を失わずに更にそなたも得ていたと思うと、わしの先見のなさが悔やまれてならぬ。それにしても里の娘が神の御子を産むとは大層珍しいことじゃ。春樹を失った現在、弟の冬樹では、神の森を守る力に欠いておる。この時期にこうして巡り合ったからには、祐里は、選ばれし者なのじゃ。春樹は、その任を怠ったがために神の森の逆鱗に触れて命を落としたのじゃ。そなたも宿命には逆らえまい。それともそなたの子をわしに委ねてくれるか。優祐は、春樹の小さい頃によく似ておる」
八千代は、容赦なく祐里に宿命を突きつけた。
「お爺さま、優祐さんは、この桜河家の大切な後継ぎでございます。そのようなことはできません」
祐里は、心が張り裂けそうになりながら、きっぱりと反論した。
「それならば、祐雫にするか。神の守は、男子とされているが、今から鍛えれば賢い祐雫であれば務まるだろう。祐雫の気の強さは、そなたの芯の強さを引き継いでおるからな」
八千代の言葉は、神の森の言葉と呼応して、祐里に選択の余地を与えなかった。
「祐雫さんとて、桜河家の大切な娘でございます。そのようなことはできません」
祐里は、必死になって我が子を守って断言した。
「ならば、そなたしかいないではないか。桜河家には恩返しとして後継ぎを残しておる。本来ならば神の守は、男子已む無くば生娘とされているが、そなたの力を持ってすれば問題なかろう。そなたは、生まれながらにして神の守なのじゃからな。もし、神の森に反して、桜河家に災いがあってはそなたも生きていけないだろう。神の森の力は絶大じゃ」
「それが神さまのなさることでございますか」
宿命とはいえ、父母が崖崩れで亡くなったのは神の森のなさったことだと知らされ、祐里は、言い知れない怒りに震えていた。
「神の森には守り人が必要じゃ。それも力を持った守り人が・・・・・・。わしは年老いて神の森を守る力を失のうて来ておる。わしには、祐里、そなたしかおらぬのじゃ。現にわしの身体が癒えてきておるのはそなたのなせる神業じゃ」
八千代は、祐里の手を力強く握り締めて懇願した。
「榊原さま、それはあまりにご無体なお言葉ではございませんか。突然いらっしゃって、わたくしたちの大切な祐里さんを連れて行こうとなさるなんて」
夕食の膳を持って、薫子が座敷に入って来た。
「母上さま、申し訳ございません。ありがとうございます」
祐里は、薫子から膳を受け取った。
「桜河さま、祐里を今まで大切に育ててくださったご恩は忘れません。しかし、祐里は、ただの娘ではないのです。神の御子であり、神の守なのです。祐里は、今までこの地に小さなしあわせをもたらせていたでしょう。これからは、広い世界にしあわせをもたらせるのです。祐里を育ててきたのであれば、この娘が万人と違うことは感じておりますでしょう」
八千代は、薫子の瞳をしっかりと見据えてこころに訴えた。
「榊原さま、万人と違うてもわたくしの娘でございます。とにかく、祐里さん、お爺さまに夕食を差し上げてくださいませ。わたくしたちは、手放す気はございませんわ」
薫子は、八千代の言葉を受けて正論だと思いながらも、祐里を手放す気には到底なれなかった。
「母上さま、私もお屋敷を離れるなど考えられません」
祐里は、幼い娘のように無性に甘えたい気持ちになって薫子に抱きついた。薫子は、優しく、そして力強く祐里を抱きしめた。
薫子は、暗い面持ちで食堂に戻り、事情を家族に説明した。
「光祐、わたしたちの気持ちは、家族の誰も欠かないことで一致しておる」
啓祐は、光祐に同意を求めて決断を促した。光祐は、静かに目を瞑って考えていた。
「父上さま、母上さま、家族の気持ちは充分に理解しております。が、この件は、わたしに任せください。祐里を一度神の森に帰します」
光祐は、きっぱりと宣言した。啓祐と薫子は、驚きのあまり言葉が出なかった。優祐と祐雫は、光祐の決断に反論する余地もなく、手を取り合って光祐の顔を見つめていた。
