先日バスに乗ったときのことです。
外国人のお母さんが二人の子どもを抱えて乗ってきました。汗をかきかきようやく後方の席に分かれて座ることができました。するとちょうどその近くにパナマ帽をかぶったちょっとおしゃれな老人が座っていましたが、なにやらかばんから取り出すと軽やかに手を動かし始めました。どうやら紙工作のようです。色紙をはさみで上手に切り取っています。そしてその色紙に指で癖をつけ、最後にマジックで目と口を書いたら出来上がり。そう!犬の出来上がり!もらった子どもはあまりのことに目を白黒させて驚きました。お母さんも嬉しそうです。片言の日本語で「ありがとうございます」。
さらに老人はまた別の色紙を取り出すと今度は象を作り、さらにはキリンだのといつのまにやら動物園のようになりました。きっといつも子どもを見るとちょっとしたマジックを披露しているのでしょう。こちらまで微笑ましくなってきました。久しぶりにあったかい光景でした。
毎夜、うるさいほどのスズムシの鳴き声が聞かれます。私の住んでいる辺では、それに混じってエンマコオロギ、ミツカドコオロギ、カンタンといった虫たちも負けじと羽をこすり合わせています。子供の頃、秋の虫ウマオイのことを『スイッチョン』と呼んでいました。きっと、鳴き声が“スー、イッチョン”と聞こえたからだと思います。まだ夏のさかりなのに、すずしい家の中に入りこんできては、昼間のうちから“スー、イッチョン”と鳴いていたのを良く覚えています。
同じように子供の頃、カラスノエンドウの実のことを『シビビー』と呼んでいました。これもきっと耳に聞こえる音から名前がついたものだと思います。カラスノエンドウの実を半分に切り、背を割って中の実をほじくり出して笛を作って遊びました。つめを立てて、さやの中をきれいにすることがうまく鳴らせるコツです。そして、口にくわえて吹くわけですが、このとき、あまり強く吹くと入り口がつまってしまって鳴りません。そこで、はじめはそっと吹くのです。すると、“シー”と息のもれる音がします。この状態ではく息を少しずつ強くしていきます。すると、まず1回“ビッ”と鳴ります。このときのはく息の強さを覚えておき、その強さでもう一度吹くと“ビービー”と長く鳴らせることができるのです。子供達の間で、笛をうまく鳴らせる方法の過程として伝わったのが『シビビー』なのだと思います。
地方特有、あるいは地方の子供達特有の呼び名というのはまだまだたくさんありますが、あと一つ印象深く覚えているのが『ジンケン』です。ジンケンとは川魚のハヤ(オイカワ)の呼び名です。この魚は釣り上げてもフナのようにあばれたりしないし、バケツの水の中に入れてもすぐに死んでしまう弱い魚でした。ですから、子供達にとってあまり面白味のない魚でした。ジンケンという呼び名は、ようやく出回り始めた化学繊維のことを人絹と呼んでおり、そのころのものはまだ弱くてすぐに切れてしまうものだったようです。この弱さが魚のハヤの弱さにあてはめられてジンケンと呼ばれるようになったようです。そして、ハヤと聞くとある事件を思い出します。
民主党の顔となっている鳩山由紀夫氏と、第二次安倍改造内閣で法務大臣を務めている鳩山邦夫氏の異母兄弟が、菅直人氏らとともに民主党を立ち上げようとしていたときのことです。同じ志を持つ仲間を軽井沢に招き、川魚のハヤ料理を食べに行きました。そのとき、鳩山兄弟は、出てきたハヤを頭と身に分け、身の方を自分達で食べ、頭の方を招いた客達に食べさせたのです。これを取材していたマスコミ関係者達はびっくりしてしまい、さっそくその夜のテレビ、翌朝の新聞でこのことが報じられました。「あの兄弟はひどいやつらだ。自分達は魚の身を食べ、お客には頭を食べさせていた。」といった内容のものでした。民主党の立ち上げに好意を持っていた私は、このニュースを見て「ひどい人達ね。」と言う妻とは一線を画し、何かの理由があるのではと慎重に考えました。この真相は、実はハヤ料理は頭を食べる料理なのでした。ハヤの頭は美味なのですが、身はおいしくないのです。おそらく、何度も食べ慣れていた鳩山兄弟は、もったいないので身も食べるようになっていたのでしょう。その日の夕方には、さっそくおわびの放送が流されていました。
相手のあらさがしにやっきになっていると、思わぬ落とし穴にはまってしまい、きついお灸をすえられるという典型的な事件でした。自分の常識の及ばない所の事はあわてて判断せずに、むしろ好意を持ってもう一度立ち止まって考えるべきだということを教えられました。そしてこのことが、その後いく度となく直面した危うい危機を救ってくれました。
