fumikoです。
本当は凹んで落ち込んでいるのに
から元気の私を見て
「いつも悩みが無さそうで良いよね」と言われ
傷ついた事が何度もあります。
人は見聞きした事を自分なりに解釈します。
黙っている人を
殻に閉じこもる、と捉えたり。
カリスマ性があり威厳がある、と捉えたり。
口が硬くて秘密を守りそう、と捉えたり。
目に見える事は氷山の一角です。
見える事が全て真実とは限らないので
から元気な私は
悩みがなさそうに見えたのでしょう。
私の場合は
「深刻な問題を抱えていて辛い」とか
「大失敗して凹んでいる」とか
余程な事がない限り
周りに打ち明けないで
ひとりで抱えることが多く、
根底にあるのは「心配かけちゃいけない」思いと
どのタイミングで打ち明けたら良いか
わからなかった事から
ひとりで抱えてしまう事になっていました。
だから
悩みがあっても人に言わない事が多く
逆に人の悩みを聴く側に回る事が多く
この経験を活かして
自分の悩みを解決する術に繋げていました。
でも、内心は結構辛くてボロボロでした。
そんなある時、
職場で後輩に
「仕事で大失敗して、今とっても大変なんだ」と
ポロリと漏らした事がありました。
後輩はビックリ。
「私が泣き言を言わないので
心の中は聞いてはいけないと思っていた、
辛い時は言ってください、
話を聞く位なら出来ますから」
と言ってくれたのです。
本音を打ち明けるのはとても勇気が要ります。
自分の弱さを出せなかったのだと
この時にやっと気付きました。
人に何かを打ち明けたり相談するのは
実はとても勇気がいる事なのだとわからず
それまでの私は
人の悩みや相談事を聞いていたのです。
なんと高飛車だったのか…
恥ずかしくなりました。
共感していても
心の底からの共感だったのか
今となっては申し訳ない気持ちになります。
この、目から鱗の出来事の後から
後輩といろんな話をするようになりました。
お互いに話す中で
「自分に打ち明けてくれた」嬉しさや
「そんな風に見えなかった」意外性や
「誰だって失敗はする」共感の気持ちや
色んな発見をする事が出来ました。
そして
言葉には出来ない絆に気付くようになり
話すたび絆が深まるように感じていきました。
あれから10年以上の歳月が過ぎ
私は今も多くの人と日々関わっています。
袖触れ合うも多生の縁、
さまざまなご縁から生まれる絆を大事にしながら
日々を生きていきたいものです。
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