その気持ち、ずっと変わらない?
5月
31日
日常のちょっとした事になる程、
振り返る事もなく月日が流れてしまい
苦手意識を持ったままだと気付かないで
日々を過ごしている事があります。
昔は苦痛だった事が
今は全く何とも感じない、
あれは何だったのか?
最近になり、何十年も持っていた感覚を
一瞬で塗り替えた出来事がありました。
写真は、
家から神社の境内までの
片道約500メートルの道のりです。
小学生の低学年の頃は
この道を毎朝父と走っていました。
走った後で顔を洗って朝食を摂るのが
その時代の我が家のルールでした。
今では何とも思わない片道500メートルが
小学1年の頃の私には
とても長く感じてその距離が苦痛でした。
父のペースに必死について行くため、
息はずっと苦しいまま、
息苦しさばかり記憶に残っていました。
何から朝起きた瞬間から
どうしたらあの距離を走らなくていいか
寝ぼけながら頭をフル回転させた程です。
あれから何十年も月日が流れ、
あの時と同じ時間に走りたくなりました。
もう私の前を走る父はいません。
私、独りだけ。
朝の凛とした空気に気持ちが引き締まり、
静かな中に聞こえるのは鳥や虫の声、
柔らかな風が心地よくて、
登り始めた太陽の光に「よし、やるぞ」と
湧き上がるものを感じながら
あっという間に片道を走って
折り返しの神社の境内にやってきました。
氏神様に朝のご挨拶をして
来た道を引き返します。
あっという間の時間、
そして走り終えて清々しい気持ちです。
苦痛だとは全く感じませんでした。
では、どうしてあんなに嫌だったのか?
それは、父に言われて走っていたからで
自発的ではなかった事。
そして、
嫌なことばかり見ていて
良いことを探そうとしていなかったからかも
しれません。
あの時の父は、
今の私が感じたことを
子供の私にも感じて欲しいと
思っていたのかも?伝えたかったのかも?
なんてふと思ったのです。
脳は危機管理のために
嫌なことや苦しいことほど記憶します。
気持ちや体力に余裕がある時に
同じ事を実践した場合、
全く違う結果になって
苦手や苦痛の意識を塗り替える事も可能だと
何気なくやった事から発見できました。
時間と気持ちに余裕がある時は
記憶を辿って同じ事をやってみると
また新たな発見があるはずです。
諸行無常、
変わらない事なんてないのだと思った
実家で過ごした日の発見でした。
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