どんな良薬でも飲みすぎれば毒となります。
植物も水のやりすぎは根腐れの原因となります。
愛情も過ぎると害となるのでしょうか。
ある幼児をお持ちのお母様が
うちの子は生き物を構いすぎて殺してしまうと
嘆いていらっしゃいました。
ご自身はわが子の一挙一動を見守り
間違いが一つも起きないように
一つも起こさないように
先回りして気を配ってらっしゃいます。
摘むつもりはなく、子どもの芽を摘み取り
ご自分の愛する花壇で
促成栽培しようとしているのです。
悪意のかけらもなく
全て愛情からでた行為が
相手を蝕むとしたら
こんなにつらい、悲しいことはありません。
福井
益々変化する社会環境とともに、日々進化する子ども達も柔軟に一生懸命対応しています。しかし、大人が原因で犠牲になっている子どもが後を絶ちません。
学校から帰ると一人で塾の準備をし、重いテキストを背負いうなだれながら塾に向かう子、体の調子が悪く、楽しくないのにハードな塾に無理に通わされ顔色も悪い子、勉強をしていないとすぐに叱られるため、勉強しているふりをしておびえる子、学校でも家でも偏差値というものさしで評価されてしまい、劣等感につぶされる子、周りと比べて評価する大人の真ん中にいて、逃げ場を失って戸惑う子、テストの点を取るための勉強に徹しているため、正しい理解をしていない子、成績が悪いと次から次へとと塾を変えられる子、・・・など、考えさせられています。
台風が過ぎ去るごとに段々と秋色に染まっていきます。つい先日まで残りわずかな夏を惜しむように精一杯鳴く蝉の声ばかりだと思っていたら、いつの間にか秋の虫の音に変わっています。
涼しげで優しい音色です。何か戦いの後に心を癒してくれるようです。子ども達にとっても絶好の学習題材です。懐中電灯を片手に虫探しに出かけましょう。そして家に帰って図鑑で確認です。この学びが生涯につながる取り組みです。
台風9号が直げきして過ぎ去り、翌日の土曜日になっても強い風が吹いていました。そして夕方には、久し振りにきれいな星空を見ることができました。南の空低くには、赤い火星と赤いさそり座のアンタレスがたてに並んで見えました。この夏、日本よりももっと南の地域で、もっと空気のすんだ所では、この2つの赤い星のランデブー(8月27日が大接近)は、空高くにとても明るく見事に見えたそうです。
ランデブーと言ってしまいましたが、ギリシャ神話でアンタレスは、アンチ=対抗する、アレス(マルス)=火星、という言葉が変化したもので、この2つの星は永遠のライバルなのです。ですから、2つの星は目を合わせないようにお互いに背を向けているか、ものすごい形相でにらみ合っているかのどちらかなのです。でも、そんなことは考えないで素直に目を楽しませてもらうことが正解なのかも知れません。
おなじみのシシ座流星群やペルセウス座流星群をのぞいて、私の見た変り種でとてもきれいだった流れ星を2つ紹介します。
1つ目は、子ども達を連れて夏期合宿に行ったときのことです。山の中腹にあるのホテルに泊まっており、眼下の白樺湖で行われる花火大会を見るために、子供達を連れて近くのスキー場の夜のゲレンデまで行きました。小さくしか見えない花火にすぐに飽きてしまった私は、むしろ頭上の雲の合間に見えかくれする「夏の大三角」の方に興味があって、それを見ていました。すると、明るい流れ星がスッと流れました。“流れ星”と思った瞬間、それはうずを巻くように2,3回転して消えました。「今の、見た?」近くの何人かの子供に聞きましたが、やはり見ていなかったようです。「どんだけ?」じゃなくて「私だけ?」といった感じでした。きっとこの流れ星は燃え尽きる前に破裂でもしたのではないかと思います。まるで、体操の跳馬を見ているような流れ星でした。
もう1つは、長野の実家に遊びに行ったときのことです。1人で庭に出て、夜空の星を眺めていました。すると、2つの流れ星が平行線を引くように明るく流れていきました。一瞬、目をうたがうほどのはく力と見事さでした。きっと、1つの流れ星が地球の大気に突入したときに、真っ二つに割れて、それから燃えたのでしょう。ですから、きれいな平行線となり、光っている時間もちょうどぴったりと同じになったのだと思います。
どのくらいの確率で、こういった流れ星になるのかはわかりませんが、この2つの流れ星を見ることができたことをとても幸運に思います。それと同時に、これ以上の流れ星にはもう一生お目にかかれないだろうなという思いもあり、こんな複雑な気持ちにさせるのが流れ星のようです。
