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計算力と集中力 (秋元)

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 深夜、轟音とも呼ぶべき雨音にふとパソコンを打つ手を休める。開け放した窓の向こうは、普段ならまばらながら夜の海に浮かびあがる街灯の明かりも、漆黒の闇に沈んでしまったようだ。部屋の明かりを消すとパソコンから漏れる光だけが目に眩しい。しばらくするとスクリーンセイバーがはたらいて、湿った闇に身も心も溶けていく。この一瞬の静寂こそが、深夜働く者の特権である。神経が研ぎ澄まされたような感覚に包まれる。しかし、これは幻想である。悲しいことに翌日になれば、必ず睡眠不足の鈍い頭に戻っていることを自覚する毎日である。

 
 ここのところ、電車の中では数独に懸命に鉛筆で計算している大人とよく隣り合わせ、インターネットを開くとインドの計算法の解説書の紹介が目につく。何となく算数に関係したブームが到来しているようだ。主旨は異なるが、その前には百マス計算が書店に山と積まれて売られていた。

 はじめて数独を目にしたときには、たて・横・斜めの3方向の和がすべて等しくなる魔法陣の5・6方陣あるいはそれ以上のものかと思って驚愕したが、そこまで複雑ではなさそうで安心した。(だからと言って易しいなどと決して思っているわけではなく、かなりの集中力と習熟度を要することは理解しております。)また、インドの計算法は暗算の手段として昔からよく知られており、数学の先生方がパズルの本などでよく紹介しており、日本にも江戸時代こうした計算法が見いだされていたということだ。(だからといって私がこういったものを普段使っているわけではない。)ただ、インド式計算法で思い出すことがある。


 ゆとり教育が叫ばれ、各教科の負担が減らされ、小学校の算数から3.14が姿を消しそうになったことがあった。考え方こそ大切で、計算で苦しめる必要はないという主旨のことが教育課程審議会から聞こえてきた。このとき、新聞のコラムにも反対意見を述べた数学の先生方がかなりおられた。学問的背景を述べられた後に、一様に具体例としてインドの幼いころからの算数・数学教育を挙げられていたのを思い出す。徹底して計算させるということだ。数学におけるインドの地位はご承知の通りだ。このとき思い出したことは、あるノーベル物理学賞受賞者の枕元の計算用紙というものだった。この人は子どもの頃身体が弱く学校を休みがちで、布団の中でよく勉強していて、枕元には常に鉛筆と計算用紙があり、その習慣は成長してからも続き、ふと思いついた解法、頭に浮かんだアイデアを、計算機に頼らず、必ず鉛筆と紙で計算して確かめたという話だ。

 今の子ども達は計算を嫌がる。計算だけでなく、面倒なことを嫌がり、集中力が続かない。算数を苦手とする子ども達の多くは、小学校の3年生あたりではっきりとしてくる。4年生で計算の苦手な子ども達は、全般的に集中力を欠くケースが多い。5年生になって式をきちんと書けない子は、線分図や表を書くといった作業を嫌がる場合が多い。・・・・・・

 と考えてみると、お風呂で指を折りながら10まで数えることから始まって、その先、かなり積み上げておかないと根本の集中力は身に付かない。そして手を動かす・頭の中ではっきりと確かめる・認識するという作業をくり返す地道な努力をしていないと算数・数学の輪には入れないのである。  


 と今年はこの暗算の考え方を問う問題に少し注意しておこう。
 
        (秋元)
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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