人の本質はそうそう変わらないものなのかも?!三つ子の魂百まで?!
4月
8日
順風満帆なフリーランス生活ではなかったから、8年前に、週2~3回、デイサービスでパートを1年半ぐらいしていたことがあるんだ。
その時に、" 三つ子の魂百まで [注1] " って、このことか!と思ったことが。
それはね、、、、
いくつになっても、男はエ〇本を読んで、
女は女子会をするもんなんだと (笑)。
エ〇本といっても、デイサービスにエ〇本が置かれていたわけじゃないよ。
利用者さん自身が「週刊 文〇 」 などの雑誌を読み終えたものを、利用者さん同士で回し読みしていたんだよね。
最近のその手の週刊誌は、とじ込み部分があって、エ〇本部分があるでしょう?!あの部分をジーと見てるの。
あとは、官能小説部分をじっくりと読んでいたり。
もちろん男性利用者さんが全員見ていたわけではないけれど、ほとんどの男性利用者さんが、声をかけに行くと、そういうページをジッと見ていたの (笑)。
そして、女性利用者さんは、他愛のないことというのか、男性からしたらどうでもいいような話を、ピーチクパーチクと女子会。
ちょっと高級な老人ホームに勤めている知人の話だけど、
「あの人とあの人が結婚したら財産が・・・」とか、
「あの人があの人と仲良く話をしていた・・・」とか、
老人ホーム内は、" お金 " と " 嫉妬 " の話ばかりだとか。
そんなご高齢者の姿を見ていたら、" 三つ子の魂百まで " って、このことか!と思ったんだよね。
今日は、人の本質って、" 三つ子の魂百まで " で、そうそう変わらないものなのかもと思った、お・は・な・し。
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[注1] 三つ子の魂百まで
「三つ子の魂百まで」や、それに似たことわざの「雀百まで踊り忘れず」の「百」も、物理的な百歳ではなく、質的な長い時間を表している。
このことわざのもともとの意味は、「幼い頃に表れている気質や特徴は、歳をとっても変わらない」ということ。