光祐は、夕食を終えて客間に顔を出した。
「祐里、午後からずっとで疲れただろう。おじいさまの顔色も随分よくなったことだし、ぼくが代わるから、食事をして部屋で休みなさい」
「光祐さま、私は大丈夫でございます」
「祐里、ぼくの言うことをきいておくれ」
光祐は、蒼白な祐里の顔色を気遣って、祐里の手に自分の手を添えた。光祐の深い愛情が手の温もりを通して感じられた。
「はい、光祐さま。よろしくお願い申し上げます。お爺さま、それではごゆっくりとお休みくださいませ」
祐里は、潤んだ瞳を光祐に向けると頷いて客間を後にした。客間の前では、優祐と祐雫が心配して待っていた。
「母上さま、お疲れでございましょう。申し訳ありません。ぼくがお爺さまをお連れしたからいけなかったのですね」
優祐は、突然の出来事にこころを痛めていた。八千代の道案内をかってでなければこのような事態にならなかったのではないかと後悔していた。
「優祐さん、そのようなことはございませんわ。優祐さん、祐雫さん、心配してくださってありがとうございます。私は大丈夫でございます」
祐里は、優しい心遣いの優祐と祐雫に心配をかけないように明るい笑顔を作った。
「母上さま、夕食がまだでございましょう。おばあさまと婆やが心配してございます。さぁ、食堂へ参りましょう」
祐雫は、祐里から膳を受け取り、優祐は、祐里の手を引いて長い廊下を食堂へと進んだ。優祐と祐雫は、祐里を守りたい思いでいっぱいだった。
光祐は、客間の灯りを消し、枕元の電燈に切り替えた。夜の静けさが客間を覆った。
「祐里は、何があろうとわたしの大切な妻です。それで災いを被るのならば仕方の無いことです。ただし、榊原家が存在しなければ、祐里は生まれていなかったというのも事実です。神の森が守り人の交代で荒れているのでしたら、しばらく祐里をお帰ししましょう。祐里の癒しの力と後を継がれる冬樹さまの力で神の森をお静めください。そして、神の森が静まりましたら、わたしに祐里を帰してください。三日後には夏休みになります。優祐を祐里の供に付けます。わたしが付き添いたいのですが、今仕事を離れるわけには参りませんので」
光祐は、祐里を離したくないと思いながらも、帰さなければならないと決心した。
「光祐くんの意向は相分かった。ただ、神の森がどうするかじゃ。そして、祐里がどう対応するかじゃ。春樹に死をもたらせた強力な力なのだから、神の森のなさることはわしには推測がつかぬのじゃ」
八千代は、神の森に祐里を連れ帰ったら、もう二度と桜河のお屋敷に戻れないであろうと感じていた。それを光祐には告げることができなかった。
「わたしは祐里を信じています。あの崖崩れの時も祐里は生き残り、そして、わたしの元に来ました。祐里は、神の守としてではなく、わたしと巡り合うために生まれて来たのです。たとえ、神さまでもわたしと祐里を引き裂くことはできません。わたしは遠く離れていても、祐里を信じてこころで守ります」
光祐は、八千代の瞳を見つめて、きっぱりと断言した。
「祐里は、ほんにしあわせものじゃなぁ」
八千代は、しみじみと若い光祐の懐の大きさに感じ入っていた。
「榊原さま、夜も更けてまいりました。そろそろお休みください。桜の樹には安眠を妨げないようにわたしがよく説明しておきますので、まずは、お疲れをお癒しください。それではおやすみなさい」
光祐は、八千代に会釈して座敷を出た。廊下から庭に下りて、深緑の葉を湛えた桜の樹へ向かった。桜の樹は、月の光に青く光り輝いて光祐を迎えた。
(桜、心配しなくても大丈夫だよ。一度、祐里を神の森に帰しはするけれど、必ず、祐里は戻ってくると、ぼくは信じている。ぼくと祐里は、桜の下で添い遂げる宿命で巡り合ったのだもの。ぼくは、こころで念じて祐里を守るよ。どうか祐里と優祐に力を貸しておくれ)