傘の出番が多かった先週、
雨の中を子ども達が通って来ていました。
入り口で閉じた傘を傘立てにねじ込んでいる男子に
「きちんと留めて入れると、後から来る人にスペースがあくよ」と
声を掛けました。
「めんどくせい」
言いながらも、素直に従ってくれました。
少し間をおいて、同じクラスの友達が来ました。
すると、彼が
「ちゃんと留めていれろよ、後の人が困るだろ」と
注意してるのです。
おかしさを感じながらも、
とっても嬉しいひとコマでした。
時々うるさいおばさんになる。
そんな齢になったのかもしれません。
福井
夏休み明けの新学期はとてもワクワクしていたことを覚えています。夏休みに会わなかった友達はずっと何をしていたのだろうか? みんな何をして遊んだんだろうか? 自由研究は何を作ってくるだろうか? ・・・そんなことを考えながら前の日はなかなか寝られなかったことを覚えています。
僕が小学生の頃は工作の課題がありました。それは毎年テーマが決められ、自由に製作することです。今でも忘れられないものが【タワー】作りです。木工細工で切ったり曲げたりあるいは折ったりしながら個性溢れる作品を作り、みんなをわっと驚かせるのが何よりも楽しみでした。だから、なかなか上手にできないときは親に当たったものです。そんな様子を見かねて親も手伝おうとするのですが、またそれが嫌で反抗したこともよく覚えています。
そんなやりとりもあってようやく出来上がった作品を無事に学校まで持っていくこともまた一仕事でした。風呂敷に包み、ゆっくり衝撃を与えることなく静かに静かに運びました。そして幸運にも大賞に選ばれた作品はその後1年間、埃をかぶりながらも学校の階段上に飾られたのでした。
覚えているのは勉強よりも遊んだことやそんなもの作りのことが多いようです。
台風9号が接近中です。大雨、強風などに十分な注意が必要です。そしてもう一つ、このような自然現象は学習に最適であること。テキストや問題集で学習するよりも、実際に目の前で起きていることですから臨場感が違います。
台風の発生する理由、場所、進路、特徴、影響などニュースを見ながらたくさんのことが学べます。ただ、凄い!怖い!だけでなく、実際に身につくように書き留めておきましょう
今日は台風の影響で突然の風雨に見舞われました。朝から東京は世田谷にある【恵泉女学園中学校】にお邪魔しておりました。2時間程度の打ち合わせの後、校門を出たとたんスコールのような雨。すると前方にお菓子屋さんが見えました。思わず雨宿りをと思い店に駆け込みました。
喉を潤すため、目の前のジュースを手に取り、常連客のための椅子に座り、66歳のおばちゃんと話をすることになりました。近隣の話から【恵泉女学園中学】の話題になりました。ちょうど11月3日は「恵泉デー」と呼ばれる大イベントが開催され、約1週間ほど多くの人々でもり上がります。その「恵泉デー」に行かれますかと聞くと、実は毎日学校の中で売店をやっているという話しをうかがいました。【恵泉女学園】では夕方小腹が空く子ども達のため、近隣のお店に商品を持ってきてもらい、学校の中で販売するそうです。このおばちゃんはこの店に嫁いでからずっと33年間も学校に出入りしているそうです。そして、【恵泉】なくしては自分は語れないと言っていました。というのは多くの子ども達に支えてもらったからでした。病気した時は病院まで見舞いに来てくれたり、卒業しても店に顔を出してくれたり、古い生徒では現在の先生も多く含まれるそうです。自分は学校の中にいるときだけいかにも中学生や高校生にタイムスリップするそうです。でも、またこの店に戻ってくるといつものおばちゃんに戻ると。
こんな話しを聞けるとは知らずに入った店に、思わず長居してしまいました。「私は幸せでした。こんなたくさんの子ども達に支えられ、いつも花々を愛する心も教えられ、もう思い残すことはありません。この店も私で終わります。自分とともにこの店も幕を閉じます」と明るく話してくれました。
そして「毎年夏が終わると年頃の生徒が髪の毛の色を変えてきたり、真っ黒に日焼けしたりする年も時々あったけど、今年の子ども達は落ち着いていていい子が多いんですよ」とにこやかでした。
貴重な雨宿りの一日、台風に感謝です。
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