桜の樹は、葉を優しく揺らして頷いた。
光祐は、目を閉じて、静かに桜の葉音を聞いていた。
遠い日の記憶が蘇っていた。突如、訳もなく恐ろしくなって「ゆうりをたすけて」と桜の樹に縋りついたのは、夢か幻だったのか・・・・・・次の場面には、幼い祐里と祖母濤子の笑顔があった。
「光祐さん、ご覧なさい。桜の樹の下の祐里は、とても美しいでしょう。お屋敷の御守護の桜は、祐里そのもののような気がいたします。光祐さんが祐里を愛するのなら、これから何があろうとその愛を貫きなさいませ。わたくしは、いつも光祐さんを見守ってございますから」
「ぼくは、ゆうりがだいすきだよ」
優しい濤子の真剣な言葉に、光祐は、気持ちをそのまま口にした。
「ゆうりは、こうすけさまがだいすきです」
祐里は、無邪気に光祐に走り寄って抱き着いた。その光祐と祐里を濤子は、一緒に抱き締めた。
しばらくの間、光祐は、桜の樹と共に祐里と過ごしてきた日々を想い返していた。
光祐が部屋に戻ると、祐里は、浴衣に着替え神妙な顔つきで座っていた。
「光祐さま、いろいろとご心配をおかけして申し訳ございません」
祐里は、正座をして光祐に頭を下げた。
「祐里のお爺さまは、ぼくにとってもお爺さまなのだから気にすることはない。祐里、お爺さまの体調が戻られたら、神の森まで送って差し上げなさい。夏休みに入るから優祐を連れて行くといい。恐れなくとも大丈夫だよ」
光祐は、震える祐里の手を取った。
「光祐さま、祐里は、光祐さまのお側を離れとうはございません」
祐里は、光祐の胸に顔を埋めた。光祐は、優しく祐里を抱きしめた。
「祐里、時期が来たのだよ。縁のない時は、こちらが祐里の親族をいくら捜しても見つからなかったのに、こうしてあちらから捜しに来られた。それに病み上がりのお爺さまを一人で帰すわけにはいかないだろう。優祐を連れて里帰りをするつもりで行って来なさい。祐里の父上さまと母上さまの生まれ育った土地を一度は見ておきたいだろう。ぼくが付き添って行きたいのだが、どうしても現在、仕事を離れるわけにはいかないのだよ。仕事が一区切り着いたら、すぐに迎えに行くからね」
光祐は、祐里のいない毎日を考えただけで空虚な気分になっていた。それでも祐里の出生の謎が解け、神の森が祐里を必要としているという現実を受け止めなければならないと感じていた。
「はい、光祐さま」
祐里は、不安で押し潰されそうになりながらも光祐に頷き返した。
「祐里、今までにもいろいろなことがあったけれど、ぼくは、祐里を守ってきただろう。今回も何が起ころうと、必ず祐里を守るからね。ぼくは、祐里を信じているから、祐里もぼくを信じておくれ」
光祐は、祐里が発つまでの毎晩、不安気な祐里を優しく抱いて眠った。祐里は、陽光に輝く満開の桜に包まれているような気分になって光祐に抱かれて安堵して眠りに就いた。
神の森に発つ前日の終業式帰りに、柾彦が小さな袋を持って、優祐の前に現れた。
「優祐くん、明日、発つのだろう。何かの時に役に立つかもしれないから、これを持っていくといいよ。母上さまには内緒だよ。ぼくが言うのもおかしいけれど、母上さまをしっかり守ってあげるのだよ」
柾彦は、青空のような笑顔を優祐に向けた。かつての守り人として多少なりとも祐里の手助けが出来ればと考えて準備したものだった。
「はい。柾彦先生、ありがとうございます。母は、ぼくがしっかり守ります」
優祐は、袋を胸に抱いて決意の瞳で柾彦を見上げた。
翌日、祐里と優祐は、お屋敷で家族にしばしの別れを告げて、八千代と共に早朝の桜川駅から、光祐と祐雫に見送られて汽車で旅立った。
夕方まで汽車に揺られて茜色に輝く夕日のトンネルを抜けると、汽車は宵闇の緑が原駅に到着した。駅舎の目前に壮大な神の森が広がっていた。
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